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ひもろぎ逍遥

荒船神社(1)阿志岐山城の麓の宮


荒船神社(1)
福岡県筑紫野市阿志岐手原1051
阿志岐山城の麓の宮

♪ 思いすごしも恋 それでもいい 今のうち~ ♫
そんなサザンの歌ではないけど、今回は勘違いからスタート。

この荒船神社の存在はくるま座さんから聞いたのですが、
私は彼の話を聞いて、これは船着場だと勝手に思い込んだのです。

そして行ってみてびっくり。
国道35号線を曲がると私があれほど撮りたかった宝満山のビューポイントがありました。
宝満山が見事な神奈備山に見える所だったのです。
車を止めて見回すと360度の展望に興奮。まずはご覧あれ。
ここは阿志岐(あしき)なのです。

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中央が宝満山(829m)。
宝満山御笠山とも呼ばれるので、「御笠の山に昇る月かな」と洒落てみたいけど、
残念ながら真北なので、月は昇りません。

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これは西~南西の方向。夕陽が沈む方向です。
左から基山?中央の奥が背振山。右手前が天拝山?
(地図を見ながら当てはめました。違ってたら教えてね。)

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そして、これが東。宮地岳です。
そう。最近ニュースになった阿志岐山城がある山です。
かつてはこの山も御笠山と呼ばれていた証拠がくるま座さんの地道な研究で3つほど見つかりました。

この山は場所によっては三角錐の神奈備型に見えるのですが、現地ではそうは見えませんでした。

そして今日、目指す荒船神社はこの宮地岳の右端です。
銀色の三角屋根がキラキラと見えているのが分かりますか。

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車に戻って道なりに進むと橋に出ました。宝満川です。
ここで散歩している人に神社を教えて貰いました。
ここからも銀色の三角屋根が見えています。
橋を渡って右折してすぐのはずですが、鳥居が道沿いに無いので、
行き過ぎてしまい、往復するうちに、ある角度から鳥居が見えて、やっと行き着きました。
民家の庭を通って行きます。これしか道はありません。

荒船神社(1)阿志岐山城の麓の宮_c0222861_2347381.jpg

正面に廻り込むと、いかにも古社の風情。

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扁額に荒船神社と書いてありました。明治時代の築造です。

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石段は急です。

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石畳がいい味を醸し出しています。

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拝殿に上がって参拝しました。
ところが御祭神が分かりません。

いつもの『福岡県神社誌』を見るけど、掲載されていません。
こんなの初めて…。
資料館に行って、筑紫野市史を見たのですが、不明神だと言う事が分かりました。
荒船社(阿志岐)
阿志岐の宝満川沿いの小高い丘の上にある。『続風土記付録』によれば、この社があるところはヤクジンモリ(疫神森)と呼ばれていた。側を流れる川を当時は「あら舟川」といい、そこから荒船社と名付けられたようであるが、地名から推測するに本来疫神を祀った社であったと思われる。

もともと疫神は治病、あるいは災害防除の神として祀られる例が多く、はやり病などに効く神として信仰されている。現在地元では牛馬の神として信仰されており、疫神としての性格は伝えられていないが、明治時代には雨乞いに効く神とされ祈願に訪れる参詣者が多かったそうであり、災害防除としての疫神の性格を窺い知ることが出来る。

念の為にくるま座さんにもう一度確認。
1月15日近くのどんと焼きの祭の時に氏子さんに尋ねたそうです。
今の若いもんは信じないだろうが、唐の船が行ったり来たりした。
江戸時代まで疫神社だったが明治になって本来の荒船神社に戻った。
下を流れる宝満川をエキジンフチと呼んでいた。

この時点で、船着場だというのは私の勘違いだと判明しました。

それにしても…「唐の船が通った」とは。
赤司八幡神社でも全く同じ言葉を聞いた事を思い出したのです。

もっと具体的に何か分からないだろうか。
そう思うのですが、行き止まりです。

それでも、シンクロニシティーの神は私に微笑んでくれました。
(つづく)


地図 阿志岐 荒船神社








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Commented by きりん at 2012-08-31 18:49 x
阿志岐をゆったりと流れる宝満川は私の大好きな風景のひとつです。
この風景は、梅ノ木屋敷のキリンのお話の中に出てくる「都の東の川の水場」のモデルの風景でもあります。東の川の青い龍は、阿志岐(あしき)の地名に因んで葦(あし)の城(き)ねぐらに棲んでいます。
阿志岐で以前撮影した石碑の画像がありますのでお送りしますね。
Commented by lunabura at 2012-08-31 21:18
へえ。青い龍のねぐらがここなのですね。
現地を見るとなるほど~と印象が深くなります。
清らかな里です。
神社巡りをしなければ一生知らずにいたかも知れません。
いただいた画像を見ましたが、35号線の傍にあったのがこれですか?
道路工事の記念碑かと思ってスルーしました。
阿志岐駅の場所は特定されているのでしょうか。
現地に立ってみたいです。
Commented by きりん at 2012-09-02 06:03 x

