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儺の国の星・拾遺 2・物部氏の矜持 ― 遺言はハレー彗星の通過日の特定だった


儺の国の星・拾遺 2

序文を読む 2
物部氏の矜持 
遺言はハレー彗星の通過日の特定だった
 

前回のつづきです。
口述筆記のために、明らかな誤字は変えています。
明治43(1910)年4月19・679日Halley(ハリー)彗星は近日点を通過しました。

この時が69推の方冊(ほうさく)の家系を語る と、生前の真鍋勝次は信じて他界しておりました。即ち彗星到来を予見した上での遺言でありましたが、これはまさに的中いたしました。

ここに1推(いっすい)とはメトン周期のことで、太陰暦235月6939・68841日と19太陽年6939・60170日が差0・08761日をもって一致するところからきた名称でありました。

これから69推は1311年前、即ち推古帝7(599)年のことになるのでありますが、日本書紀巻22推古紀(603)年壬戌歳には、
   冬10月に百済の僧 観勒(ほうし くわんろく まうおもぶ)けり。
   仍(よ)りて暦の本(ためし)及び天文地理の書(ふみ)、併(あわせ)て
   遁甲方術(どんかふはうじゅち)の書(ふみ)を貢(たてまつ)る。

とありまして、祖先は物部氏の出身であり、異朝から大宰府の招請に応じて暦書を
上された時に、これが本朝の古来の式例に副うものであるか否かを検算する家系
であ
ったことが判明いたしました。

大宰府は異朝の入貢する船籍が多く入泊しますから、各国の暦制が船ごとに異なり、これを対応して数年先の次の入国の機会まで、日取りを正しく登録する必要がありました。

従って物部氏は代々、大宰府の暦官の職務を世襲して、もって天文学的計算の術を通じ、これに仕えていたのであります。

「69推の方冊(ほうさく)の家系を語る」
これはハレー彗星が地球に一番近づく日時を特定する事によって、
69推(1311年)続いた、真鍋家の歴史と実力を証明するという意味です。

トップシークレットだった為に、誰も理解する事のない、
物部氏の本来の仕事がこの天体観測であり、暦造りでした。
ハレー彗星はハレーが発見した事になっているが、
日本ではとっくに知られていたのだという思いが伝わって来ます。

この計算が、どれほど高度な科学的知識に裏付けられているのか、
明治時代には誰も理解出来なかった事でしょう。
現代でも、そんな家系が在ったと素直に信じる人は少ないかもしれません。
だからこそ、ハレー彗星の到来を予見したのですね。

ハレー彗星の近日点をどうやって計算したのか想像も出来ないけど、
「69推」ぐらいは理解してみましょう。

「メトン周期」か…。名前は知っていても、内容は知らないよ。
こんな時はWik頼り。
 メトン周期 19太陽年は235朔望月にほぼ等しいという周期のこと。
この周期は、太陰太陽暦で閏月を入れる回数を求めるのに用いられた。メトン周期に
従うと19年間に7回の閏月を入れれば太陽年とのずれが解消されることになる。

関係ある所だけ書き写しました。検算してみましょう。

1年は365日。1か月を30日とすると、30日×12か月は360日。
その差は5日。10年経つと50日も差が出て、季節感はめちゃめちゃ。
そこで時々閏月を入れて誤差を調整する必要が出てくるけど、
19年間で7回の閏月を入れると誤差は解消されるという事か…。

どうれ、計算してみよう。
365日×19年=6935日
30日×235ヵ月=7050日
7050-6935=115日
30日×7回=210日
あれ?うまくいかない。一か月30日が間違ってる? (@_@;)
29.5日ぐらいかな?
それとも、序に書いてあった、12桁でないと誤差がひどすぎる?
(どうやって計算するの~)

それじゃあ、12桁を使ってまじめに計算しようとしたけど、
桁が多過ぎて計算機に入力できない。とりあえず、下6桁までで計算してみよう。
365.693960日×19年=6948.1852日
30日×235.693968月=7070.8188日
これもダメ。検算でさえ私は出来ない(涙)
差0・08761日が出て来ないよ~ (・.・;) 
やはり、1か月30日が駄目なのか。誰か頼む…。(いや、お願いします。)

こんなメトン周期を日常で使う家系ってどんな家?
そして、計算機がないのに、どうやって計算したのだろう。
メトン周期はあきらめ!

