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三女神の伝承の宮々(3)英彦山神社編


三女神の伝承の宮々(3)
英彦山神社編

英彦山は何回も登った山ですが、ブログを書き始めてからは一度も行っていません。
気になる伝承はあっても、まだ手つかずです。

ブログの記事も書く時間が取れないピンチの時に、
桜もちさんが、コメントを下さいました。

それをまずはUPしますね。


桜もち

彦山修験道の縁起の原文抜粋です。

『鎮西彦山縁起』
此三女神奉日神之勅降宇佐嶋、後移此山焉。
爰大己貴神更娶田心姫命・瑞津姫命為妃鎮座此山北嶺、因称北山地主也。

市杵嶋姫命鎮座于山之中層也。
于時天忍穂耳尊霊為一鷹自東飛来為止于峯。(中略)

於此大己貴命献北嶽於忍穂耳尊、自率田心・瑞津二妃降居山腹日子号。(中略)
爾後三女移宗像宮大己貴神遷許斐山。

『彦山流記』
甲寅歳震旦国天台山王子晋旧跡東漸。(中略)
其乗船舫親在豊前国田河郡大津邑、今号御舟是也。

著岸之当初香春明神借宿、地主神称狭少之由不奉借宿。(中略)
即時権現攀登彦山之曰、地主神北山三御前我住所権現奉譲之間。

暫当山中層推下後、後移許斐山給。
金古七年丙申歳敏達天皇之御宇也。


『豊之前州彦山縁起』
此山中宮市杵嶋姫与安芸厳島神同体、本地弁才天(以下略)

この英彦山から許斐山(福津市八並と宗像市王丸の間の山)の途中に『日王山』があります。
…日若神社の記事に書かれていた場所です。

※携帯で入力したので…誤字脱字があるかもしれません。


るな

桜もちさん、やばい。
ここにも鷹が飛んで来たって?
これはオープンで行きましょう。
でも、あと一週間手が付けられません。 (+_+)
その間に、解説と意見を入れてくださいませ。訳も。
編集して、記事に出して、みんなで考えましょうよ。



桜もち

では!『公開討論』ということで。

ご存知の通り、私の文章力で『訳』は無理ですっ!
原文のまま記事にされた方がダイレクトに伝わると思います…(涙)
その代わりに、問題提起をさせて頂きます。
…これなら私の拙い文章でも大丈夫ではないかと。…たぶん。

ところで!他にも『鷹』の話があるのですか?
田川の古称は『鷹羽』ですよ。
因みに、英彦山の隣は『鷹ノ巣山』…豊前坊(高住神社)のある山です。

では1週間かけて(笑)…私の個人的意見と、討論すべき問題点をコメントさせて頂きますね!



るな

桜もちさん、それではこの上の非公開コメントを記事にしてUPするので、
その下にコメントを入れて行ってください。
討論にはならないと思いますが…。




ということで、よろしくお願いします。 るな




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by lunabura | 2015-01-19 20:01 | 三女神伝承の宮々 | Comments(16)
Commented by 愛読者 at 2013-03-30 18:19 x
 「金古七年丙申」は九州年号「金光七年丙申(576)」のことで、この年九州年号は「賢称」に改元されており、従って賢称元年でもあります。(たしか「修験道史料集II」昭和59年では「金光」となっていた記憶が・・)。
 この年許斐山(このみやま)(福岡県宗像市王丸と福津市八並にまたがる山)に何らかの宮を造ったことによる改元かも知れません。後代、宗像大宮司家が許斐山城を築城しており、もともと何らかの遺跡(山城等)があったのではと推測出来るからです。
Commented by lunabura at 2013-03-30 21:00
愛読者さん、こんばんは。
「金光」があの九州年号なのですか。
ついにお目にかかりました。
教えて頂かないと、分からないままでした。

