2013年 08月 10日
宇佐トレ(9) 薦神社(2)呉橋
呉橋
今思えば、当社は御神体が池なのに、池を遥拝する場所にさえ気づきませんでした。
その中で、水を思わせるのが「呉橋」の存在。「くれはし」と読みます。

これは勅使だけが通る橋だそうです。かつては勅使館もあったとか。
「応永古図(1418~1431)では呉橋は神門の前に描かれ、北側に三重の塔がありました。
現在の呉橋は嘉永3年(1850)に造営され、明治17年に葺き替えのものです」
(真薦の里めぐり)
ということなので、前回の古地図を見てみましょう。

二階建てが神門で、その前の小川に呉橋がかかっているのが分かります。
移動した現在地は鹿が歩いている付近のようです。
その道を右に辿ると、鳥居の前に三人が立っていますが、これが勅使の一行です。
勅使も、ぐるりと回ってこの呉橋を渡って神門を通って参拝したのでしょうね。
勅使道はさらに20キロ先の宇佐神宮へ続くそうです。
「朝廷が宇佐神宮に参向させた勅使は奈良時代に始まり、
平成17年で255回あり、江戸時代までは街道を歩きました」(真薦の里めぐり)
今なお勅使の参向があるということで、各社で準備が行われていました。

奈東さんは、この橋の名に「呉」の字が使われている事に注目しています。
「列島大引率姫氏(呉の大伯)が祀られていたからこそ呉橋があるはずなのです」
と、言われます。
これが九州王朝を証明する鍵らしいのですが、るなには、まだ意味が分かりません。 (・.・;)
勅使道は何処からスタートしているのか。
その最終点に九州王朝がある、そんな話でした。
それは、現在の勅使道と古来の勅使道を明らかにすれば分かる事でしょうが、
そのためには何年もの調査が必要となるでしょう。
るな的には勅使道の存在を初めて知った段階なので、どこをどう結んでいるのか、
さっぱりわかりません。
奈東さんの論文が出来るまで待つとするか…。

神紋 一つ巴
宇佐の古代を知るには、この「勅使道」と「八ヶ社」の理解が必要なようです。
「八ヶ社」とは「田笛社・鷹居社・瀬社・泉社・乙咩社・大根川社・妻垣社・小山田社」です。
その一つ、鷹居社に向かいます。
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