2013年 08月 29日
姫神の謎を追って 3 二女神とは
姫神の謎を追って 3
二女神とは
5 大己貴命と二女神 婚姻
宗像三女神の田心姫、湍津姫、市杵島姫の三人とも結婚しています。
田心姫と湍津姫のお相手は大己貴命。
市杵島姫のお相手は天照日孫(ニギハヤヒの子)です。
ですから、三女神の中の二女神といえば「田心姫と湍津姫」だと考えています。
二女神の新婚の宮は英彦山の北嶽だったのですが、
天忍穂耳命が鷹になって飛来したのでその山を譲ります。
一方、二女神と大己貴命が共に異敵と戦った話が福津市の楯崎神社に出て来ます。
この縁起に三人の間の子供の名前が出て来ます。

系図を書いて見ましたが、二女神のうち、辺津宮は高津姫という名になっていますね。
系図も独特です。
事代主神とかは出雲出身かと思っていましたが、思い込みを捨てて、まっさらの頭で考える必要がありそうです。
人家も全くない半島の奥に鎮座するこの宮の縁起の意味する事は何でしょうか。
田心姫(たごりひめ)の御子たちはいずれも福岡に祀られていますね。
出雲の方ではどうなんでしょうか。
また新たな謎の登場です。
一方、市杵島姫は英彦山では中宮に鎮座していました。
市杵島姫の結婚について知ったのは鞍手郡誌からです。
お相手がニギハヤヒの子となると別の祭祀圏に所属することになります。
以上、二女神と市杵島姫が別々に語られている伝承をまとめてみました。
これらについては「三女神の伝承の宮々 4,5,6」に詳述しています。
http://lunabura.exblog.jp/i203/

実は私は、「宗像氏」をウィキペディアで検索して、
「出雲神の嫡裔、大国主命の神裔として伝えられ、」という一文から、
宗像大社の祭神はもともと大国主命ではないかという仮説を持っています。
地主神が大国主命で、三女神が上書きではないかと。
そうすると、先程の楯崎神社での二女神との共闘も上手く説明できるかもしれないのです。
また、宗像大社の千木が外削ぎであるという件とも上手く照合するのです。
千木が外削ぎか上削ぎかで男女の神を示すと言うのは厳密ではない
ということを前に結論づけましたが、それでも、気になっていたのです。
故百嶋氏も大国主命説を出されていたことから、
るなの周辺では最近、この説がクローズアップされています。
大国主命と大己貴命が同神なのかも、ずっと気になっているのですが、
筑紫で観察している限りでは、同神として考えられているようです。
るな的には別神ではないかという思いが捨てきれません。
6 龍宮の二女神
龍宮といえば、志賀島の志賀海神社が龍の都として古来認識されています。
龍宮の二女神とは豊玉姫と玉依姫です。
しかし、豊玉姫は志賀海神社には祀られていません。
志式神社や対馬に祀られています。
また、二女神の祭祀圏の傾向を見ると、
博多湾から宝満山までの三笠川流域を中心としたエリアには玉依姫が圧倒的に祀られていて、
豊玉姫はその両脇、西の糸島地域、また東の響灘から周防灘のエリアに祀られています。

海神豊玉彦と二女神の父娘がセットで祭祀されているのは
みやま市や田川の風治八幡宮の古伝で見かけたぐらいです。
豊玉彦の名が筑紫では残っていないのを見ると、
何か大きな問題が潜んでいるなと考えています。
とりあえず、今回のテーマの二女神としては、この「豊玉姫と玉依姫」もまた挙げられます。
さあてっと、これで三女神と二女神についての整理が出来ました。
いよいよ、宇佐神宮を離れて安心院に行きましょう。

宇佐神宮 祓所
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建御雷神は先ず事代主を屈服させ海に沈め(船を踏み傾け、天の逆手を青柴垣に打成て隱る)、次に抵抗する建御名方を「周防海(州羽海・諏訪湖ではない)」に追いつめ、筑紫を放棄し宗像に逼塞させた(此の地を除き、他處に行かず)。
そのうえで大国主には、出雲の「本領安堵」を条件に板付・菜畑など縄文の穀倉地帯・半島への交通の要所「筑紫博多湾岸から糸島・唐津」の支配権を得た。
これが出雲神話と天孫降臨神話とを「接合」させた結論ではないでしょうか。
従って「宗像大社がそもそもは大国主を祭っていた」というのは当たっていると思います。多紀理毘賣を娶ったというのも大国主が宗像を支配していた証でしょうね。
「大国主には、出雲の「本領安堵」を条件にし、彼が持っていた板付・菜畑など縄文の穀倉地帯・半島への交通の要所「筑紫博多湾岸から糸島・唐津」の支配権を奪った」
というのが正確な書き方でした。
なお、この建御名方神の話が『古事記』にあって『書紀』にないのは、天武の妻が宗像君善徳の娘だったから憚られたのだと思います。
(『古事記』は推古までですが『書紀』は持統まで書いてあるので・・・)
古代の歴史地図。なるほどですね。
宗像大社、高宮祭で、氏子さんたちが歌った「天ワカヒコ」にもつながりそうですね。
「八乙女は たが八乙女そ 天にます 天ワカヒコの 神の八乙女」という歌です。
何故、宗像大社に伝わるのか謎だったのです。
以前、出雲大社へ参拝した時に購入した『出雲大社由緒略記』を読み直していました。
ご存知だったらごめんなさい(>_<)
本殿横には『神魂御子神社』(かみむすびみこのかみのやしろ)という摂社がありますが、祭神が多紀理比売命で『筑紫社』と言われてますよね。
でも高津姫は見当たらないんですよ。るなさんの系図を見れば『事代主』の母神なので何処かに居てもおかしくないと思うんですが。
でも名前が三女神に当てはまらないので姉妹とは違う人なんだと思っとりましたが(爆)
三女神の名前は沢山あるんです。
多紀理姫は湍津姫と描く場合もあるし。
たぎりーたぎつーたかつ、と変化しているだけで、同神と考えていいのでは?
とにかく、一般に書かれているのは普及版ということで、あまり気にしなくていいと思っています。
田心姫だって、これが何で「たごり」と読むのか、説明は難しいですよね。もちろん別字もあります。
楯崎神社の系図も、一つの例です。
これから、各社違う系図を出しながら、比較していくことになると思いますよ。
やっぱり、謎の比売神ですね。^^
こちらこそ、教えてくださいませ^^








