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ひもろぎ逍遥

八幡の謎(1)水星と御許山の磐座


八幡の謎(1)
水星と御許山の磐座

今回から、真鍋大覚の著作を通して八幡の謎にチャレンジです。
これまで八幡は、るなにとって漠然とした世界でしたが、
宇佐と安心院という現地に立つと、
物部氏の伝える星の伝承がいくらか理解出来るようになりました。

さあ、誰も知らない古代の日本にご招待。
                         (『儺の国の星・拾遺』一部改変)
宸位星(水星・マーキュリー)      p67
(略)
祖先は人間の生命の発祥を星に求め、日に求め、広くは空にあると信じた。天の聞こえざる声を聴くに、山頂に三個の巨石を安置し、もって神域と定めた。水星の太陽を周(めぐ)るに三月を要する所以であった。豊後宇佐の御許山(647.0米)の遺跡がこれである。

九州でも各地に巨石が置かれた所がありますが、三石は天の声を聴くための神域だと真鍋は言います。

あいにく、御許山(おもとやま)の神域は立ち入り禁止ですが、
熊本の三石を並べた遺跡に行ったことがあります。

それは山頂から少し下った所にあり、三つの巨石が並んでいました。
そこに連れて行ってくれた人が言うには、
「大中小それぞれ、世界、国、個人の祈りを捧げる所だ」と夢で教えられたそうです。

その三石は東を向いていたので、三人それぞれ磐座を背にして
昇ってくる太陽の光を受けました。
太陽と、太陽の光を受けた磐座の波動に挟まれるという特殊な空間に感激しました。

こんな使い方もありかな、とも思っているのですが、
そのアイデアを得たのは、押戸石山の磐に座った時でした。
押戸石山の山頂には磐座があって、不定形のストーンサークルを描いているのですが、
私がひそかに王者の椅子と呼ぶ石があります。

座れるようになっていて、ちょうどリクライニング椅子のように、もたれかかる事が出来ます。
しかし、大き過ぎてつらいです。
その横にちょっと小さい玉座があり、そちらの方が人間には良いサイズでした。

そして、その夜、玉座の正面には冠座が輝いたのです。
それを見て、私は、王になる人が儀式を受ける岩ではないかと妄想したものです。
星と星の光を受けた岩の波動の間の人間、てことですね。


このような椅子は他の山中にもありました。

磐座って、サイズの基準が普通の人間よりも、当然大きいのですが、
与那国島海底遺跡が出て、石段を見た時、
ああ、このサイズの人たちがやはりいたんだと思ったものです。
今では、2m以上の人骨が世界各地から出土していますね。


おっと、話がそれました。もとに戻りましょう。

御許山の磐座が三個の理由は、水星が太陽を周回するのに三か月要することに起因すると真鍋はいいます。
ウィキペディアを調べると「水星の公転周期は約88日である」とありました。
確かにほぼ三ヶ月ですね。

真鍋の本には
「太陽をめぐるに87.98784日を要し、これを約三朔望月に達するところから、三圍(みゐ)の星の名もあった。やがて水星の名の発祥と倭人は解し、御井(みゐ)の星の名を脳裏に浮かべていたらしい」とありました。

太陽の近くにあるので、黎明の時、そして日没時に見るため、晨星(しんのほし)、略して辰星(しんのほし)とも言ったそうです。
(晨とは「あした」とも読み「早朝」という意味です)

八幡の謎(1)水星と御許山の磐座_c0222861_23185113.jpg

(今日の夕方5時ごろ。水星は金星より太陽の近くに)

御許山の三石を聖地とした人たちは、水星が太陽を三か月かけて公転するということに
意義を見出す人たちということになりますね。

つづきを読みましょう。

小熊座を手長星(てながのほし)、大熊座を足長星(あしながほし)と言った。

極東に移り住んだTroya(トロヤ)民族は斗極の形を見ては直ちに水汲み水すくいの仕事を連想し、これがいつしか水星を辰星と重ね合わせる信仰に到達したものらしい。

黄河は北から南に流れる水域があって、これが秦嶺に当たるところに漢人が周(前1122~250)以来、唐(618~975)に至るまでの文明を形成した。

漢人は北が即ち水源であったことになる。ここに玄武なる沙漠の海無し沼の神格を与えて、水星を配したのである。

清少納言の随筆でしたか、「手長・足長」と出て来ますが、これは小熊座と大熊座の名だそうです。

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(上のイラスト、足長を書き間違えてます <(_ _)>)

