2015年 01月 19日
三女神 伝承の宮々(5)英彦山神宮3 天台山王子晋がやって来た
三女神 伝承の宮々(5)
英彦山神宮3 天台山王子晋がやって来た
それでは、もう一つの縁起を訳して行きましょう。
『彦山流記』
甲寅歳、震旦国・天台山・王子晋旧跡東漸。(中略)さて、「 」の中がよく分からないです。
甲寅の年、中国の天台山の王子・晋が旧跡を離れて東に向かいました。
其乗船舫親在「豊前国田河郡大津邑」、今号「御舟」是也。
晋が乗った船は「豊前国田河郡大津邑」に繋ぎとめられました。
今「御舟」というのがこれです。
著岸之当初、香春明神借宿、地主神称狭少之由、不奉借宿。(中略)
着岸した当初、香春明神に宿を請いましたが、地主神は狭いのを理由に貸しませんでした。
即時権現攀登彦山之曰、地主神北山三御前我住所権現奉譲之間。
ただちに権現は彦山に登って、「 」
暫当山中層推下後、後移許斐山給。
しばらく、当山の中腹に降りたのち、許斐山に移られました。
金古七年丙申歳、敏達天皇之御宇也。
金光7年丙申の年(576)、敏達天皇の御代のことです。
中味は地主神に譲れと言っているようですが…。
全体的に見ると、漢文も一部、日本語の語順で書かれた雰囲気があるので、
難しいのですが、とりあえず強引に訳しました。
(ばってん博多さん、この辺りどうですか?)
あとは、皆さんのアドバイスを待ってます。
分からなかった点として、
「二カ所の地主神」は、香春明神と英彦山と、別の神のことだろうか?
「権現」とは「王子晋」のこと?
「地主神北山三御前」とは「大己貴と三女神」?
全体を見て見直す必要がありそうですね。
また大津邑は特定されているのでしょうか。

取り敢えず、分かった所だけ、前回の『鎮西彦山縁起』に
『彦山流記』を重ねてみました。
何だか時代が幾層か重なってる感じで、
誰かが権威づけをしたかったようにもみえます。
香春岳経由だということは、鉱山の問題もあるんですね。
最後の一行、「金古」について、愛読者さんのコメントで、
「金光」のことで九州王朝年号だという紹介がありました。
576年の話なので、意外に新しい時代の神々の交代劇となるようですね。
「彦山流記」の成立はどんな意味を持っているんだろう。
「神の山」を「仏の山」にするために、新たなストーリを創作したのかな。
今は、そんな理解です。
でも、一部分だけの訳で結論を出そうとするのが問題じゃね…。
いつか全体をちゃんと読んでみましょう。
今日は、メモ程度。
ビッグネームはや変遷が多くて難しいですね。
同じ英彦山神宮について『福岡県神社誌』の方を見たら、大己貴も三女神の名もなく、
天忍穂耳以外はイザナギ・イザナミが祀られていましたよ。
三女神の名前がようやく中宮にありました…。
いったい、どうなってる?
