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佐田神社1 ここで大砲を鋳造したという 別名は善神王宮

宇佐・安心院トレッキング(31) 

 佐田神社1

 ここで大砲を鋳造したという 
別名は善神王宮

前回の妻垣神社から北西へ約四キロ。すぐに佐田神社に到着しました。

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標高の低い丘陵に鎮座しています。

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いかにも古社らしい風情で、一の鳥居は「佐田神社」と書いてありましたが、
二の鳥居には「善神王社」と書かれていました。

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これが拝殿ですが、それと気づかずに裏に回り、その神殿の趣に驚いてしまいました。

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これほどの彫刻がなされた神殿はそれほどお目にかかれません。

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高い所に縁があり、この建築様式に、ふと糸島市の宇美八幡宮を思い出しました。
「雲が彫られているのは位の高い神さまですよ」
と隣の人が教えてくれます。

御祭神は?
武内宿禰・素盞嗚尊・大山祇命でした。

武内宿禰が何故ここに?

この二年、ずっと取り組んできた神功皇后のガイドブックの世界が
筑紫でなく、安心院にも展開している…。
謎の手掛かりを求めれば、導かれるように次々に出会う伝承の宮々。
次々と嵌まっていったパズルのピース。
たった一人の孤独な作業の日々は誰も知らない日本の歴史を私に教えてくれた。

「竹内宿禰」
こんな遠い所で出会うと古来の知己に会えたような懐かしさがこみ上げて来ます。

そう、こんな感情は下関市の住吉神社でも起こった。
いや、住吉神社では共に戦ってきた神功皇后と一緒に祀られていることに感激したのだけど、
ここは、素盞嗚尊・大山祇命という、想像もつかない顔ぶれ。

地形は明らかに誰かの居城の跡のようで、説明板にもその旨が書いてありました。

佐田神社
祭神は、武内宿禰・素盞嗚尊・大山祇命で、昔は善神王宮と称し、佐田郷の総鎮守社でありました。
鎌倉時代に大友能直によって再興され、以後正中二年(1325)安心院公、文正元年(1466)宇都宮大和の守、丈亀三年(1503)に検断所により再興されています。
神殿は元治元年(1864)に改築し現代に至っています。

境内には、県指定有形文化財の板碑や、幕末に賀来一族が建設した反射炉の記念碑や、反射炉に使用した耐火レンガによる塀、大分の先哲帆足万里の書を刻んだ両部鳥居があります。
この神社の東にある標高309メートルの青山は、中世佐田氏の山城で、県内屈指の規模を誇る町指定の史跡です。境内はこの佐田氏居館跡の推定地の一つとされています。

当地は幕末に大砲が鋳造された場所でした。


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神殿のすぐ後ろの塀にはその耐火レンガが再利用されています。

いったいどうして幕末にここで大砲の鋳造が出来たのか。
まったく基盤がない所で作られる事はないのではないか。
ここには古来の製鉄の技術があったのではないか。
そう思わずにはいられませんでした。

ここに素盞嗚尊が祀られているのはやはり古い製鉄の民の名残ではないか。


佐田とスサノヲ。
この名に思いがけない繋がりがあったことを真鍋の本に見つけました。
(つづく)


地図 佐田神社





佐田神社1 ここで大砲を鋳造したという 別名は善神王宮
佐田神社2 カノープスの和名(1) 諏訪星 
佐田神社3 カノープスの和名(2) 諏訪星
佐田神社4 カノープスの和名(3)諏訪星 スハヒル スサノヲ
佐田神社5 カノープスの和名(4)須賀星 話題は逸れてイクシスと魚のはなしに
佐田神社6 星の和名 亀蛇考1
佐田神社7 星の和名 亀蛇考2
佐田神社8 古代の安心院 水沼と蹈鞴の民の入植地



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by lunabura | 2013-09-16 22:25 | (サ行)神社 | Comments(20)
Commented by のら at 2013-09-18 22:26 x
賀来一族の反射炉って以前、女優の賀来千賀子さんが帯にコメント書いてた本の人達かな?
なんかうろ覚えですが(>_<)
Commented by lunabura at 2013-09-18 23:42
そんな本があるんですね。
賀来千賀子さんが帯にコメント書いたとしたら、やはり一族かな?
Commented by のら at 2013-09-19 22:24 x
そうみたいですよ♪
なんかうろ覚えですが(>_<)そんなコメントだったです。
Commented by lunabura at 2013-09-19 23:35
今、検索したら、賀来氏は大神氏の一族だと書いてありました。
二番目の鳥居の奉納は「大神」と書いてあったんですよ!
佐田村を根拠地としたとあるので、まさしくここですね。
それに佐伯氏とも一族とは。
佐伯の出身も真鍋さんが書いてましたね…。
あとで調べます。
すごいヒントになりました。 (^-^)
Commented by のら at 2013-09-20 00:47 x
お役にたてましたか?
何がヒントになるか分からないものですね♪
るなさんのコメントでそういえば佐伯氏の名前もタイトルにあったような…。
本当にうろ覚えです(>_<)
Commented by lunabura at 2013-09-20 23:00
そうそう、私もうろ覚えなので、
二人の会話は霧の中のようですね (^-^)
Commented by はな at 2013-10-08 12:28 x
この神社の場所がどうしてもわかりません。安心院町佐田、までわかるんですが。
Commented by lunabura at 2013-10-08 21:14
はなさん、こんばんは。
地図をUPしてませんでしたね。
たしかにネットで調べても、場所が出て来ません(・.・;)
何とか、場所が分かったので、上の記事に追加しました。
写真モードにすると、小島のような境内が見えます。 
Commented by はな at 2013-10-08 22:05 x
わかりました。ありがとうございました。
御先祖様は福岡に行く前は、ここにいたんだそうな。
「故ありて」京の都からここに来たとき、はどんな気持ちだったんでしょう。
ちなみに、福岡の在所も、こことよく似ています。地名も同じものがあったり。きっとここが気に入ってたんだと思います。
検索してると、必ずるなさんちに来るんですよね。しつこくて済みません。
Commented by はな at 2013-10-08 22:13 x
http://lunabura.exblog.jp/20691180/
仲哀天皇の皇居跡も、こんな感じでしたよ。彼草ぼうぼうで、囲いも石柱もこれよりちょっと高かったです。
Commented by lunabura at 2013-10-09 19:34
はなさん、こんばんは。
佐田から福岡へ、刀鍛冶が移ったということですか?
安心院では島原藩とか、とんでもなく遠い藩の名前がでてきます。
かなり重要な土地だったのでしょう。

