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ひもろぎ逍遥

謎の欠史八代(1)これはいったい何?


謎の欠史八代(1)
これはいったい何?


まさか、「欠史八代」をテーマにする日が来ようとは想像もしていなかった…。

でも、最近その天皇たちがよく出て来るので、ちょっと調べる事にしました。

まず、ターゲット。
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと)
6.孝安天皇 - 日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびびのすめらみこと)

書かれていない1代目は神武天皇。

なぜ「欠史八代」と言うのか、理由をウィキペディアで調べたけど、よう分からんかった。
「現代の研究ではこれらの天皇は実在せず後世になって創作された系譜であるとする見解が有力だが、
実在説も根強い」
分かったのはこの文くらいかな (^-^)v

神武天皇は実在して、その子孫は不在か…。

どんな研究がされて不在説が生まれたのか、読みながら理解不能に陥った るな。

しかし、福岡に住んでいると、この八代の天皇の名が神社に見られる。

神功皇后に関しては不在説があっても、あまりの伝承の多さに、
何故だろうと思う福岡県人は多いだろう。
調べて見ると、神功皇后は福岡には少なくとも3年は滞在したのが今回明らかに。

これと同様に、欠史八代も九州の話なので、他の地域の研究者は机上の論理で
簡単に存在を否定できるのではないかと考えるようになりました。

今回は、糸島の産宮神社で第二代綏靖天皇の名を見つけたのが鮮烈な印象となり、
雷神社を見直している時、6代目から11代目の名前があったのに気付いたのです。

1代目の兄弟も福岡市西区に出て来たばかり。
ましてや8代目は久留米の高良下宮社に出て来るし。
いったいどうなっているのだろう。

とりあえず、これまで出て来た天皇が何処に祀られていて、どんな伝承があるのか、
少し整理してみようと思います。

『日本書紀』を先に読むか、神社伝承を先に読むか。
う~む。
明日はどっちだ。



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雷神社



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Commented by 愛読者 at 2014-01-08 10:10
明けましておめでとうございます。本年の一層のご活躍を期待しております。
さて「欠史八代」と九州の関係ですが、『日本書紀』では名前に「大日本」が付いていますけれども、「日本」などという国名が当時あったはずはありません。
『古事記』では皆「大倭」となっていて、こちらの「倭」は周王朝時代から「倭人鬯草を献ず」とあるように古代からある国名です。しかも、志賀島金印などに見られますから、この所在地は「九州」です。
また、魏志倭人伝に「国国有市、交易有無、使大倭監之」とあるように、「(使)大倭」は邪馬壹国、或はそれ以前の倭奴国時代からの「地方を監する官名」と考えられます。
つまり「大倭」とある人物たちはこれら「九州の王朝の官」であったことになろうかと思います。
考えてみれば神武は九州から出発し、大和に侵攻しているのですから、その子孫が、本家の九州の王朝から功績を讃えられ「大倭」の称号をもらっていても不思議はなく、従って彼らの痕跡が九州にあることは十分に考えられますよね。どうでしょうか?
Commented by lunabura at 2014-01-08 23:08
愛読者さん、新年おめでとうございます。
倭は九州にあって本家で、日本は分家というイメージを持っています。
この時代に詳しい、愛読者さん、これからもいろいろと教えてください。(^-^)
Commented by はなこ at 2014-01-09 11:02
神宮皇后の遠征って、当時はしょぼい情けないものだったんじゃないですか?大和政権が確立した時に遺跡の強化と整理がなされて、その後も時代の節目ごとに整備が進んで、伝説も強化されていったのでは?
ネットであちこちの遺跡を見ると今がその真っ只中と思われる新しい碑文や何かいろいろあって、?と思ってました。古い遺跡は古いままのほうが、趣きがあって好きですけど、ほっといたら消滅するし、難しいものですね。皇后とはいえ女帝扱いですね。どんな顔してらしたのか、お墓とかあるんでしょうか?遺骨があれば顔かたちもややわかるんでしょうけど、美人かな(byミーハー)

