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ひもろぎ逍遥

宇佐トレ(8)薦神社・御神体は池だった

宇佐・安心院トレッキング(8)

薦神社
こもじんじゃ
御神体は池だった

さあ、今回からようやく本番。太宰府地名研究会主催の「宇佐トレッキング」です。

もうすでに集合時間は過ぎていたのですが、神社の鳥居を目前にして道を誤り、
ぐるりと遠回りしてしまいました。
境内の外周の四辺のうち、三辺を回るようにして、ようやく駐車場に到着。

でも道を間違うという事は不思議に後で意味が出て来たりするもので、
今回は、薦神社の神域の輪郭を走って、全体を見回すというメリットがありました。

当社の御神体は何と「池」。「三角(御澄・みすみ)池」といいます。
道路から見えた木々の向こうに見えた池が御神体だったのですが、
結果的に、この時しか見る事が出来ませんでした。

あとで宮司さんから聞いたのですが、境内はかつて50万坪あったのが
戦後、十分の一になってしまったとか。
御神体を養う森をほぼ失うという一大事が当社には起こっていたのでした。

宇佐トレ(8)薦神社・御神体は池だった_c0222861_1802658.jpg

何はともあれ、駐車場に着くと、そばの鳥居から神域へ。
向こうに見えるのは「橋」で、今度のツアーの見どころでした。
気がつかぬまま、走りながらパチリ。

宇佐トレ(8)薦神社・御神体は池だった_c0222861_181148.jpg

あれ、もう一つ大きな門がある。パチリ。

宇佐トレ(8)薦神社・御神体は池だった_c0222861_1813374.jpg

神門がすごい。圧倒されました。桃山様式を残しているもので、国の重要文化財。
「三間一戸の二重門で、初重の前後にこしを付ける」というものだそうです。
   でも、ここからは入れない。
   入り口はどこ?
メンバーの人たちの後ろ姿が見えて、ようやく合流できました。

宇佐トレ(8)薦神社・御神体は池だった_c0222861_182232.jpg

拝殿です。
「二礼四拍手よ」と今、教えられたのに、うっかり二例二拍手してしまいました。
(かみさま、ごめんなさい)

御祭神は
応神天皇
比咩大神 田心比売命・湍津比売命・市杵島比売命
     (たごりひめ・たぎつひめ・いちきしまひめ)
息長帯比売命 (神功皇后)
です。

参拝して振り返ると門がありません。
福岡の神社のほとんどは拝殿に至る参道がまっすぐに付いているのですが、
宇佐ではこのように正面に参道のない宮がほかにも見られました。
これはどうやら勅使道という特殊な道に関連があるようです。

この後、宮司さんからの説明があって、沢山の質問に答えてくださいました。
一部しか書きとめられなかったので、まずはリーフレットから由緒を写しましょう。

薦神社の由緒
薦神社は大貞八幡宮とも称され、霊地である三角(御澄)池を内宮、社殿を外宮と仰ぐ由緒正しい八幡の古社であります。
(略)
養老4年(720)反乱を起こした日向・大隅の隼人に対し、中央政府の征討軍は八幡神を奉じて鎮圧に向かいます。この時、神輿には三角池に自生する真薦(まこも)で造った枕形の御験(神を表すもの)が乗せられていたのであります。

この後も薦枕は八幡神の御験として永く用いられます。薦枕は6年毎に新しく造られ、八幡神とかかわりの深い八ヶ社(田笛社・鷹居社・瀬社・泉社・乙咩社・大根川社・妻垣社・小山田社)を巡った後に、宇佐宮本殿に納められます。

古い御験は下宮に、さらに下宮の古い御験は国東東海岸の奈多宮に納められ、海に流されました。

この八幡神御験の薦枕造替にかかわる一連の神事が、宇佐宮の特殊神事といわれる行幸会であります。
(略)


宇佐トレ(8)薦神社・御神体は池だった_c0222861_1843438.jpg

これは江戸時代の絵図です。池が三つの枝のようになっています。
左から玉澤、鉾澤、鏡澤と言い、それぞれの沢から刈り取られた薦(こも)が
御祭神に合わせて一つずつ作られたそうです。