『豊之前州彦山縁起』
此山中宮、市杵嶋姫与安芸厳島神同体、本地弁才天(以下略)これによると、やはり中宮はイチキシマ姫でした。
英彦山の中宮は市杵島姫が祭神で、安芸の厳島の神と同体で、本地は弁財天である。
以上、分かる所まで。
ところで別件だけど、大発見だったのは、『福岡県神社誌』に、
「英彦山が高千穂と呼ばれていた」と書いてあったこと。
これまた、記憶に留めておきましょう。
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自分の漢語能力はほんとに大したことない前提で
聞いてくださいね。
で、「」内の文確かに意味不明です(笑)
昔の人がこういう書き方をしていたのかもしれませんが、
全体的に中国人はこうは書かないだろうな~という印象です。
「奉譲之間」の部分がこの文の意味が分からなくしてるように思います。
「奉(差し上げる)でもなく譲(ゆずる)わけでもなく、
その中間ぐらいの感覚」という意味でしょうか。
それと、「北山三御前」をひとつの名詞ととらえるのか
「北山三御の前で」という意味なのかでも意味が違ってきます。
中国人が書いたなら「北山三御の前で」という意味になるかと思います。
「我住所」これは中国人はまず使わないでしょうね。
自分なりの訳としては、地主神が、奉(差し上げる)でもなく譲(ゆずる)わけでもなく、
何かを他の人に譲渡した。こんなニュアンスでしょうか。
なんだか力になれなくてすみません。
奉でもなく、譲でもない。
そのニュアンスにこだわった為にへんてこな漢文になっちゃった。
ありえますね。
全く手が付けられなかったので、助かりました。
ありがとうございます。 (^-^)
此三女神奉日神之勅降宇佐嶋、後移此山焉。爰大己貴神更娶田心姫命・瑞津姫命為妃鎮座此山北嶺、因称北山地主也。市杵嶋姫命鎮座于山之中層也。于時天忍穂耳尊霊為一鷹自東飛来為止于峯。後移八角真霊石上、於此大己貴命献北嶽於忍穂耳尊、自率田心・瑞津二妃降居山腹日子号。因茲樹焉。爾後三女移宗像宮大己貴神遷許斐山。又伊弉諾尊・伊弉冊尊為二鷹飛来止于此山。伊弉諾尊移中嶽伊弉冊尊移南嶽三鷹変作石像。頭身足翅皆備如真。見在其処、謂一二三鷹栖者即是也、菊理姫命来臨于此山乃号白山妙理権現。高皇産霊神居現此山惣大行事権現是也。
夫権現、昔者抛月氏之中国渡日域之辺裔給初、遥志東土利生、欲知垂迹和光之石切、自摩訶提国投遣五剣之後、甲寅歳震旦国天台山王子晋旧跡東漸、御意深凌西天之蒼波交東土之雲霞、其乗船舫親在豊前国田河郡大津邑、今号御舟是也。著岸之当初香春明神借宿、地主神称狭少之由不奉借宿、爰権現発攀縁、勅壱万十万金剛童子、彼香春嶽樹木令曳取、因茲枝條蔽磐石露形、即時権現攀登彦山之日、地主神北山三御前我住所権現奉譲之間、暫当山中層推下後、終移許斐山給。金光七年丙申歳敏達天皇之御宇也。
撒き餌をしてはいけません (@_@;)
地域の金石文、貴重な宝ですね。
住職の墓に刻まれていたのですか?
私は、専門家でないので、お答えする力はありません。
イメージとしてなら、
俗にあった時の仏弟子・篤信 はここで終焉した。
(俗名篤信の終焉の地)
というニュアンスでしょうか。
樹の意味が不明です。
あてずっぽうですので、是非とも専門家に確認してくださいませ(^_^;)
早々の対応、ありがとうございます。そして貴重なご助言を頂き、大いに参考にさせて頂きます。
私は、北九州市八幡生まれです。北九州は私の生まれ故郷です。親近感を覚えます。昭和44年、転勤で千葉県君津市に赴任、君津が第2の故郷に成りました。人口約9万、新日鐵で栄えている市ですが、歴史を秘めた興味深いところです。今、この地域の歴史文化を記録に残す活動をしています。残念ながら、知識教養不足、力不足の感否めず。これから不躾な質問やお願いをさせて頂く事があろうかと思います。何卒、趣旨を斟酌頂きご協力下さりますよう宜しくお願いします。
人見庵さん、英彦山付近の方と思いこんでしまいました。
千葉の金石文だったのですね (@_@;)
間違ってごめんなさい。
金石文は全く素人で、人見庵さんと同じ立場です。
でも、訪問者の方々にベテランがいらっしゃるので、
間違っていたら、きっと訂正してくださると思っています。
年号とか、正史にないものが出てきたら面白いですね!
きっと、皆さん、ワクワクと待ってらっしゃると思います。









