2013年 07月 11日
安曇族と志賀島(1)まずは「弘」と金印公園のはなし
安曇族と志賀島(1)
まずは弘と金印公園のはなし
さて、今回は「志賀海神社(9)安曇連の城さがし」
http://lunabura.exblog.jp/20317185/
の続きです。
城の腰
昔、安曇連代々城を築いて、ここに居住されたことによって、そこを城の腰という。
(『香椎宮史』広渡正利)
この一行に魅かれて、志賀島に城を探しに行きました。
現場の写真を撮らなかったので、再訪して撮ってからと思ったのですが、
そうすると印象が薄れてしまうので、先に全体を記録しておこうと思います。

海の中道から見た志賀海神社の丘です。
この海は玄界灘。いつも美しいです!
前日から志賀海神社で戴けるリーフレットの地図とグーグルを突き合わせて、
例の如くオリジナルの地図を作って用意万端。

今回の道案内の方は鹿さんです。
電話で「城の腰を探しているのですが」と尋ねると、
「それなら知っていますよ。弘(ひろ)にあります」
といきなりの大当たり!
ついつい長々とインタヴューしはじめた るなに、
「直接会ってきたら」
と龍さん、あきれ顔。
「あっ、そうですね。鹿さん、今から伺っていいですか?」
「いいですよ。」
厚かましいお願いにOKがでて、いざ弘へ。
(弘なら、「弘ワカメ」が買いたい!絶対忘れないで買うんだから…)

これは志賀海神社で戴ける地図です。
弘漁港から南東に「城の腰」が書かれています。
少し山の中です。
そこに向かう途中に金印公園があります。
金印は公園から浜に下りて行った所で出土したらしいのですが、
多くの人は何故こんなへんぴな所にという印象をもたれるようですが、
そこに立つと、驚きの光景が見えます。
いや、正しくは浜から見た光景です。

そこからは博多湾全体が見渡せるのです。
「こりゃあ、イヤシロチだ!」
そういう印象が忘れられずにいました。
「へんぴな所」というのは、現代人の感覚なのです。
古代、ここは特別な場所だったのではないか。
そんな思いが膨れ上がってきます。
そして、冒頭の一文。
城の腰
昔、安曇連代々城を築いて、ここに居住されたことによって、そこを城の腰という。
安曇の連って、安曇磯良も含まれるはずですよね。
豊玉彦をはじめ、代々の神々の城があってもよいはずだ。
盲点だった。
そして、地図をよくよく見ると、「城の腰」と「金印出土地」は近い。
目検討で約800m。

金印公園の浜から博多方面を見る。
百道の浜のドームなどがくっきりと見えます。

こちらは能古の島や糸島半島方面をみる。
この右手に「弘」があり、玄界灘が広がる。
この写真は暗くて海が荒れているから、ボツにしていた分ですが、
これが思いがけず大事な写真となりました。
というのも、鹿さんの話では、志賀島の古代の重要な湊は「弘」だったというのです。
それは、弘からなら、玄界灘が荒れているかどうかが見えるので、
出港するかどうかの判断が出来たからだそうです。
しかも博多湾の方は底が浅かったため、外国からの大型船は弘までしか乗り付けられず、
弘で荷物を小舟に移し替えて、博多まで持っていったそうです。
大型船は昭和9年から博多に入港できるようになったというのです。
(つづく)
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by lunabura
| 2013-07-11 22:45
| 安曇族と志賀島
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