2013年 10月 16日
鹿毛馬神籠石(2)
鹿毛馬神籠石(2)
かけのうまこうごいし
福岡を中心に分布する神籠石(こうごいし)。
日本ではあまり知られていないとか。
先日探訪した神籠石、忘れないうちに、記録しておくことにしました。
何せ、写真を見直してみると、いったい何処を撮ったのか分からなくなりそうなんです。
筑後国造さんが行かれるので、情報提供でもあります。

勢田から川沿いに車を走らせると、対岸にこのような山が次々と現れます。
まもなく案内板があり、壊れそうな小さな橋を渡ると、この山に入って行きます。
この山の中腹位に列石がぐるりと巡らされています。
道は未舗装ですが、すぐに車が数台止められそうな駐車場に出ました。
説明板があり、そこから赤い矢印に従って山に入っていくと、こんな感じ。

神籠石に取りつく石段が現れます。

ここから赤い矢印は左右どちらにも行けるようになっていました。
写真の右上はマウンド状になっていて、石祠があります。
後で行こうと思って右に行ったので、前回述べたように、戻

これが神籠石。神籠石は高良山神籠石の名称から付けられた名前ですが、
このような列石は本来「八葉の石畳」と呼ばれていました。
高良山と比較して雰囲気はそっくりですが、列石は少し低い印象です。

土砂が上から流れ込んでいるので、低くく見えるのでしょうか。
ここら辺のは、かなり長い石です。

しかも、薄いです。このように押し出された石を見るとよく分かりますね。
これは列石の上に土塁を作ったり、何かを支えたりするものではなく、
単に境界を作り出しているのではないかと思われます。
簡単に構築するために、薄くて長い石を選ぶ、合理性が感じられます。
この列石は左にカーブします。すると、道路が見えました。

山そのものが80m程度なので、ここの位置の標高はかなり低いのが分かります。

このあと、50m程度でしょうか、山から出て、開けたところに出てしまいました。
正面に崩れかけた同じような風景があり、土手が先の方で切れています。
そして、列石は正面の山の中にもあるそうです。
手前に囲いが見えます。この囲いが水門跡です。
前回、「へ、平地じゃん」と驚いた地点です。

道路に出て写しました。
この山の地形は馬蹄形になっています。

U字型になっていて、私は写真の左の山を廻ったことがわかりました。
この広場、見ての通り山城ではござんせん。
地形図を見る限りでは、居館を作るほどの平地も見当たりません。
作業場みたいだと前回書きましたが、この平地は発掘されていて、
右と左に水路があり、蓋がされているのが分かっています。(暗渠)
広い地形を見ると、古遠賀湾の近くなのが分かります。
るな的な推理は、
葦が生い茂る古遠賀湾から葦を刈り取って、船でこの遺跡に運び込み、
正面の土手の奥で燃やして、鉄と灰に分ける作業をしていた所ではないかと思いました。
だから水が必要なのでしょう。
近くには溜池があり、周囲にも水が沢山ある山でした。
その点で、同じ神籠石の名を持つ高良山神籠石とは目的が違うように思われました。
高良山の場合は「神が籠る石」と「列石による結界」が原義です。
ここの「結界」は「境界」という意識が感じられました。
そう言う点で、高良山より近代的な「合理性」が感じられたのです。
規模が小さい点でも、洗練された工房だというのが第一印象でした。
今、改めて地図を見直すと五分の一ほどしか歩いていませんでした。
大胆な推論ですが、備忘用にメモしておきます。
みなさんも推理してみてくださいね。
続きは筑後国造さんにバトンタッチで~す ^^
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地図や資料を眺めるのと、現場で実際に見るのとは雲泥の差がありますね。
今回、全石を見るのは無理ですが、いつか1個、1個確認したいと思います。
遠賀川流域の無名古墳を中心に探索予定なのですが、その内10箇所ほどが、目安として、そばに神社の鳥居のマークがあります。
神社のそばの古墳は残っている可能性が多いのですが、航空写真で見ると、住宅になっている所も多数。
何しろ、参考資料が古いのと、遺跡地図の縮尺が大きいので、有名古墳でも数百mずれていることも・・・
それを探すのも楽しいのですが・・・
何よりも、ハチをはじめ、遭遇したくないものが多い季節ですので、今回は飽く迄も下見に徹するつもりです。

すごいスケジュールですね。
遠賀川流域は日本の歴史の創始に関わるので、流域の皆さんも、もっと関心を抱いてほしい所です。
神社とセットの古墳なら、上手く回れそうですね。
レポートを楽しみにしています。
他の神籠石も廻られたのですか!
鹿毛馬は他と違った印象なのですね。
近くにいると、いつでも行けると高をくくって、遅れをとりました。
推理、ありがとうございます (^-^)