ところで、許斐山には不動岩タイプの巨大な磐座があります。
不動岩と勝手に呼んでいますが、柱のようなタイプで、
山の崖と微妙に離れています。
知人がその岩の頂上にジャンプして、上を見たら、
穴があって、油を燃やせるようになっていたと言いました。
日天宮の御神体岩の頂上のイメージです。
山頂には磐座があったに違いないのですが、築城のために
フラットになっています。
Commented by lunabura at 2013-03-30 21:06
桜もちさん、こんばんは。
鷹ですが、御勢大霊石神社で仲哀天皇が祭祀をしたとき、鷹が飛んで来て、北の方に飛び去って松の木に止まりました。
不吉な知らせだったと、神功皇后はそこに隼鷹神社を祀っています。
サイドバー ⇒ みせたいれいせき神社 と はやたか神社 をご覧ください。
その鷹は高木の神で、高良山の高樹神社から飛んで来たと想定しています。
高樹神社は高良の神に一夜の宿を貸して、神籠石で結界を張られて戻れなくなった高木の神を祀っています。 ⇒ 高樹神社

それと、羽白熊鷲を地元の人が祀ったらしい矢埜竹神社(やのたけ)の神殿の裏の祠が並び羽の紋です。 ⇒ 矢埜竹神社
Commented by 桜もち at 2013-03-31 00:32 x
るなさん、こんばんは。

新情報が盛り沢山で嬉しいかぎりです。
北部九州の古代・神々については全くのド素人(古代ギリシャなら少しは…)なので、今後も御教授お願いします。

ところで!
『神紋』繋がりで思い出したのですが、香春町採銅所の高巣にある古宮八幡神社(祭神:豊比め命)も確か鷹の羽だったと思います。写真のデータも消失したのでウルオボエ…。
Commented by lunabura at 2013-03-31 20:27
桜もちさん、こんばんは。
古宮八幡神社も豊比咩命なんですか。鷹の羽根…。
なるほど、だんだん妄想パズルが繋がってきました。
英彦山縁起のお蔭で、一気に神功皇后の前の時代が浮かび上がってきそうですね。
Commented by 桜もち at 2013-04-01 23:28 x
るなさん、こんばんは。

神紋、確認してきましたよ。『クロスした(×印)羽』でした。拝殿の隣に鷹の像(隼にしかみえないのですが、ここは鷹羽の地。)があるので間違いないと思います。
ついでに、現在地に移動する前の場所と、その大元と言われる阿曽隈社の場所、内行花文鏡がでた宮原遺跡の位置関係も確認してきました。
この採銅所は、古宮八幡の社伝と、香春神社の社伝と祭神とをセットで考えないといけないようです。

私も以前の考え方を改めないと…。
Commented by lunabura at 2013-04-01 23:35
「違い鷹羽」はたしか、阿蘇のタケイワタツの命関連…と思ったら、
まさか、阿曽隈神社というのがあるんですか?
どおりで、福岡に阿蘇の神の神社があったりする訳だ。

桜もちさん、採銅所まで行って来たんですか?
御苦労さまです。
まだ、そこまでは行ってません。 
早く行ってみたいな…・。
Commented by 桜もち at 2013-04-02 00:26 x
阿曽隈社の豊比めは、和銅二年に香春神社に勧請されているので現在は石祠があるのみのようです。
採銅所に行かれるのであれば、今月末に神幸祭がありますよ!この古宮八幡の御輿は一見の価値があると思います。私は一度だけ遭遇したことがあります(笑)。

ところで!南区の屋形原の地名由来は、ご存知ないですか?
Commented by lunabura at 2013-04-02 00:33
神幸祭があるんですか。
情報ありがとうございます。
屋形原ですか?
むか~し、聞いた事があるような。
誰か、ブログを見てる方、御存じないかな。
かつて夢に出て来て、すぐその後に現地を通ったので、驚いた記憶がありますが。
で?何ですか?南区に飛んだのは?
Commented by 桜もち at 2013-04-02 01:07 x
南区に飛んだ理由は『太宰府』です…すみません(汗)
あとこれも全く関係ないのですが、高樹神社と古物神社の記事に共通点をみつけたのですが…。この件もそのうちに。
Commented by lunabura at 2013-04-02 20:06
桜もちさん、こんばんは。
あれこれと繋がって、却って手がつけられないんですね。
楽しみにしています。
Commented by 日田も鷹神話 at 2015-06-20 23:26 x
ここで先ほどの大和氏が「秦氏の研究」で英彦山を創建した日田の藤原恒雄の事を書いている。
「朝鮮の始祖降臨の檀君神話にある。朝鮮の始祖降臨神話の主人公が、彦山伝承では語られていたが (但し、「藤原恒雄」と日本人化してはいたが?)、それが、記・紀神話の主人公に変えられて、天忍穂耳命(天照大神と素戔嗚尊の子ども)となり、香春神社の祭神、忍骨命(香春神社の三神の一神)となったのである。『彦山流記』 は、彦山に降臨した「王子晋」 の分身を「天童」というと書くように、王子晋も御子忍穂耳(忍骨)も、同じイメージである。彦山の「彦」は「日子」 で、日の御子の意である」という。

