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ひもろぎ逍遥

八幡の謎(2)「ささくり」三石の磐座と坩堝から出来た金


八幡の謎(2)

「ささくり」三石の磐座と坩堝から出来た金

水源を中世は「みなもと」とよび、神代は「をもと」といった。水星三囲により、水源の大地に三石をあげて、その安泰を祈った。これを「みつくり」と呼び、近世は箕作(みつくり)と書いた。百姓は水を遣り繰りする神を見ていた。

天台の儀式華やかに三位一体の神仏たがいに垂迹の教えが普及する頃は、天竺(てんじく)の弁財天なる水源の女神を置き、また妙見を立てるところもあったが、八幡の本地なる宇佐だけは、あえてこれを許さなかった。
 (『儺の国の星・拾遺』p67)

<水源を中世は「みなもと」とよび、神代は「をもと」といった
これで思うのですが、源氏の「みなもと」って、御許山信仰から付いた名なのでしょうか。
八幡信仰の聖地は御許山(おもとやま)ですよね。
のらさんにコメントいただいてから、気になっていました。

以前、こんばんわんさんが指摘されたように、元宮の件も
宇佐八幡宮は御許山を遥拝していて、大分八幡宮との縁に出会うこともありませんでした。

地図 赤 御許山   青 宇佐八幡宮 

(写真モードに替えると地形がよく分かります)


<水星三囲により、水源の大地に三石をあげて、その安泰を祈った>
「水星三囲」とは水星が太陽を一周するのに約三カ月かかるという意味と思われ、
水源に三つの石をあげるのは、それが由来でした。

何故、八幡はそんな天文現象が重要なのだろうか。
水星は金星と同様に、明けの明星と宵の明星に分かれるので、
その周期と関係あるのだろうかと、プラネタリウムに尋ねました。

今年2013年の例でいくと、
水星が明け方によく見えるのは 4/11前後 7/30前後  11/18前後
夕方によく見えるのは  2/17前後 6/13前後 10/9前後
だそうです。
今日10/5は夕方に見えたはずですが(雨だった…)、しばらくはこの現象が続く事になります。

その後、明け方に見えるようになって、再び夕方に見えるのは来年。
この周期は約115日ということでした。
約四か月サイクルなので、公転の三か月とは無関係です。

るなが知りたかったのは
「水星が三か月で太陽を回る事と、水星が朝か晩に見えることは関係があるのか」
ということで、結論は「関係なし」でした。

三石に込めた水星の公転周期とはいったい何なのか、謎のままです。


次、行きましょう。

<垂迹の教えが普及する頃は、天竺の弁財天なる水源の女神を置き、また妙見を立てるところもあった>
本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に表れた神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。(Wikipedia)


神々の国に仏教が入ったとき、神と仏とどう折り合いをつけるのか、
当時の誰もが疑問を持ったことでしょう。
神々への信仰を捨てて仏だけに帰依する事はできなかったと思います。
そこで、神々は仏の化身として先に現れていたんだと、上手く説明したわけですね。

「水の神」はインド(天竺)ではサラスワティー、中国で弁財天といいます。
日本では市杵島姫と、名前が変わります。
弁財天の真言「オン サラスバティ エイ ソワカ」に「サラスワティ」が出て来ますね。

八幡の謎(2)「ささくり」三石の磐座と坩堝から出来た金_c0222861_23325159.jpg

水の女神の持つ琵琶というアイテムは日本にも伝わりました。
でも、市杵島姫とサラスワティーでは微妙に違いますね。
そこが垂迹説の苦しいところかな。

また、水を祀るシンボルとして、他に「妙見」が挙げられていました。
「妙見」とは妙見菩薩であり、北極星や北斗七星の信仰でもあります。
これらは各地で融合されて行ったわけですが、宇佐だけはこれを許さなかったというのです。
いったい、どういうことでしょう。

先を読んで行きましょう。
(中略)
蹈鞴で作った金石珠玉の類を「ささくり」という。
「ささ」とは月齢三日の朔の月形の形容であるが、時には朝、すなわち朝晨あるいは黎明の空をも言った。
「あさ」とは蹈鞴の底のごとく虚にして偏を言ったのである。
「くり」とは重く凝結した金石であって、古人は星辰、あるいは隕石そのもの又はその化身と信じていたのである。

胡人は「土よく気を放せば石を為す」のことわざを心にしていた。石は結晶水を得て風化した果てに土になり、土は結晶水を解離すれば金を産む道理を数千年昔の風姓呂氏の頃から知っていたのである。

太陽の至近距離を巡って、朝に姿を見せ、昼に姿を消す水星を蹈鞴の中の燃えさかる炎と渦巻く金のしたたりに見立てていたのかもしれない。山頂に立てられた三石、即ち「ささくり」は風を呼び、雨を招く三種の神器であった。


<「あさ」とは蹈鞴の底のごとく虚にして偏を言ったのである。>
この蹈鞴(たたら)とは蝋石(ろうせき)という柔らかい石で加工された坩堝(るつぼ)のことで、
出雲のタタラとは別のものです。

