2013年 02月 11日
大歳神社 豊玉姫幻想
大歳神社
豊玉姫幻想
初めての宇土半島の旅。
海が左に見えたり、右に見えたりして
どこをどう走っているのか、方角が分からなくなりました。
車が橋を渡った時、川下が何となく海に繋がる陽光を帯びていて、
海に近い所に出て来たのが分かりました。
降り立つと、人の営みのある山里の光景。
いよいよ阿蘇ピンク石の採掘現場へ向かいます。

道は舗装されて緩やかな登りになっていました。
そして、右側の巨木に目を奪われました。

「歳の神のクス」と言って、幹まわりが14メートルもあるそうです。

反対側に廻り込むと、その長寿ぶりに驚かされます。
中は空洞になっていて、これまで逍遥した
神功皇后関連の宮にある古いクスノキを思い出しました。
宇美八幡宮でも、忌宮神社でも。
風浪宮でも、松峡八幡宮でも、
千年以上たったクスノキは、こうして洞になっていました。
九州の古き宮々とクスノキが切っても切り離せないのは、
それが船の建材になるからです。
真鍋大覚は、
クスノキが空洞になりやすい性質を利用して古代の人は船にしたと言います。
だから、クスノキは海人族たちにとって聖地のしるしではないかと
考えるようになりました。
まさか、ここでクスノキに会えるとは。
クスノキを見ると胸キュンなのです。
今、この写真を見ると
右の枝の穴が亀の目のように見えて来ましたよ。

一の鳥居に廻り込みました。石の鳥居がピンクです。

ほら、これが馬門の阿蘇ピンク石。
棺だけでなく、聖なる鳥居にも用いられていました。
9万年前の阿蘇山の火砕流で出来た石らしいです。
その火砕流は福岡県の那珂川町にまでも届き、
安徳台という台地をも作ったのを思い出します。

扁額には大歳神社と書かれています。
額が装飾されていて、珍しいです。

拝殿と境内です。境内の奥がぐっと下がっているのが、
古代の海岸線だと思われます。

そして神祠です。
祭神は古川清久氏の調査によると、
「祭神は大歳神とされ農業神のようですが、併せて石作神と豊玉姫が祭られています。」
ということです。
さらに、
「この馬門の大歳神社は住吉神社の宮司が兼務されておられますが、
お話によると『異形のお楠が祭神だったのではないか』との事でした。」
とありました。
有明海・諫早湾干拓リポート 「馬門」
http://ambiente.la.coocan.jp/ss0242/03/03_01/ss0242_3_01.htm
あのクスノキが御神体の時代があったのかも知れません。
そして人々の生業の変化とともに、祭神の変遷もあったのでしょう。
石作神はピンク石を切り出す人々の神。
当然ながら大歳神も祀っているのでしょうが、
大歳神を調べても、よく分かりませんでした。
るな的には
大歳神の兄弟神がウカノミタマと聞いて、
これは「隕石と暦」のシンボルだと思ったのですが。
ウカノミタマは稲荷神社に祭られますが、
お稲荷さんは「玉」と「巻物」を口にくわえています。
これが、「隕鉄」と「暦」のシンボルです。
そうすると、物部氏のシンボルともなります。
大歳神が「暦」の神だとすると、農業の神に発展して行きます。
古川氏の論文では、
大歳神をニギハヤヒとして論を進めてありました。
これでも、やはり物部氏の神となります。
もう一柱の神は豊玉姫です。
あれ?
ニギハヤヒと豊玉姫!
またシンクロニシティだ。
今、志式神社の手直しをしているのですが、
その祭神の中に火明神(ニギハヤヒ)と豊玉姫が祀られているのです。
この宮の神々は「荒ぶる神」として祀られています。
それを神功皇后が神楽で御慰めしました。
七日七晩も。
そして一つの謎が生まれました。
それは、神功皇后が安曇磯良を説得するために
志賀海神社でも舞っているのです。
どっちが本当だろうか。
それとも両方で舞ったのか。
志賀海神社は現在の場所ではありません。
当時は志賀島の北端にありました。
勝馬海水浴場で知られる浜の右側です。
大戸小戸と言われ、神遊瀬と呼ばれ、イザナギ神が禊をしたと伝える浜です。
舞の話が二か所でどうして伝わっているのだろうか。
その謎にぶち当たっていました。
そこで、こうして気分を変えて馬門の大歳神社の記事を書き始めて、
「ニギハヤヒと豊玉姫」という共通の神が祀られていることを知ったのです。
この共時性に思いを巡らすうちに、自分なりの答えが出ました。
豊玉姫。
天上にあっては、北極星のない時代に、妹の玉依姫と共に
ポラリスとツバーンとして、海人族たちの守護神となっていました。
地上に在っては干珠満珠として、息長足姫(神功皇后)を援けました。
海の神の秘宝、干珠と満珠。それが豊玉姫と玉依姫。
豊玉姫は海神の娘。
哀しき姫神。
子供を生んで海神の宮に戻らねばならなかった。
祭りの日だけ亀となり、鮭となって子に会いに行く事が許された女神。
そしてその哀しみを受け継ぐ安曇磯良。
安曇磯良は白い布で顔を覆って出て来る神。
醜さを隠していると言われていたが、それは偽りで
本当はシリウスのまばゆい輝きを象徴した姿だった。
海の民は夜空の星々こそ我らを導く神々だと敬愛した。
神功皇后は安曇族の援助が無くては玄界灘を渡れない。
なかなか姿を現さない安曇磯良について、
私は皇后軍の戦いに興味が無かったのだろうと思っていたが、
そうではなかった。
荒ぶる神となったニギハヤヒと豊玉姫の事情を深く知っていたのだ。
その原因は神功皇后の祖先によるものだった。
だから志賀海神社の元宮まで出掛けて行った皇后の依頼を
おいそれと受け入れられなかったのだ。
しかし奈多の浜で七日七晩、荒ぶる神々に奉仕する皇后を見て、
ようやく磯良の心が融解した。
あの静かな渚で心を込めて奏でられた楽曲は波を越えて、
どこまでも鳴り響いただろう。
音楽の好きな安曇磯良はついに心を開いた。
そんな答えが生まれました。
新羅からの帰路に、磯良の船は十域別王(ときわけおう)たちを送って
西海を通って行ったと推論しています。
その航路をさらに南下するとこの馬門に着くのです。
ここから積み出された石棺を近畿に届ける船乗りに安曇族が加わっていた事でしょう。
瀬戸内海は住吉族たちの庭。
この二つの海人族はあの神功皇后の新羅戦の時に、
深く結ばれていたのでした。
しかし板底一枚。その下は地獄。
男たちは何としてもやり遂げて、生還しなくてはならなかった。
そんな船乗りたちは、この古代の湊で祈ったのでしょう。
われらが守護神 豊玉姫 守り給えと。
馬門
前回
王たちのピンクの石棺と古代船・海王 熊本県 宇土マリーナ
http://lunabura.exblog.jp/18822763
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