「太古の昔、山々に囲まれた日田盆地は大きな湖であったが、東から大鷹(オオタカ)が飛んで来て、湖の上を飛びまわり北に去ると、俄然と地震で鳴り動いて、昼間であるのに暗闇になり、西の崖が崩壊して、水が抜け涸渇すると平野になり、3つの丘が向かい合うように立ち、水の痕跡は1帯の川に残った。その南の丘を日隈、北の丘を月隈、西の丘を星隈、川を三隈、その場所を日鷹(ひたか)という。また鷹が飛び去った場所を鷹羽(たかは)といい、豐前國高羽郡【現在の福岡県田川市と田川郡】である。」と伝えられています。

日田も鷹羽郡という記述もあります。

日田の神社の行くつくのが日田市内の高住神社(磐座)だと思う。そして英彦山の高住神社。

日田と英彦山と田川は新羅の神でつながる運命がありそうです。

内容は違いますが日田の謎を歴史作家関裕二氏が「封印された卑弥呼の鏡」でも書いている(ワニ文庫、今月発売)

こちらは、膨大な資料ですので、お勉強させて頂きたいと思います。
Commented by 神功皇后 at 2015-06-21 10:29 x
日田には、久津媛(ひさつひめ)という伝承が『豊後国風土記』に記述されているのです。景行天皇を迎えた久津媛という神が人となり現れたという異常な記述です。日田の久津媛神社付近には神功皇后の伝承として、軍勢を集めて三韓征伐に向かった事や、関裕二さんは、久津媛は神功皇后で日田に拠点をかまえていたと言います。コメントはお忙しいと思いますので書かなくてもいいですよ。でも、神功皇后を研究された先生から神功皇后と日田を研究してほしいと思うのです。勝手な書き方お許しください。日田に在住の民より
Commented by lunabura at 2015-06-22 22:11
日田から興味深い話をありがとうございます。
日田盆地の形成は、阿蘇盆地の形成と同じパターンなんですね!
先日、阿蘇に行ったので、内容が分かりました。
これと英彦山と、宗像許斐山に繋がったので、宗像に阿襲津彦が祀られている謎も解けそうです。お話ありがとうございます。

また久津媛は久津媛であってい、神功皇后ではありませんよ。神功皇后から見たら、景行天皇は夫の祖父に当ります。二世代違っているのです。
日田の女王だった久津媛に景行天皇が戦うか、恭順するかと迫り、女王が和平の道を選んだことが、本筋だと思います。日田人民は女王が人民のために景行天皇を受け入れたことに苦悩し、神としたのではないでしょうか。神なら敵を受け入れても傷つかないと。

こうして日田が天皇軍側についたので、二世代後、仲哀天皇と神功皇后が新羅と戦う時に、軍勢を出したと思われます。

日田の鏡の出土地など、いつか訪ねたいと思います。


Commented by 天孫降臨 at 2015-07-04 01:05 x
ご返事誠にありがとうございます。
ご指導大変感謝申し上げます。それぞれのご意見を参照し、これからまとめて行きたいと思います。

最近、新羅の神が舞い降りた香春に夢中。現人神神社は、ひめごそ(新羅)を追って来た都怒我阿羅斯等(伽耶)が祭神されているのが興味津々(都怒我阿羅斯等=猿の神)でした。鏡山神社も、ここで仲哀天皇が亡くなったという伝承も・・・・不思議な場所です。
Commented by lunabura at 2015-07-04 21:48
そうですね。香春岳は重要な所だったと思います。香春神社の大目姫も、神社掲示板では「大自姫」となっていたので、ガイドブックでは後者を掲載しました。
これ一つとっても、多くの論文が変更を余儀なくされることでしょう。
まだまだ謎だらけです^^
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