検索して、ひもろぎへ。
どんどん、来て下さいね (^-^)
Commented by はな at 2013-10-10 09:43 x
そんなに有名な土地なんですか?
ここでたたら製鉄をやってたのなら、砂鉄はどこから運んだんでしょう?
海から持ってくるのは無理があるし、川で取れたんでしょうか?
ただの小さな山奥の盆地なのに?たけのうちすくねもここに、神功皇后も宇佐で、シッカリ出雲系を上書ききしてるし。
Commented by はな at 2013-10-10 17:40 x
三女神社のことどこかに書いてらしたと思うけど、どこでしたっけ。
年中迷子に・・
Commented by lunabura at 2013-10-10 22:36
安心院はサファリーパークがある点で有名でしょうが、
古代鉄に関しては私が勝手に言っているだけです。
これが世に認められるかどうかは別問題ですね。
(ま、これは個人の公開日記ですので、お楽しみ程度に考えて下さいね)

地形から見ると、当地は火山の噴火口の跡という人もあり、湖沼化して
葦からスズ鉄が採れたと思います。
また、地面を掘ると噴火による石が風化した砂鉄も採れたと思います。
砂鉄は駅館川を通じて海から運ぶのも容易です。

竹内宿禰を祀った人たちがどんな氏族なのか、皆目分からず、当社の縁起が手に入ったらと願っています。

三女神社はサイドバーの (サ行)神社 をクリックすると、ずらりと入っています。
分かりにくいですね。 (+_+)

いよいよになったら、カレンダーの下の検索を利用して下さい。
Commented by のら at 2015-08-29 01:01 x
るなさん、こんばんは。お久しぶりです♪
台風凄かったですが大丈夫でしたか?

金曜の某NH●のファミリーヒストリ●
でウルトラマンなおバカキャラのつるの剛士さんが出てまして、彼のお母さまが『賀来家』の方でした!!(なんとなく面影が千賀子さんに似てました)

大分の賀来地区が賀来家発祥の地で家系図みたいな古い文献に『大神』の文字もデカデカと。

つるの剛士も女系で賀来一族ってことで(笑)
Commented by lunabura at 2015-08-29 22:24
見なかった (/・ω・)/ .残念!
再放送、確かありますよね。

武内宿禰が物部氏とはっきりしたので、物部氏と賀茂氏の組み合わせが分かりました。それに賀来氏も技術集団として、一翼を担っていたんでしょうね。安心院、すごい所。
Commented by のら at 2015-08-31 19:31 x
るなさん、こんばんは。

あれは見逃す。私もまさかつるのくんちで賀来家が出てくるとは思ってなかったですもん。
確か再放送は翌週くらいにあったはず。

古文書の表紙に『大神姓系図』?だったような。
賀来氏の始まりは鎌倉時代だそうで、つるのママの賀来家は枝分かれして豊後高田に移住したそうです。
ファミリーヒストリーは時々面白い系図が出るので消すに消せない時があります。(南果●さんとか)
Commented by lunabura at 2015-08-31 20:04
番組欄、毎日チェックするようにします。
南か○さん、朝鮮半島からさらに中国へ遡ったようですが、その部分を見逃したんです(´・ω・`)
何族だったんですか?
Commented by のら at 2015-09-06 08:28 x
おはようございます♪るなさん。
いやはや、あれから直ぐデッキの調子が悪くなりとうとう買い換えか?と思いつついじくり回して2ヶ月分の各番組が消えつつ現状維持に相成りました。
つるのくんは消えたけれど、南さんは残ってました♪
いつまた消えるか分からないので、見逃された部分だけざっくばらんに。

南=南(なむ)忠さんが始祖。新羅国に仕える。両この人が実は中国(唐)で玄宗帝に支えた金大鐘さん。日本に使者として遣わされ帰国途中で対馬沖で遭難。新羅に漂着。
故郷が中国の洛南であったので南姓を名乗るようになったと。
その故郷では、奥さんが亡くなられた時お墓が作られているので生存している事は伝わってなかったのでしょう((T_T))黄金で作られた大鐘像と共に葬られた奥さんや苦難に合った大鐘さんの為にお正月も質素な食事しか取らない金家一族が切ない。
政治的問題で帰れなかったにしても生きてること位教えてあげて~(爆)
南さんになった彼のお墓には経緯が事細かに彫られているんだから~(/ー ̄;)

しかし千年以上昔の戸籍というか系図が分かる某国達は尊敬しますね♪(ま、現状は尊敬出来かねますが)
Commented by lunabura at 2015-09-06 20:00
わあ、のらさん、ありがとう♪
歴史的に名が残っている人だったんですね。
人生って凄いなあ。
調べて下さってありがたいです^^
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