高野山あたりをうろちょろしてると(Gmapで)「伊都郡」って地名がありました。邪馬台国南紀説とかないんですか?
Commented by はなこ at 2014-01-09 11:09
あ、それで質問ですけど、熊野本宮って、すごい僻地にあるんですよね。このお宮を立てた人は、海から来たか、峠を越えて陸から来たか、どっちでしょう?
諏訪大社が海から来た民の立てたものと依然TVで見たことがあります。あの柱は出雲の柱と同じだって。
熊野も海からでしょうかね?
Commented by lunabura at 2014-01-09 21:03
はなこさん、こんばんは。
神功皇后の遠征の件ですね。
もともと仲哀天皇の遠征ということになりますが、
新造船だけでも、48艘。船の帆柱や、帆、兵隊の服、船団の組織など、
本格的な軍備をしている事が明らかになりました。
兵たちは遠賀川流域、筑後川流域、もちろん、香椎宮を中心として伊都から福津にかけて、各地から集まっています。
この時代は豊浦宮と香椎宮が皇宮ですから、ヤマト政権というより、豊浦政権とか言うべきもののようです。
ヤマトも漢字で書くなら倭王権ということでしょう。
なにせ、仲哀天皇も神功皇后もそれまでは奈良辺りには行ってないようなので。

遺跡の保存はおっしゃるとおり、難しいものですね。
神功皇后のお顔。夢で見たお顔はどこかにUPしてます…。
藤原紀香さんが、似てます。 ^^
Commented by lunabura at 2014-01-09 21:05
はなこさん、もう一つ、熊野本宮の件ですね。
友達が熊野で「福岡から来た」と言ったら、
「英彦山が元宮です。御苦労さん」と言われたそうです。

ある本には火祭りのようすから、海人族だと書いていました。
私としては、まだ意見を持っていません。^^
Commented by はなこ at 2014-01-11 18:59
日本書紀か、神社伝承か≫
そりゃ、伝承に決まってますよ。出来上がった史実に無い内緒話画が・・・
遺跡のかけらのように、ポロリと出てくるかも。

お正月ごろに録画した「伊勢神宮と出雲大社」の話を今頃見たんですけどね、同じような企画を2~3年前おなじNHKで見た時と、ちょっと視点が変わってて、歴史なんで数年で変えられるんだからあてにはできないと思いましたよ。
「伊勢はピッカピカ」、とアナウンサーが力を入れていたのに笑ってしまいました。そういうところはやっぱり神社の人の何気ない話の中にニュアンスを聞き取るっていうのと同じ面白さでしょうね。
Commented by ハコガメ at 2014-01-11 22:15
こんばんわ!糸島の雷神社を取り上げているんですね。
あの神社でスズメバチに刺されたので印象深いです。( ; ; )

来週の「世界不思議発見」で玄界灘の沖ノ島が取り上げられるようです。早速来週の番組が楽しみです。

今日、黒田官兵衛を祀ってい光雲神社に行き、しっかり御朱印をいただきました。


Commented by lunabura at 2014-01-12 00:18
はなこさん、こんばんは。
>そりゃ、伝承に決まってますよ。
スカっと来ましたね。
おっしゃる通り、神社伝承から入って、しかも、日本書紀はスルーしちゃいました。
私は、やはり『古事記』が好みです。
確かに、歴史観は常に変化していますね。
番組、私も見ましたが、内容をもう忘れてしまいました (+_+)
Commented by lunabura at 2014-01-12 00:20
ハコガメさん、こんばんは。
そうそう。雷神社ですよ!
教えてくださった古代祭祀場をネットで確認しました。
そこもまた神功皇后の祈りの場のようですね。
おかげで、一言ガイドブックにも紹介できました。
ありがとうございます (^-^)
by lunabura | 2014-01-08 00:08 | 謎の欠史八代 | Comments(10)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『豊玉』『星の迷宮へのいざない』   Since2009.10.25