2013年 07月 31日
若八幡神社(4)神夏磯姫の哀しみ
若八幡神社(4)
神夏磯姫の哀しみ
日若神社から神武天皇などが山越えしたように、
私たちも山越えをするのですが、ナビが二つの道を示したので、
麓の道は古い道だろうと選んだところ、これがやたら狭い道で、
住宅街の中をくねくねと登るような大変な道でした。
ロスタイム20分は間違いなしと気にしたのですが、そこを抜けると夏吉に出ました。
「夏吉」こそ、夏羽が焼き殺されたために「夏焼」という地名になったのを
江戸時代の殿さまが好字に換えてくれたところ。
そこには若八幡神社があります。
左の緑の丘が若八幡神社。主祭神は神夏磯媛(かむなつそひめ)。
神夏磯媛は夏羽から見たら、母か祖母に当たると思っています。
正面の山が香春岳の三山です。
さて、るなにはよく分からない謎がありました。
神夏磯姫は夏吉地区を開発した女神なのだけど、
採銅所は香春岳の向こう側にあるので、
姫が銅開発に関わったのかどうか、分からないままなのです。
多分、神夏磯姫は佐波出身の姫で、景行天皇に無理矢理、
この地域の長に据えられたのだろうと考えるようになっています。
景行天皇は筑紫の女王たちを複数、殺しているらしく、
夏羽の妹の田油津姫の終焉地とされる山門郡(みやま市)では、
葛築目(くずちめ)という女王を殺しています。
神夏磯姫が景行天皇をまつろわなかったら、
多分、葛築目と同じ目にあっていたことでしょう。
そんな背景があるから、夏羽は朝廷に恨みを持ったし、
田油津姫は神功皇后を暗殺しようとした。
『日本書紀』に、神夏磯姫が他の土蜘蛛を景行天皇に訴えたように
書かれているのは、男性社会による捏造であって、
真実はそんなものではなかったと思っています。
きっと姫は真実を知ってほしいと思っていることでしょう。
この日は参拝する時間がなく、鳥居前でおいとまです。
ほどなく香春岳三山が見晴らせる場所へ。
一の岳は何とも無残です。
地元の人が麻生セメントに山を売却した時、
まさか山そのものを削り取るとは思わなかったらしいです。
そうだよね。山を売ると言ったら、普通は表面の木を売ることを意味しているもんね。
さて、香春岳の周囲に並ぶ三つの宮。
若八幡神社と香春神社と鏡山大神社。
この三つを結ぶルートを走ってみれば、何か分かるかもしれない。
ということで、まだ参拝していない香春神社に行く事にしました。
目指す神社は一の岳の麓にあります。
車は集落の中に入って行きました。 (つづく)
下は過去記事です。
若八幡神社
http://lunabura.exblog.jp/i138/
若八幡神社(1)妹を殺された夏羽は…日本書紀の続きが伝えられていた
(2) 神夏磯媛と香春岳と新羅
(3)夏羽と田油津姫は
鏡山大神社http://lunabura.exblog.jp/16767388/
神功皇后は御霊を鏡に鎮めた
老松神社(みやま市)
http://lunabura.exblog.jp/16895784/
老松神社と蜘蛛塚・女王塚と呼ばれていた古墳ー被葬者は田油津姫か葛築目か
地図 若八幡神社
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お若いのによく御存じですね。私なんかこの間(10年近く前?)それをここ(関東田舎)のお年寄りから聞いて、びっくりしてたんですよ。土地はどうでもいい付け足しだったって。戦時中の?話だったかな?
神話の話はさっぱり分からないけど、いろんな話があって、ここは面白いです。
地元で話を聞いたり、ネットで調べたりすると、驚く話がいっぱいありますね。
昔の話を聞くのが好きなので、いろいろと伺っては紹介しています。
80歳代の方とか、とても興味深い話をされます。
これからも、まだまだ聞きたいです。
神功皇后の伝承や実在した神功皇后などのタイトルで開かれるそうです。
一応切り抜きましたが、
三人のうちお二人の話はすでに聞いてるんですよ…。
阿曇宮司は志賀島の8人の海士のことを御存じなかったから、
ずうずうしくも、資料を送ったりしました。
御活用いただくと嬉しいですが。
神功皇后の足跡を辿って行く事は決っして無意味な事ではないと思います。
私はこのブログを知る前、神功皇后、応神天皇、竹内宿禰は全く知りませんでした(笑)
これまで、何も分からず神社に参拝してました。
御祭神の歴史を知って参拝するようになると、気持ちがすっかり変わりました。
それと、神功皇后伝承のおかげで、美しい福岡をたくさん知りましたよ!