ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

2 吉見港 神功皇后が蓋井島の新羅兵討伐に向かった湊


2 吉見港

神功皇后が蓋井島の新羅兵討伐に向かった湊

さて、綾羅木郷遺跡を後にして、191号線を北上。
目指す吉見の手前のラーメン屋で腹ごしらえ。
思いがけず、そこから三つの島が見えました。

c0222861_20461451.jpg

海岸に下りて写真を撮りたかったけど、車の切れ目がなく断念。
波が荒くていい写真が撮れそうだったのにね。
右の島の向こうが目指す「吉見」で、
船を迎える三つの島はまさしく古代からのナビの島。


c0222861_20463785.jpg

さあ、再び車に乗って、吉見港に到着。
massyさんの二年前のコメントを見ると、あの三つ島は加茂島だと分かりました。
その向こうにうっすらと見える影は北九州市です。

では、コメントの一部から。
吉見、吉母の伝説について。
加茂島(帆柱瀬/古宿今昔記)古宿=こすく
海上自衛隊の敷地になっている。岩が三本並んだように見えます。船の帆柱が岩になったと伝えられています。
古宿の海岸で、皇后はこの地に船団を寄せて、宝をこの浜に埋めた。その後、この船の帆柱が岩になって残った。

この一帯の岩は、ピカピカ光る金属のようなものが見える。これは船釘であるといわれ、大正時代、岩をかき取って持ち帰り、神棚に供えている家があった。これを「神さん岩」と呼んだ。大正時代までの子供は、足をよく洗ってから、この岩の上を歩いた。

吉見は、皇后が良き眺めと云ったところから、吉見というようになった。船越からの眺めは、とくに夕焼けがきれいです。船越にも伝説がある。

龍王神社は、征韓前と後に立ち寄ってます。ここの楠で船を造ってます。

下関市綾羅木=神功皇后が三韓征伐之時、この地で「あやら」と掛け声をかけた。これも後世の捏造。「あやら」ってなに?意味不明。

ここは海上自衛隊の基地があるんですね。
古代も今も防衛に大事な所は同じなので、神功皇后や神武天皇の伝承地とよく重なります。
特に船の場合、大型船は湾の深さで入港が制限されるので、重なるのも納得。

新羅が占拠した蓋井島への渡航地ということで見に来たのですが、
皇后の伝承が色濃く残っていました。

この三つ山の島は加茂島と言い、帆柱が岩になったという伝承になっていました。
地名の「吉見」(よしみ)もまた、皇后が「良き眺め」と言ったことから付いたというのですね。
前回までの綾羅木もまた皇后が「あやら」と言ったということですから、ちょっと驚き。

セリフはともかく、豊浦宮から小舟で往来する道筋の手がかりとなると思います。
下関考古博物館の資料によると、弥生時代には小海進期があって、
2メートルほど水位が高かったということなので、島の間を小舟で移動して、
吉見から海洋船に乗り換えたと想定できます。
これなら関門海峡を通らずに済みますね。

c0222861_2048827.jpg

港の突先から陸地を撮りました。
神奈備の良い山があります!
地図を見ると、竜王山のようです。
そうすると麓に竜王神社があって、神功皇后は利用するたびに航海の安全を祈ったのでしょう。
この山からもクスノキを切り出して船を作ったんですね。

蓋井島はここからは見えなかったのですが、
新羅の兵がそこから本土上陸を狙っていたというのですから、
『日本書紀』では分からない状況が見えて来ました。
ここから倭国の軍船が何艘も島を目指して出港したんですね。

仲哀天皇は豊浦宮に7年ほど皇居を構えていたので、
もっと沢山の伝承があることと思います。
Massyさん、お元気かなあ。ようやく現地に立ちましたよ。

地図 吉見  蓋井島





いつも応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2013-06-12 20:52 | 響灘の遺跡めぐり | Trackback | Comments(4)
トラックバックURL : https://lunabura.exblog.jp/tb/20360772
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by HIKO at 2013-06-13 12:01 x
私はかつて下関市東部の田舎町に住んでおりました。
「クスノキを切り出していた」の記事で思い出したのですが、当時下関市の東方に「楠町」(旧厚狭郡)がありました。いまは宇部市に編入されているようです。ここも神功皇后の伝承地なんですね。「船木」という地名も残っているとか。

かつてそこには楠がたくさん生えていて、船を造るために大楠を切り倒した際、その先端が私の住んでいた町(下関市)に達した・・・と子供の頃に聞かされました。また、それが私の住んでいた地域の町名の由来だと。

神功皇后伝説とは、広くて、深いですね。
Commented by lunabura at 2013-06-13 19:58
HIKOさん、こんばんは。
宇部市まで、クスノキ伐採の伝承があるのですね。
クスノキの自生は現在は福岡市東区の立花山とされていますが、
かつてはかなり北部まで自生していたのでしょうね。
豊浦の政権の及ぶ範囲の参考にもなるし、興味深い伝承です。
教えていただいてありがとうございます。 (^-^)
Commented by 山口県出身 at 2013-06-14 22:49 x
こんばんは。
「楠町船木」といえば
大きな楠の木が御神木の「岡崎八幡宮」があります。
ここには日本全国で 伊勢神宮、出雲大社、莫越山神社とこの岡崎八幡宮の四ヶ所しかつくっていない「清酒のお神酒」の醸造所があります。なぜここにそんな醸造所があるのかわかりません。
何かすごい歴史があるのかな…??

くすのき商工会H.Pより↓
http://www.stellar.meon.ne.jp/~kusunokichoshokokai/seinen/okazaki/okazakihatimannguu.htm

中国地方で神功皇后が米作りを習われて大阪に持ち帰られたという伝承もおもしろいなと思います。
Commented by lunabura at 2013-06-14 23:55
こんばんは。はじめまして。
すごい伝統ですね。
お米の作付の季節が想像を絶します。
かつては多くの品種があったことがこれでも明らかです。
『日本書紀』にも、お酒を醸して造った話があるので、貴重な伝承地だと思います。
面白い話をありがとうございました。 (^-^)
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー