2013年 12月 28日
糸島の東に祀られている御毛沼命・神武天皇の家族が大集合
糸島の東に祀られている御毛沼命
神武天皇の家族が大集合
福岡市西区 周船寺
ヒコホホデミ命(山幸彦)は糸島の主要地に祀られ、
大神とも言える存在だったことが分かって来ました。
ヒコホホデミ命は天津神と国津神の縁結びで生まれたのですが、
悩みを抱えて海神・豊玉彦を訪ねました。そこで出会ったのが豊玉姫。
二人はすぐに結ばれますが、ヒコホホデミ命は三年経つと自分の国に戻ってしまいます。
懐妊していたことに気づいた豊玉姫は夫の後を追いました。
しかし、何の事情があったのか、赤ん坊を残して自国へ戻って行きます。
その赤ん坊の名前がウガヤフキアエズ命。
その事情を神話では、亀の姿に戻って産んだのを見られたからだとありますが、
妹の玉依姫は亀に戻らなかったらしく、何事も起こっていません。
この辺りに隠された裏事情があるのでしょうが、現代からそれを推し測ることは困難です。
(「ワニ」は一般に鰐やサメと訳されますが、るな的口語訳では亀と訳しています。
「ワニ」=バニ・マニ。太占・フトマニのマニ。例:亀の甲の占い)

玉依姫は姉の子を育て、そして二人は結ばれます。
今日は玉依姫とウガヤフキアエズの命の間に生まれた四人の子の内の一人の話です。
その名は御毛沼命(みけぬのみこと)。
あれこれと書くより、『古事記』を読みましょうね。
(ヒコホホデミ命は古事記ではホオリノ命となっています
玉依姫
玉依姫は海の神さま大綿津見(おおわたつみ)の神の娘です。
姉の豊玉姫(とよたまひめ)と共に綿津見の宮に住んでいました。
姉の豊玉姫が日の御子のホオリノミコトと結婚してから、三年でホオリノミコトが地上に戻りました。姉の豊玉姫も後を追って綿津見の宮を離れました。子供を出産するためです。
ところが、子供を生み終えると、姉上は一人で綿津見の宮に戻って来ました。出産するときに本来の姿を見られてしまったために、帰って来てしまったのです。
姉上はこちらに帰って来たものの、夫が恋しく、また残して来た子供が気がかりでした。そこで、妹の玉依姫が子供の養育係として、行く事になりました。
こうして葦原の国に行った玉依姫は姉の子のウガヤフキアエズノミコトを育てました。そして、この子が成人すると、二人は結婚をしました。二人は伯母と甥にあたります。
二人の間には四人の子供が生まれました。
子の名は五瀬命(いつせのみこと)。稲氷命(いなひのみこと)。御毛沼命(みけぬのみこと)。若御沼命(わかみけぬのみこと)です。
長男のイツセノミコトは一番下のワカミヌノミコトと共に、この国を出て、東に新たな国を作るために出かけて、途中で戦死しました。
二番目の子、イナヒノミコトは亡き母の国へと海原にお入りになりました。
三番目の子、ミケヌノミコトは波頭を踏んで常世(とこよ)の国に行きました。そこは不老長寿の国と言われています。
一番下のワカミケヌノミコトは別名、トヨミケヌノミコト、またカムヤマトイワレビコノミコトとも言います。イワレビコノミコトは兄のイツセノミコトと共に日向を出て、東に向い、大和を平定して初代の天皇になりました。神武天皇と言います。
(古事記 ウガヤフキアエズの命の巻より)
『古事記の神々』の方に掲載している分です。
玉依姫の四人の子。
長男の五瀬命と四男の若御沼命は日向を出て東征します。
二人の名は、遠賀郡芦屋町の神武天皇社に揃って出て来ます。
二男の稲氷命は亡き母の国へ行ったとあるので、壱岐対馬に行ったのかと、ふと思いました。
で、驚いたことに、三男の御毛沼命を祀る神社がかつての糸島に二社もあったのです。
飯石神社 周船寺村大字飯氏字大屋敷
祭神 御食入沼命
三所神社 周船寺村大字千里字石仏
祭神 天津日高彦火火出見命、豊玉姫、御毛入沼命
漢字表記が少し違っていますが、同じ神です。今回は御毛沼命で統一表記します。
二社の住所を見ると、どちらも周船寺です。
どうして、ここに御毛沼命が祀られているのでしょうか。
近くの神社を見回すと、飯石神社から約2キロの所に産宮神社があります。
そう、今回の糸島シリーズで最初に参拝した宮です。
そこに、祀られていたのは
奈留多姫命 玉依姫 ヒコナギサタケウガヤフキアエズ尊
玉依姫の四男は奈留多姫と結ばれて、綏靖天皇を生んでいます。
綏靖天皇の母にはホトタタライススキ姫という好ましくない名前がついていますが、
これは製鉄の暗号が込められていました。
ふと、ホトタタライススキ姫の名が奈留多姫かもと思ったのですが、
思いつきにすぎません。
産宮神社で推定した系図に神武四兄弟を加えてみます。

こうして見ると、周船寺を中心に家族が入り乱れるように祀られているのが分かります。
近くには豊玉姫の上陸地と思われる志登神社があり、
歩いて行ける範囲に祀られている妹、夫、子供、孫たち。
このように濃密に祀られているとしたら、
ここに神武天皇の家族のクニがあったと想定できるかもしれません。
それを「日向」と言うのでしょうか。
三男の御毛沼命が糸島に残り、長男が四男と共に東征。
二男は母方の国の跡を継ぐ。
そんなストーリが考えられます。
全く想定外の話が生れてしまいました。
当地はもう少し、時間をかけて調べる必要がありますね。
結論を急がず、じっくりと調べて行こうと思います。
<このはなさくや姫の里>シリーズ 12
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お母さんの玉依姫と一緒に☆
瀬戸内海で嵐にあい嵐を鎮めるために海に身を投げたそうです。
ん?この話ってヤマトタケルや般若姫伝説によく似てる?
でも、三毛入沼命は高千穂に戻った説もありますね。助けられたのなら良かったね(^o^)と思います。







