2013年 07月 29日
「銅の道」と「八幡の道」
「銅の道」と「八幡の道」
宇佐の集合場所が薦神社なので、春日駅から出発した場合のルートを
ゼンリンの地図で調べました。

するとほぼ東西のルートが出て来ました。時間は二時間。意外に近いです。

青いルートが推薦ルートですが、その詳細を見たら、神功皇后伝承のルートと重なってきました。
これは田川あたりですが、左に日若神社がありますね。

これはガイドブックで紹介する神社の一部ですが、87番に日若神社があります。
皇后の一行はここから山越えをして東に進むのですが、神武天皇も同様に通った所なので、
古代の道だと推理した神社です。
このたび再訪すると、ちょうど祭りの準備があっていて、氏子さんに尋ねる事が出来ました。
やはり山道があったそうです。今では道は無くなっていますし、御存じの方も一人だけでした。
その手前の86の綱分八幡宮では、神功皇后は連れていた金工に銅剣を作らせています。
郡誌を見ると、ここは須玖岡本へと続く「銅の道」の要衝だったそうです。
60番の若八幡神社が夏羽が殺された伝承の宮。香春岳の銅と深くかかわっている所です。
香春岳で採掘された銅はこの道を通って西の春日の須玖岡本に至り、剣や鉾に造られたのでしょう。
須玖岡本が弥生中期のものなので、かなり古くから栄えた道だと言えます。
神武天皇や神功皇后が通った古代道は「銅の道」と重なるものでした。
そして現代の私たちは、出発地が春日駅から箱崎駅に変更になりました。

そこでスタート地点を箱崎駅に変更したら、先程より更に直線に近くなりました。
まてよ。さっき地図にチラリと大分(だいぶ)が見えていたぞ。
そうだ、ルートを大分宮経由にしてみたらどうなるだろう。

1番の青い旗が大分八幡宮の場所です。ここで神功皇后は一時的に施政し、連合軍を解散しました。
この道は、筥崎八幡宮から大分八幡宮そして薦神社、さらに宇佐八幡宮に至る道です。
筥崎の元宮は大分宮。宇佐の本宮が大分宮。
これこそ「八幡の道」と名付けたくなる古代道です。
応神天皇の神霊は宇佐から大分宮へと通っていたと託宣があったとか。
奇しくも宇佐を目指す道は「銅の道」であり、「八幡の道」でもありました。
古代の道が拡張されて舗装され、さらにバイパスやトンネルが作られて道は快適になりました。
皇后の道は行橋市から北九州に船で向かいます。
皇后は豊浦宮へ帰還するとき、何故仲哀天皇と通った楽な鞍手経由とせずに、
南の厳しい山道を通ったのだろうかと謎に思っていたのですが、
こうして見ると、「銅の道」を凱旋して通ることに意味があったのですね。
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宇佐神宮についてですが、気になる点があり、ご意見を聞かせてもらえればと思い書き込みさせてもらいました。
それは、宇佐八幡の元宮が大分八幡宮という考えは、宇佐八幡には無いのでは?ということです。
実際、宇佐八幡ではその点には触れていません。大分八幡宮が宇佐八幡の元宮とする根拠は、箱崎八幡宮の神託であり、宇佐八幡の神託では無いからです。まるで、箱崎八幡宮が、自分たちは宇佐八幡と同等であるとアピールしているように感じます。この辺は、政治的・勢力争い的な感が拭えません。まるで、伊勢神宮の外宮が内宮に対し地位向上を図ったことに似ていると思います。
また、個人的には、宇佐八幡は、北部九州の八幡神社(古社系)とは、系統が異なるように感じ、そういった点からも大分八幡宮が元宮というのに違和感があります。
しかし、宇佐八幡の勢力は強くなり、元々の古社が名称に八幡を付けたり(これらの神社は宇佐八幡とは本来別系統と思われます)、全国的に宇佐八幡を勧請するなど(特に応仁天皇・神功皇后に所縁のある地などが後世に宇佐神社を勧請している所など)、八幡神社は全て宇佐八幡が総本宮と上書きされてしまったように感じます。
(もちろん、スピリチュアル的にはわかりませんが・・・。私にはそんな力が全く無いため、そういった感覚がある方が羨ましいです(^―^) )
この辺が、宇佐八幡の成立過程を混乱させている原因と思われます。
また、私見ですが、宇佐八幡は、政治的な思惑から発生・成立している様子があり、通常の神社の成立過程とは、かなり異質な様子を感じます。
お久し振りですね~。 (^-^)
私も同様な疑問と意見を持っていて、それが上手く表現できなかったので、
こんばんわんさんのコメントを見てすっきりしました。 (^o^)/
まだ、きちんと取り組んだ訳ではありませんが、
正八幡神社や曩祖八幡などには、応神天皇の神霊が大分宮に通っていたという神託が出てきたりして、
当初は大分宮が利用されたか、あるいは元宮だった可能性もまだ残っています。
福岡から宇佐に近づくに連れて、八幡に上書きされている神社が多いと感じられました。
在る意味、生きて行く術だったのでしょうね。
今回の宇佐トレッキングは宇佐の前の時代を探るようなものなので、
何らかの発見があるかもしれません。
ところで、このコメント、よろしかったら、本記事の方に書かせてくださいね。
コメント欄ではもったいないですから。
こちらに書き込みしたものは、本記事に書いていただいて構いません。
るなさんも同じ事を書かれていますし、るなさんのブログですので(^―^)
私は、『宇佐八幡』の元宮が大分八幡というのは、通常の成立過程では考えにくいと思っています。
しかし、『応神天皇・神功皇后』の元宮は?となると、宇佐八幡ではないと思っています(所縁がなく、突如祀っています)。そういう意味では、大分八幡宮の可能性を否定しません。
特に、福岡県中部の八幡神社(古社系)は、大分八幡宮を中心に成立している様子があり、当時の大分八幡宮は重要な社であったと思います。
ところで、るなさんの正八幡宮のブログを読ませてもらったのですが、由緒の訳に「応神天皇の神霊が宇佐八幡と大分八幡宮を行きかっていた」とありますが、由緒からは、田川の楠の森と大分八幡宮を往復していたと感じたのですが、この点はいかがでしょう?
今、アップしてくれている香春神社、今後の謎解きに期待します。
正八幡神社の件ですね。
これは宇佐宮であった神託のようです。
実は、この町誌には誤謬が多い事を不知火さんが見つけまして、
その取扱いについてかなり話し合いました。
原典を見つけ出さないと、何とも言えません。
香春神社は思いがけなく、状況が見えて来ました。
それを説明するには、一冊の本ぐらい書かないといけないみたいです。
ウィキペディアを鵜呑みにするのも、これまた危険ですね。(・.・;)