この坩堝には穴が開いていたのですが、それが中心でなく偏った所に開けられていたそうです。
ですから「虚にして偏」とは、坩堝の中が空っぽで、穴が偏った所にあるという意味になります。
その状態を「あさ」と言ったということですから、
夜が明けて星々が消えて空っぽになった空に太陽だけがあって、
そのかたわらに水星がポツンと見えるようすを「虚にして偏」と言うのでしょう。

<「くり」とは重く凝結した金石であって、古人は星辰、あるいは隕石そのもの又はその化身と信じていた>
私たちは鉄の材料として砂鉄や鉄鉱石を思い浮かべますが、
古代人は葦や隕石からも鉄などを取り出していたそうです。
坩堝から取り出した金や鉄の粒(つぶ)を見て、それは星の化身だと思ったということになります。
そういえば、隕石って星のかけらだから化身と言えますね。


八幡の謎(2)「ささくり」三石の磐座と坩堝から出来た金_c0222861_2333933.jpg

この写真はちょっと違う例だけど、隕石を彫って造られた仏像です。

日本の仏像とはずいぶん姿が違いますね。
2012年の記事を引用します。

1938年にナチス親衛隊(SS)の探検隊がチベットから持ち帰った仏像は、隕石(いんせき)を彫って作られていたという論文が26日、科学誌「Meteoritics and Planetary Science(隕石学と惑星科学)」に発表された。

   アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の「第三帝国(Third Reich)」と宇宙からの「財宝」の結びつきを示した独オーストリアの合同研究チームによる調査結果は、まさに映画『インディ・ジョーンズ(Indiana Jones)』を地で行くような話だ。

 鉄分を多く含む岩石で作られていることから「アイアンマン(Iron Man、鉄の男)」と呼ばれるこのチベット仏像は、動物・民俗学者エルンスト・シェーファー(Ernst Schaefer)が率いるSS探検隊がドイツに持ち帰ったもの。

(c)AFP 2012年09月27日 12:04 発信地:パリ/フランス 引用
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2904113/9587885?ctm_campaign=txt_topics


この像を見て、隕石って意外に加工しやすいんだなと思いました。
鉄を多く含んでいると書かれているのをみて、
古代人が隕石から鉄を取り出したというのも、あり得るんだと思った例でした。


<蹈鞴で作った金石珠玉の類を「ささくり」という>
これについて、他の所に椿の種に例えた話が出て来ます。

八幡の謎(2)「ささくり」三石の磐座と坩堝から出来た金_c0222861_2334273.jpg

これは庭の椿の実の今朝の状態です ^^ グッドタイミング ♪
赤い椿の実は、熟すと皮が三つに割れて、中から三つのクリが出て来ます。
これが「ササクリ」のイメージです。

「蹈鞴の産物の金石」も「山頂の三石」も同じように「ささくり」と呼ぶ理由について、
真鍋は次のように考えました。

<太陽の至近距離を巡って朝に姿を見せ、昼に姿を消す水星を、
蹈鞴の中の燃えさかる炎と渦巻く金のしたたりに見立てていたのかもしれない>


水星が朝見える時には、太陽に近いので次第に光を失います。
その様子と、燃え盛る炎の中にポツンと生じる金と重ね合わせているのではないだろうか
という意味でしょうね。

(つづく)


アイデアをくださいな。
<数千年昔の風姓呂氏の頃から知っていたのである>の「風姓呂氏」が分かりません。


コメントとメールをくださった方へ。
少し返事が遅れています。待っててくださいね。




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Commented by うさぎ at 2013-10-06 16:38 x
初めまして
ささくり、と聞くと、福岡県糟屋郡の篠栗を思い出します 街のど真ん中に多々良川もありますし
特に知識がある訳でもないのですが、楽しく読まさせて戴いています
Commented by lunabura at 2013-10-06 20:17
うさぎさん、はじめまして。
篠栗も「ささくり」と同根だと思います。
「金出」から山越えすると「金生」だし、鉱脈があったんじゃないかなと考えています。
篠栗の川は多々良川なんですか!
なるほどですね。
これからもよろしくお願いします。 (^-^)
Commented by 桜もち at 2013-10-06 22:22 x
るなさん、こんばんは。

そーいえば、昔読んだ欧州人の著作物では「ヒッタイト以前は隕鉄でしか製鉄出来なかった」とされてましたけど、アナトリアの発掘調査、その後どうなったのかな…。

「風姓呂氏の頃から知っていた…」とは、呂不韋の『呂氏春秋』のことを指しているのでしょうか。
内容に関しては殆ど無知なのですが…当時最高水準の百科事典だと始皇帝関連の本で読んだような…。
記憶が曖昧なのでスルーして下さい…。
Commented by のら at 2013-10-06 22:52 x
るなさん、うさぎさん、桜もちさん、こんばんは。

