2009年 11月 08日
伊野天照皇大神宮 4
今日は伊野天照皇大神宮を見直ししています。
以前、どんな本を読んでいるのかというコメントがあったのですが、
今日の資料はこんな感じです。

日本書紀と古事記。
そして白い紙の束が現在手直し中の原稿です。
一センチくらいの厚さです。
これが小説の時は4センチほどの厚さがあったのが、十日ほどで片付いたのですが、
ガイドブックの方は厳しい道のりです。
青い本は伊野天照皇大神宮の縁起書です。
今日、伊野天照皇大神宮を手直ししていて、
この貴重な縁起書が手に入った御縁を思い出しました。
当宮は正式名は天照皇大神宮というそうですが、
普通は伊野神社と言って親しまれています。
いついっても掃き清められていて、
台風の翌朝行った時、すでに落ち葉が掃かれていたのに感動しました。
それを知人に話したら、なんとその掃除は知人の親戚の方がされているとか。
当番制で、毎朝、早朝に大変だそうです。
たまたま、私は、何かの本で、
「神社の掃除など奉仕する方に神恩は必ずあるが、それは本人にとは限らない。
その家系の、一番困った人に神の恩寵が届くようになっている。」
という内容を知ったばかりなので、その話を伝えました。
そうしたら、ある日、伊野天照皇大神宮の縁起書が玄関に届けらていました。
それが、写真の青い本です。
「九州のお伊勢さま 伊野皇大神宮誌」というタイトルです。
これは非売本でした。
このような本の御縁をいただいて、本当にうれしかったです。
それで、ブログ記事に少し引用できたのですが、
今、改めて読み直すと、
私も少し歴史が分かり始めたようで、
内容がかなり理解出来るようになっていました。
その一部をまとめてガイドブックの方に書いている所ですが、
驚いた事に、石田三成が当宮に何度も参拝していたんですよ。
島津義久の薩摩兵によって、福岡はあちこち焼打ちにあっていますが、
当宮も兵火にあって、再興できずにいたので、
石田三成にかなり期待がかかったようですが、
まもなく家康の命令で福岡を去ってしまい、人々はがっかりしたそうです。
いったい何人の人がこの素晴らしい縁起書を読んだことか。
それほどはいないでしょう。
こうして私の手元に来たのは、きっと、書きなさい、
この神宮の素晴らしさを多くの人に伝えなさいと言うことなのでしょうね。

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また楽しみが広がりました。
神社は精霊とひとの営みで保たれているのですね。
自然だけでもない点が神社という特別な世界の特徴なのでしょう。
ここは江戸時代に遷宮したとはいえ、
境内を整地中に岩の下から鏡がでてきたそうですから、
やはり格別な聖地だったのでしょう。
案外、神功皇后が置いた鏡だったりして。 (^-^)