トロヤ民族は日本に来て、初めて北斗七星が水を汲む姿を見たのでしょう。
北斗の水汲みは玄海灘から響灘の現象でしたね。
「これがいつしか水星を辰星と重ねわせる信仰に到達した」という意味はよく分かりません。

黄河の中でも北から南に流れる流域に周から唐の文明があったために、
「北といえば水源」というイメージが出来て、
玄武(北の聖獣)の坐す北の星として水星を配置したということになります。

玄武とはちなみに、亀に蛇が巻き付いた形をしています。
奈良県明日香村のキトラ古墳や、韓国の装飾古墳にも見られますね。

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亀と蛇か…。キダとも読めるな…。
佐田神社の亀蛇がこの玄武だとすると、るなの亀蛇考は水泡に帰すかも。

(つづく)




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Commented by 桜もち at 2013-10-05 00:40 x
るなさん、こんばんは。

やはり、真鍋氏の伝承は興味深いですね~!

「うぢ=apuil」で「スサノオ=カノープス」ですか!

TORYA…の件の「水星を辰星と…」ですが、文脈から考慮すると「水星を北辰と…」のような気がするのですが…。
また、面白いのは「トロイア」「水星」「北」に共通する神が『アポロン』(希神話)なのですが…この極東に来た民とはトロイア戦争での難民だったのでしょうか…。
『カノプス』もトロイア戦争の犠牲者のようなものですし…。
Commented at 2013-10-05 21:16 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2013-10-06 20:06
非公開さん、こんばんは。
パソコンは思いがけない字が出ますが、お互い気にしないようにしましょうね。
応援ありがとうございます。 (^-^)
Commented by lunabura at 2013-10-06 20:11
桜もちさん、こんばんは。
水星、辰星は、確かにそう読みたいですね。
八幡の謎(2)の方でも、その裏付けが取れそうです。
この辺りは誤植が多くて、読解が難しいです。
アポロンの話や「うぢ」の話、興味深いです。
教えてくださいせ (^-^)
Commented by 桜もち at 2013-10-08 21:50 x
るなさん、こんばんは。

『アポロン』と水星の関連は、wikiによると「古代ギリシャでは、宵の水星をヘルメス、明けの水星を『アポロン』に対応させていた…」とあるのですが…。

この『アポロン』は、太陽の神であり弓矢・芸術・予言の神で『デルポイの神託所』で神託を下す神なのですが、ウインター・バカンスを『極北の国』で過ごすらしいのです(笑)また、デロス島での出生後『極北の国』に行ったと神話で伝えられていることから、元々「黒海」沿岸で信仰されていた神なのではないかとする説もあります。
Commented by 桜もち at 2013-10-08 21:53 x
因に、アポロンの聖鳥は烏で、神託所の巫女は青銅の鼎に座り神託を受けたと記録(史実)にあり、ソクラテスの「無知の知」はココの神託が要因で成された説話です。

トロイアとの関連は、トロイア戦争時のトロイア王プリアモスの父王の時代に、海神ポセイドンとアポロンが、トロイアの城壁を造ったので、戦中、アポロンはトロイア側を応援していたと…ホメロスの『イーリアス』にあります。

『うぢ』は…apuil=アピル(エジプトではアピル、アッカド語でハビル)は…『ヘブライ人』のことだと言われています。エジプトのアマルナ文書に「ハビル(アピル)」と出てくるようです。
Commented by 桜もち at 2013-10-08 21:55 x
トロイア戦争終結後、スパルタ王メライオスの船は帰還途中に遭難しエジプトに来たらしいのですが、その船の水先案内人であった『カノプス』はアブキール湾内でメライオスに処罰され、その遺体が漂着した場所が『カノポス』の地名となった…と現地で聞いたような…。
だから!スサノオは『若使吾兒所御之國、不有浮寶者、未是佳也…』って言ったんだ!と勝手に解釈してました。
因に、トロイア側の生き残りは内陸のイデー山に逃れ、後に一部がローマの祖になったとする説があります。(言語学的に否定されていますが。)
Commented by lunabura at 2013-10-09 19:30
桜もちさん、こんばんは。
とても面白い話ばかり!
初めて聞く話ばかりなのですが、ワクワクします。
水星がヘルメスとアポロン。
うぢがヘブライ人。
etc.
桜もちさんの中では、出発地と到着地と氏族がカチカチとはまっているようですね。
これからも、少しづつ、語ってくださいませ。
Commented by まーりん at 2015-05-13 21:14 x
るなさん、こんばんは。
「水星三囲」が気になってしまい、ちょっと考えたり調べたりしてみました。

