人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

ひもろぎ逍遥

永尾剱神社(1)不知火が現代でも見える宮


永尾剱神社(1)
えいのおつるぎ
熊本県宇城市不知火町永尾
不知火が現代でも見える宮 

今回から、熊本県の天草北部の旅です。
久留米地名研究会主催の、
観光旅行では味わえないマニアックな古代の旅に参加しました。

最初は永尾剱神社です。「エイノオツルギ」と読みます。
「魚のエイの尾」を思い浮かべますが、
まさしく地形がエイの尻尾のように細長くなっています。

永尾剱神社(1)不知火が現代でも見える宮_c0222861_13203923.jpg

これが神社の杜で、右の方から撮りました。
左端に一の鳥居があります。

永尾剱神社(1)不知火が現代でも見える宮_c0222861_13205583.jpg

国道266号線沿いです。
しかし、社殿は海の方を向いているので、ここから登ると神殿の裏側に出ます。
そこで右脇の路地から杜の麓に沿って歩いて、裏というか、正面に廻って行きました。

永尾剱神社(1)不知火が現代でも見える宮_c0222861_13211276.jpg

突端付近です。神社はこの崖の左奥に建っています。
地層を見ると波が岬を侵食しているのがよく分かります。
よほど激しい波が立ったのでしょう。上の方も侵食しています。
でも、ここは入り海です。八代海です。
津波でも入って来たのでしょうか。
津波は奥に入るにつれて巨大化するという話を思い出しました。
もう海のそばです。

海の中の鳥居が目に飛び込んできました。
永尾剱神社(1)不知火が現代でも見える宮_c0222861_13213052.jpg

社殿が海の方を向いているので、こちらの方が一の鳥居かも知れません。
海から参拝するようになっています。
海の向こうに見えるのは九州島です。熊本県が見えています。

後ろを振り向くと
永尾剱神社(1)不知火が現代でも見える宮_c0222861_13214823.jpg

海からまっすぐ上る急な石段がありました。

永尾剱神社(1)不知火が現代でも見える宮_c0222861_1322122.jpg

石段を登りつめると、二つ目の鳥居がありました。

永尾剱神社(1)不知火が現代でも見える宮_c0222861_13222653.jpg

境内に出ました。

永尾剱神社(1)不知火が現代でも見える宮_c0222861_13224056.jpg

拝殿です。
御祭神は海童神(わだつみのかみ)(神武天皇の御母様)
    菅原道真公外三柱
です。

なんと道真公の名前がここにも。
前回まで飯塚市や嘉麻市の神社を書いたのですが、
そちらでも道真公がよく祀られていました。
「道真公信仰」は古代筑紫を見て行くのに、これまたキーポイントなんですね。

さて、何よりも主祭神の名前に驚きました。
「海童神(神武天皇の御母様)」です。
「海童神」(わだつみのかみ)といえば志賀三神・綿津見神でした。
なのに、「神武天皇の母」となっています。
母といえば玉依姫ですよね。むむ。
どうしてこうなっているのだろう。

玉依姫の父神は豊玉彦。豊玉彦といえば海神です。
その童だから海童神というのでしょうか。
これは興味深い名称に出会いました。

さてぐるりと境内を見回すと説明板がありました。

永尾剱神社(1)不知火が現代でも見える宮_c0222861_13232617.jpg

神秘の火 不知火(しらぬい)
不知火は、今から千数百年前、景行天皇九州に御巡幸のとき、暗夜の八代海上に天皇を導き、無事火の国の海岸へお誘いした怪火がそのはじまりで、以来この主知らずの火を不知火と呼ぶようになった。(日本書紀)
不知火は毎年八朔(旧暦8月1日)の未明、干潮時に現れる。
今年の八朔は9月15・16日です。
不知火がここから見える!!しかも現代でも!
予備知識なしに来たので、驚きました。
ここはビューポイントなんだ。

永尾剱神社(1)不知火が現代でも見える宮_c0222861_13234240.jpg

あいにくの曇天ですが、ここから不知火が見えるのでしょう。
しかも日本書紀の景行天皇紀に描かれた不知火です。
拝殿には不知火の写真がたくさん奉納されていました。

永尾剱神社(1)不知火が現代でも見える宮_c0222861_1324054.jpg



景行天皇と不知火について、
取り敢えず、日本書紀から該当部分を読んでみましょう。
5月1日に葦北から船を出して火の国に着いたのですが、日が暮れてしまい、暗くて岸部が分かりませんでした。遥かに火の光が見えました。

天皇は舵取りに、
「まっすぐ火を目指せ」と言いました。
そこでその火を目指して行って、岸に着く事が出来ました。天皇はその火の場所を尋ね、
「何というムラか。」と言いました。国の人が
「ここは八代の県の豊村です。」と言いました。
またその火について、
「これは誰が焚いた火か。」
と聞きましたが、誰なのか分かりませんでした。
結局、人が焚いた火ではないことが分かりました。こうして、その国を火の国と言うようになりました。

6月3日に高来の県から玉杵名のムラに渡りました。その時、土蜘蛛・津頬(つつら)を殺しました。

16日に阿蘇の国に着きました。その国は野が広く遠大で、人家がありませんでした。天皇は
「この国に人はいるのか。」
と言いました。その時、二柱の神が出て来ました。
阿蘇都彦・阿蘇都姫と言いました。たちまちに人間の姿を取って現れて、
「吾ら二人がいる。どうして人がいないことがあろうか。」
と言いました。この事から、その国を阿蘇と名付けました。

「人が焚いたのではない火」
これが不知火(しらぬい)ですが、文面では5月1日になっています。
現代では8月1日です。
不知火の現象を伝承に取り込んだのでしょうか。
あるいは暦の計算の違いなのか、時代の差か、昔は毎月1日には出現したのか、
いろいろ想像すると、また謎だらけになりました。

(つづく)









ときどき、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
永尾剱神社(1)不知火が現代でも見える宮_c0222861_15184581.gif


by lunabura | 2012-10-31 13:27 | 神社(エ) | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『豊玉』『星の迷宮へのいざない』   Since2009.10.25