「玉匣(たまくしげ) 蘆城の川を 今日見ては 万代までに 忘れえめやも」

阿志岐を詠んだ万葉集歌です。

古の歌人も同じ地点から宝満山の遠望を眺め、阿志岐の せせらぎを愛でたのかと思うと、なんだか嬉しくなってきます。


たまくしげ【玉櫛笥/玉匣】

[名]くしげの美称。

玉匣ーたまくしげー玉櫛笥ー枕詞。
「たま 」は美称。櫛を入れる箱。
ふた・はこ・ ひらく・おおう・あく・おく・み、など にかかる。
蓋に対する「身」から、 「身」「二上山(ふたがみやま)」「三諸(みもろ)」にかかる枕詞。
大切なものの意から、「奥に思ふ」にもかかる。

「珠襦玉匣(しゅじゅぎょっこう」

意味。 昔、高貴な人の死を送るに際して、玉を綴った短衣(珠襦)や、玉を飾った美麗な箱(玉匣)をもってしたことから、一般に美しく、きらびやかなもののたとえとしていう。

・・・そういえば、浦島太郎のお話にある乙姫様の玉手箱は玉匣 のことだと伺ったことがありました。

宝満山に祀られる玉依姫命も海神の娘ですし、玉つながりで、玉匣は宝満山に掛かった枕詞かもしれませんね。
Commented by きりん at 2012-09-02 06:07 x

>阿志岐駅の場所は特定されているのでしょ うか。 現地に立ってみたいです。


推定値の画像を見つけました。
石碑からはそれほど離れた場所ではないので、ルナさんの視界にも入っていたかもしれませんね。

http://achikochitazusaete.web.fc2.com/manyoukochi/fukuoka/asiki.html
Commented by lunabura at 2012-09-04 13:39
きりんさん。万葉歌の紹介ありがとうございます。
現地に立つとその歌の意味がひとしお迫ってきます。
「玉」か…。なるほど。「玉依姫」を背景に読み込んでいますね。
「あれが玉依姫を祀る宝満なんだ…」という感慨が伝わって来ます。

推定地の画像のサイト、見つけてくれてありがとうございます。
ここは行ってみたいですね。
四首を読むと「荒磯」などが出て来るので、万葉の時代はまだまだ川幅が広かったのでしょうね。
木簡が出てきた国分も河原だったので、広い川で蘆が川岸を覆うような光景が目に浮かびます。
Commented by 菊池川流域地名研究会 牛島稔太 at 2013-04-21 08:14 x
筑紫野市の牛島の地名を考察する中で、阿志岐(蘆木の駅)、針摺瀬戸、真鍋大覚先生、宮崎康平氏の二日市水道についてネット検索をしていたところ、ひもろぎ逍遥様の記事に遭遇し、大感激してしまいました。
あしき=舟人から、 蘆城駅(あしきのうまや)への繋がりがよくわかりました。また、荒船神社が牛馬神となって祀られていることにも納得です。ありがとうございます。
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/voyage4.htm 
Commented by lunabura at 2013-04-21 21:15
牛島さんはじめまして。
HPすごい研究ですね。記事がお役に立てたなら幸いです。
ところで、荒船神社はどうして牛馬神と繋がるのですか?
よろしかったら教えてください (^-^)
Commented by 菊地研 牛島稔太 at 2013-05-02 10:51 x
ご返事が遅れて恐縮です。
阿志岐(荒船社)が船付き場であったとすれば、船による輸送と牛馬による輸送の交錯点(ターミナル)となり得るわけですから、牛馬の往来も盛んであったのではないかと思った次第です。
Commented by lunabura at 2013-05-02 20:11
なるほどですね。
神社誌を見ていると、グタグタ病というのでしょうか、
今の口蹄疫のような病が流行したらしく、
各地でスサノオが祀られていますね。
ここもまた、牛馬の力を借りて輸送をしたのでしょう。
牛馬が元気で働けるように祈ったとしたら合理的です。
教えていただいてありがとうございます。
Commented by メガネ at 2013-09-24 02:21 x
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Commented by カルバンクライン at 2013-09-24 02:22 x
アルマーニ
by lunabura | 2012-08-30 23:54 | 神社(ア) | Comments(11)

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