「八幡は占星術をやる」のですね。
錬金術や西洋占星術では、水星は水銀と関連づけられていますね、金星と銅のように。
「金星と銅は周波数が近い」と「ウォーター・サウンド・イメージ」という本のなかで監訳者・増川いづみ氏が語っていますので、水星と水銀にもそんな関係があるのかもしれず、水だけでなく水銀にも関わる話だったりして。

また水星は五行の「水」を担当するから、水関係のエネルギー調整を行う際に水星のエネルギーを使ったのかもしれません。

真鍋は「三囲」をみつくりと読ませていますが、この漢字をネットで検索したら
みめぐり みくまり みまわり みかこい 

大抵は、東京墨田区の三囲(みめぐり)神社の読みまちがいですが、「みくまり」はあながち間違ってないような気もします。
墨田の三囲神社は、近江三井寺の僧による再建、豪商三井家の守護社、井戸の上に建てられた三柱鳥居(三井邸より移したもの。原形は太秦・木島神社にある)などのエピソードがあって、そこから賀茂氏・秦氏、ユダヤとかイスラエル方面の話題に引き込まれそうです。
なお、三囲神社の鳥居のへん額の文字は、ネット上の写真で見ると「三圍」でした。
三井、三圍、御井ときて、水星と読む(ずいぶん飛んだな)。

三柱鳥居や、弁才天のミツウロコ紋など、この手の三角形表象は水と関連があるのかしら
Commented by まーりん at 2015-05-13 21:16 x

Wikiの水星、自転の項によれば
水星の自転と公転は 2:3 の共鳴関係にある。すなわち、太陽の周囲を2回公転する間に3回自転する。・・・この共鳴があるために、水星の恒星日(自転周期)は58.7日なのに対して、水星の太陽日(水星表面から見た太陽の子午線通過の間隔)は176日と、3倍になっている。
これを説明する「水星の公転と自転の関係」という図像では、太陽を中心とした水星軌道上の3点にそれぞれ自転して向きが変わる水星が描きこまれて3角形をなしています。

つまり、「水星は太陽の周囲を2回公転する間に3回自転する」ことを、図形で表すと「(楕)円上の3点/3角形」となり、これを「水星三囲」と言ったのかなあと勝手に妄想しました。


八幡シリーズの(5)
>なお採金錬金のところを馬上(まかみ)とよんでおります。豊前宇佐にその地名が残っております。後には宿場町として江戸駒込(こまごめ)のようになりました。

まったく関係ないことですが、わたし、いま東京駒込に住んでいます。松平氏の敷地です(^^)/
ここは日光御成り道(現在の本郷通りがその一部)の傍で、江戸と日光を結んで江戸城(皇居)のほぼ真北にあります。北=玄武=水星。風水的に日光が江戸の北の守護と言われていますが、江戸から出た北の宿場に松平氏がいることも押さえの意味があったのかなあ、なんて。

以上、江戸からのレポートでした(^^)/
Commented by lunabura at 2015-05-14 22:11
マーリンさん、こんばんは。
原点を押さえると派生するものが見えてくるようですね。一族にだけ分かるキーワードがあって、紋などに象徴されるのもそうかも知れませんね。
星の話は眠っていた部分を刺激させるような不思議な力を感じます。
いろいろレポありがとうございます^^
いろいろと刺激されます♪
Commented by ぱら at 2016-02-02 02:27 x
るなさんこんばんわ( ´ ▽ ` )ノ

マーリンさん私的にはビンゴです!!
金星の星読みは金星の黄金律で地上に五芒星を描くことででドラゴンカーブをつくり地上を安定させ守る。愛と豊穣のビーナス。
水星は三点で水星三囲 三角を作ればその間を等間隔で割り結び六芒星。三柱鳥居 は対馬の綿津見神社→遠きユダヤの精神性は六芒星にーおっとうじ →ヘブライ→御井→秦 うわっうわっヘルメスにアポロンは御存知旅姿!三度笠は持ってないでしょうが。 北を水源だと 玄武 玄海きゃあああ

なんか金星から来た人達とか水星から来た人達とかの話までフワフワと飛んでしまいそうですね。空を見上げ星見る人たちはその星の何にシンパシーを感じているのでしょうか。

そんな事より天満八幡!!

Commented by lunabura at 2016-02-02 20:57
ぱらさん、こんばんは。

ぱらさんの中ではいろんなものが繋がったようですね。
少しずつ解説してくださいませ♪

私はまだ五里霧中です(^^;
by lunabura | 2015-05-12 22:47 | 八幡の謎 | Comments(13)

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