宮司家は到津家とミヤナリ家で、6年ごとに交代する時に、真薦が新調されたそうです。
一子相伝で、ナガシマ家だけに作り方が伝わり、真薦を作る時には、
下宮に産屋を建てて一か月籠り、最後の一週間は断食して枕を作ったそうです。
しかし、家が途絶えてしまったために、作り方も絶えてしまったとか。

これを伺いながら、私は大川市の風浪宮の神事をずっと思い浮かべていました。
久留米地名研究会で風浪宮の阿曇宮司が話された時、祭の写真を見せられたのですが、
それは船に乗って祭事をするものでした。

この時、船に乗ってから藁か薦で氏子さんたちが枕を作っていたのです。
それは、4~50センチほどの円座で、中が少しくぼんでいました。

あらかじめ作ったものでないので、とても驚きました。

これは祭の最中に枕を作ることに意味があるのだ、と思ったのですが、
それは、福岡市の綿津見神社の謎解きにつながりました。

風浪宮には安曇磯良が新羅戦から皇后を乗せて上陸したという伝承がありますが、
綿津見神社の方は出港地の香椎宮の近くになります。

この綿津見神社は三苫(みとま)という所の海岸の崖の上にあるのですが、
海岸に三つの苫が流れ着いた事からついた地名です。
その三つの苫の由来は、対馬を出港した皇后軍の船団が嵐に遭ったために、
神に祈った時、お供え物を載せて流したものだったのです。

私はその苫をゴザのような織物と考えていたのですが、
はたしてゴザが海上を漂流する事ができるだろうかと謎に思っていたのです。
風浪宮の神事を見て、これは枕形なのだと確信しました。

風浪宮の神事も、船の上で作るのは、あの対馬での嵐の中、
枕を慌ただしく作った神事を再現したものだと思いました。
風浪宮でも、三つの円座に綿津見三神への供物を乗せて海に流します。

宇佐八幡宮の御験もまた円座ではないでしょうか。
もし同じ形だとすると、作り方は風浪宮に今なお伝わっています。
やや変形したとしても、再現ができるはずです。

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これは薦神社の境内社の伊勢宮。鳥居に注目。丸い輪が付いています。
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これが御験を表していると、人から教えてもらったのですが。
真薦が巡る八ヶ社にこの輪がついているようです。


当、薦神社の神事でも最後には御験は流されるのですが、その宮の名が奈多宮
長い読者はもうお分かりですね。
福岡市の綿津見神社の三苫海岸と奈多の浜は続いています。
そこに志式神社があります。安曇族の浜です。
そこで神功皇后は安曇磯良を説得するために、七日七晩の神楽を奉納したのです。

当社・薦神社でも神功皇后が祀られています。
「三つの真薦」で綿津見神社と風浪宮と薦神社は繋がっているのではないでしょうか。




この三角池のほとりに黒男神社があるそうです。
ここでは「くろんど」と読むそうですが、黒といえば竹内宿禰です。

「黒男は竹内宿禰で、築池・灌漑・水田開発の神で、真薦を刈る神事の前に守護神として祀りました」
と「真薦の里めぐり」に、やはり書いてありました。
当地は秦系の子孫の名が多いとか。

竹内宿禰が土木工事したことは各地で語られています。
弓月の君を迎えに行かせたのも竹内宿禰でしたね。ここはその末裔が開発した所なのでしょうか。

こうして書いていると、
まるで神功皇后伝承の宮々の続きでも書いているのだろうかと
幻惑を起こしそうなキーワードに満ちていました。

(つづく)

地図 奈多浜 綿津見神社 風浪宮 薦神社



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Commented by dostoev at 2014-09-08 12:06
すみません、質問です。この江戸時代の三角池の図は、何という絵巻に載っているんでしょうか? そして三角池は「みすみ池」で別に「巳棲池」とも云われているようですが、やはり蛇神の伝承とかあるのでしょうか?
Commented by lunabura at 2014-09-08 21:07
遠野物語さん、こんばんは。^^
この絵図は薦神社のHPから拝借しました。
http://komojinja.jp/index.php?id=8
に掲載されています。

伝承については、今回は資料を探しに行っていないので、手元には何もありません。
追及する方法は…
薦神社に直接問い合わせるか、図書館で調べて貰うか…
でしょうか。
ちょっと大変ですよね。
by lunabura | 2013-08-09 19:56 | (カ行)神社 | Comments(2)

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