気を取り直して、ハレー彗星を調べてみよう。
「ハレー彗星はエドモンド・ハレー(Edmund Halley 1656~1742)が
初めて76年ごとに地球に近づく彗星を発見した。」

なるほど。
真鍋勝次氏は日本の物部氏はすでに76年ごとに地球に近づく彗星の存在を知っていて、
その近日点を計算する事も可能だったという事を証明したかったんだ。
そして見事的中。

これは天文の歴史を塗り替えるような内容ですぞ。
だから、遺言にしてまでもその家系の存在を伝えたかったのでしょう。
う~む。これぞ物部氏。

真鍋家と大宰府
日本書紀では69推前=599年の3年後に百済の僧・観勒が暦を伝えたとなっていますが、
真鍋家の祖先は、この暦と日本古来の暦との付き合わせをしたという事を暗示しています。
(ひとひねりしていいるのは大覚氏の独特の表現法です。)

現代でも外国では西暦以外の各種の暦を使っています。
東南アジアの何処でしたか、一つの国で何十種類もの暦を民族ごとに使っている
という話をラジオで聞きました。
そのカレンダーはきっとすごい事になってるんでしょう。
でも、その国ではそれが当たり前。
古代の姿が残っているのですね。

古代、大宰府に入港した船も各国から来て自国の暦を使っているため、
倭国の暦との付き合わせが大宰府政庁で行われたんですね。

c0222861_10231412.jpg

これは大宰府の再現図。(パンフレットより)
どの建物でやったのかな。少し身近になりました。

さて、つづき。
真鍋勝次は明治20(1887)年3月28日をもって時の農商務省大臣 山縣有朋(1838~1922)から表彰を受けております。

埼玉県秩父郡の民生安定に多大の貢献を為したるをもって感謝の金一封を授与せられたのでありますが、東京帝国大学農科大学の教授博士をしても荒廃の極に達した田畑の土地改良の大事業を僅か2年の歳月で完成させた功績は天下一の篤農(とくのう)の郷士と称えられたとのことでありました。その語る処の祖先の逸話がこれであります。(つづく) 

勝次氏は那珂川町の元町長ですが、埼玉県では田畑の土地改良に尽力。
日本古来の智恵が余すところなく発揮されたのでしょうね。
どんな改良法だったか、これまた知りたいものです。
(つづく)








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by lunabura | 2012-08-09 10:31 | <真鍋大覚儺の国の星> | Trackback | Comments(6)
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Commented by ldc_nikki at 2012-08-02 10:18
るなさん、この本読んでみたいですね。天体観測に暦つくり。ますます、その姿が重なり初めてきました。初めて1日を星で観測し始めた民族に。
また私たち人間には、本当は月を元につくられた太陰暦の方がいいのかもしれませんね。
Commented by lunabura at 2012-08-02 10:29
出版元である那珂川町には既に再版を依頼していますが、みなさんの関心が強くなれば、町も動くだろうと思っています。
暦は本来、祭祀の日取りを確認するためなんですね。
月の朔望は特に大事だったと思われます。

確かに、女性の体のリズムとかは太陰暦にぴったりですしね。
昨夜は月がとてもさやけく、
勾玉の形をした二つの雲にかこまれた月が見られました。
何かが産み出されようとしているかのようでした。

Commented by のら at 2012-08-03 02:18 x
ルナさんこんばんは。計算お疲れ様です(^_^)
今夜も月が綺麗ですね。
昨夜は月よりも一つだけ早く低空飛行している雲を見て「おおぅ?!」と思いました(>_<)その雲だけスイーっと移動してるんですもの!
最近では、昼のもやがかかった様な馬見三山よりも20:00過ぎ位に影絵のように黒くクッキリした姿の三山を美しい~と見とれています。

何で知ったか忘れましたが、遣隋使?それ以前?に中国に挨拶に行った我国の人は夜型人間(爆)だった為、深夜に行ったらエライ怒られて常識知らずで朝働かず夜に行動するとは『蛮人』(?だったかな?)と言われ使者は追い返されたそうです。その後、朝型人間(爆)に変わって皇帝に謁見を許されたとか…。
国民全員ではないだろうけど、国のトップクラス(高度な技術者でしょうし)が星の観測生業にしていたら、そりゃ夜型だろう…と思いました(>_<)
Commented by lunabura at 2012-08-03 08:47
おはようございます。 昨夜の月は一段と大きくて光が強かったですね。
カーテンの隙間からの光が鋭かった。

馬見山は、そちらでは馬見三山として見られるのですね。
再び、UFO見学で屋台が出るかな (^-^)

夜型人間の話面白いですね。有り得る~。

ところで、数日前からのらさんのお話を思い出してました。
内野に行こうと思うのです。
あのあたり、どこを見たらいいのか、御存じの分を教えてください。
つまらない情報という部分が却って大事だったりするから、
なんでも OK です。
Commented by のら at 2012-08-04 10:51 x
内野にいかれるんですね♪
定番は内野宿なんですかね。神功皇后伝説でいうと大根地神社なんでしょうね。
あまり詳しくないので検索したら内野宿内?に太宰府への道があるそうです。
長崎街道とか?老松神社?キツネ伝説とか
Commented by lunabura at 2012-08-04 23:01
そうそう。大根地神社がルート沿いなんですよね。
一度ルートを間違って通ったのですが、今回は車を止めながら行ってみようと思っています。
情報ありがとうございます。 (^-^)
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