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ひもろぎ逍遥

糸島 国津神と天津神の戦いと融合


糸島
国津神と天津神の戦いと融合

ニニギノ命と木花開耶姫の分布
一刻も早く結論が見たくて、福岡市広域図に四色の付箋を張り付けることにしました。
付箋を貼ろうとすると、地図には既に神社の祭神がびっしりと。
かつて、自分で沢山書き込んでいました。 (*_*;
地図は折り目が切れてしまい、何度もテープで補修した跡が茶色に変色。
そのテープがはがれたので、今回、また貼り直しました。

   私、いったいいつ、どうやって調べたんだろ。
   かつて、糸島を調べようとしていた頃があったんだ。
   日付を見ると二か月の間に四回も行っている。
   またもや、忘れとったあ…だ。

当時の私は神々の名が覚えられなかったけど、どうしても知りたかったんですね。
でも、何を知りたかったんだろう。
それから、十年以上経って、再び糸島を調べています。

地名がどんどん変わるので、昔の地図は捨てられません。

『福岡県神社誌』には「今宿村」がありました。
今は福岡市になっていますが、かつては糸島郡だったんですね。
糸島郡として考えると、位置関係がようやく理解できるようになりました。

五十迹手はここから船を出して、仲哀天皇を迎えに北九州まで航行しているんです。
今宿村が糸島郡でないと、るなには古代世界が描けないのです。

天津神と国津神
さて、今回のテーマは、四神を色分けして地域的に隔たりがあるか調べることです。
四神とは ニニギノ命(黄色)ヒコホホデミ命(青色)<天津神>
木花開耶姫(ピンク)大山津見命(青の柄)<国津神>
です。

糸島 国津神と天津神の戦いと融合_c0222861_18221313.jpg

これがボロボロの地図に付箋を貼ったもの。
どうですか?
黄色が明らかに北西部に集中しています。黄色はニニギの命です。17社。
ピンクがと柄物が東南部に広く分布しています。
木花開耶姫(5社)と大山津見命(4社)です。
大ざっぱに見ると、里と山に分かれています。
ニニギの命信仰の人たちは糸島水道の西側を中心にムラを形成しているのが分かります。
中心は一貴山(いきさん)。
明らかに船を操る人たちです。そこが天津神たちの里と考えられます。

それに対して、大山津見命と木花開耶姫は東と南の山に偏っています。
しかし、その分布がまばらなので、大山津見命の根拠地は
もっと東南の山にありそうな気配です。国津神の里です。

ブルーはヒコホホデミ命。8社。全体にまんべんなく分布しています。
これは『古事記』にあるように、天津神と国津神が縁結びをして、ムラが融合。
その結果、生まれた子が全体に祀られるようになったと解釈しました。

そこで、ブルーのヒコホホデミ命を外したら、天津神と国津神の融合する前の時代が
浮き上がるのではと思って、取ってみました。

糸島 国津神と天津神の戦いと融合_c0222861_18234023.jpg

やはり、黄色 対、ピンク・柄が対立しています。
天津神 対 国津神 の構造です。
国津神が山を中心に住んでいて、のちに天津神が海から入って来ているように思われます。
これら四神は志摩半島の北部には全く分布していませんでした。

また糸島水道の南の中央部に分布していないのは、当時まだ干潟だったからと思われます。
そこにわずかにある微高地に弥生の遺跡が残っています。
邪馬台国の時代、糸島の水位は現代より1~1.5m高かったそうですから、
さらに古い時代、海水はかなり奥まで湾入していたと思われます。

細石神社で考察したように、「コノハナサクヤ」も、「イワナガ」も、
あるいは「土で塗り込めた産屋」も製鉄の暗号でした。

そこで、推測したのですが、
国津神はもともと干潟の葦でスズ鉄を生産していたのではないでしょうか。
そこに天津神が良質の砂鉄があるのを発見して入植した。
天津神の方が武力で勝っていて、一時は戦いもあったが、両族は縁結びする事で融合した。

そんなイメージが浮かびました。
宇美八幡宮の麓の縄文村を思うと、国津神とは縄文人のことではないでしょうか。
のちに支石墓の下に縄文人が埋葬されるのも、これなら話が上手く繋がります。


糸島 国津神と天津神の戦いと融合_c0222861_141388.gif


ニニギの命を祀る神社は17社もあったのですが、木花開耶姫と一緒だったのは、
伊覩神社(いと)だけでした。
そこには、のちに五十迹手が近くの神社から合祀されています。
その場所は高祖山の山脈の北の端です。
東に行けば、もう海です。
この辺りが、二神の縁が結ばれた場所と想定してもいいのかも知れないなあと思いました。

新たな謎
さて、砂鉄の場合は森林を伐採しないと製鉄が出来ません。
志摩半島が一度は丸裸になってしまったのが、地名から分かっています。
Kさんのメールの指摘で気付いたんですが、森林伐採には五十猛の存在が絡んできます。
その神も糸島にはいくらか分布しています。


このほか、祭神の分布を調べていると、
ニニギノ命と菅原神がセットで祀られている神社が8社もありました。
菅原神が祖神の天穂日神と祀られている神社も弐2社ありました。

天穂日神が冶金の神で、道真公信仰の裏には鉄の存在が見え隠れする話は何度かしました。
しかし、この糸島でニニギノ命と強固に結びついているのを見て、
まだ知らない側面があるのだと新たな謎が生まれました。

また、神社の祭神の分布と支石墓や甕棺墓の分布がどう関わるのか、
興味深いテーマも生まれました。
誰か、地元の方、研究してくださいませ ( ´艸`)

そうそう、豊玉姫と玉依姫の分布とか。
スサノオとイソタケルの分布とか。
テーマが沢山ありますよ。

るなさん、さらに新たに気になる事があるので、次回考えます。
それは神武天皇の兄弟の件です。

<このはなさくや姫の里>シリーズ 11
シリーズで読む時は、すぐ下の#<このはなさくや姫の里>から入ると、
ずらりと出て来ます。




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糸島 国津神と天津神の戦いと融合_c0222861_15184581.gif


Commented by lunabura at 2016-03-05 23:37
そういえば、今日は現地説明会でしたね。
バスの中から位置を確認した程度でしたが、ほんとに近いですね。
漢の楽浪郡からの土器が沢山出土しているそうなので、
客館があった可能性も指摘されている地。
王都ともいえる三雲で、氏人たちが祀った細石神社。
氏族は氏神を祀るという点では、大胆な仮説を出してもいいのかなと思いました。
Commented at 2016-03-11 22:49 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2016-03-13 21:21
歴史は不思議にめぐっていきますね。
改めて知識不足に泣かされます(^^;
by lunabura | 2013-12-23 18:26 | 咲くやひめの里 | Comments(3)

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