何度、心の『へー』ボタンを押し続けた事か!!
『みなもと』の大本が『おもと』とは!!
もしかしたら『源姓』を与える時に清和天皇が由来みたいなものを教えていたかもですね。(某秋〇宮家創立も皇后様が〇篠寺の名前が綺麗だとお気に召されたからだと聞きますし)

だから応神天皇陵への告文だったのかもでしょうね。自分の姓のルーツ。

うさぎさんのいうように私も「ささくり」の文字を見て篠栗となんか関係が?!と思いました。山の中の谷ですし坩堝的な(>_<)。



Commented by こんばんわん at 2013-10-06 23:42 x
 るなさん、皆さま、こんばんは
 るなさんのフィールドワークと、真鍋氏の本により、今までの謎が急激に形を持って解けてきているようで、感動しています。
 もちろん、これに行き着くにはるなさんの長期間の調査やセンスが大きいので、ブログで拝見させてもらうばかりの身では恐縮しきりです。

 私も、中国では日月星辰といわれるように3者は同等に崇められていましたが、日本には星の伝説があまりに少なく、なぜだろうと不思議でした。
 スサノオが星、そうかもしれません。どこの話か忘れましたが「水星か金星だったか?水平線近くの明け・宵の星は、夜もしくはあの世との門番だったか?司る役であった」と記憶にあります。
 スサノオ=夜の食国となると、そういった星が役割としても意味がありそうですね。
Commented by こんばんわん at 2013-10-06 23:43 x
 風氏呂氏は「古代中国(春秋時代以前?)」といった意味ではないでしょうか?風氏は中国建国神話に出てくる有名な女禍などが風氏であったとあります。呂氏は桜もちさんの言う春秋時代の呂氏(秦の宰相)などしか私も思い浮かびません。。。
 参考:『中国姓氏事典』「上古、三皇の一人伏羲氏(太昊)がこの姓を伝えた。また女媧氏も風姓であり、春秋時代、宿、須句、顓、臾等四国を治めた者は、すべて風姓を名乗ったという。」
 ちなみに、私もにわか勉強してみたところ、この風氏はシュメール人の風の神「エンリル」に通じるものがあり、エンリルの神の秘数(トーテム)は「50」だそうです。このエンリルも黄泉の国に行かされたり、戻ったりしており、日本の神話との相似性も伺えます。また、シュメール人の暦(古代バビロニア)は、日本との旧暦と似ている点があるそうで一日は日没から始まるそうです。日が暮れて政務をしていた古代日本もそうだったのかもしれませんね。
 いつも長文ですみません。今後も楽しみにしています(^―^)
Commented by うさぎ at 2013-10-07 00:57 x
何度も失礼致します
そういえば 篠栗の和田八幡宮には、羅針盤か何かを模した石の物体があるとかないとか聞いたことがあるのですが
その石は、真北を向いてるんですよね 全国的に珍しいんだよーと爺様たちが言っていましたw
Commented by lunabura at 2013-10-08 00:00
桜もちさん、こんばんは。
呂氏春秋の話を引用させていただきました。
協力ありがとうございます。

ヒッタイトの前の鉄については、最近小耳に挟んだのですが、
それが、隕鉄とは興味ぶかいですね。
Commented by lunabura at 2013-10-08 00:02
のらさん、こんばんは。
以前のコメントで、源氏のことを書いてあったので、手掛かりになるかなと思って書きました。
そうか、応神天皇とつながるんですね。

Commented by lunabura at 2013-10-08 00:06
こんばんわんさん、こんばんは。
風姓呂氏を教えていただいてありがとうございます。
これで、ずいぶんイメージができました。
シュメール人の風の神、エンリル、かなり興味があるのですが、
話がそれるので、引用だけさせていただきました。
秘数(50)。五十か…。
面白いですね。
夜の政務も少しイメージができてきそうです。

Commented by lunabura at 2013-10-08 00:08
うさぎさん、こんばんは。
羅針盤のある神社はやはり海人族系ではないでしょうか。
和田も綿=海かも知れませんね。
場所はどこになりますか?
Commented by うさぎ at 2013-10-08 00:23 x
こんばんは
成る程、綿ですか 海人族…勉強せねば…!!
和田八幡宮は、福岡インターを降りて国道201を飯塚方面に行く道になるのですが
吉野家、山小屋ラーメン→GSの本当に間に見えますww
少し分かりにくいのですが、Googleで和田八幡宮と入れれば直ぐです
1500年代に新しく合併してるのですが、その前から羅針盤があったとしたら面白そうですね
Commented by lunabura at 2013-10-08 21:16
うさぎさん、ありがとうございます。
場所が分かりました。
祭神はホムタワケ命ー神功皇后の皇子になっていますが、
はっきりしないようですね。
海の神もかつては祀られている感じ。
安曇族の船着場っぽい印象です。 
by lunabura | 2015-05-12 22:46 | 八幡の謎 | Comments(13)

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