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ひもろぎ逍遥

謎の欠史八代(4)雷神社 六代天皇の頃から異敵の襲来があった


謎の欠史八代(4)

雷神社 六代天皇の頃から異敵の襲来があった


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雷神社は全体が神の依ります地として格別な宮です。

神功皇后も祈願の為に籠っていますので、ガイドブックの上巻に紹介してますよ(^-^)
ここは代々の勅願所として日本の地を守り続けた神々の杜です。

由緒は?
社記の伝えるところによれば、第六代孝安天皇から第十一代垂仁天皇の御代まで、異国から我が国に襲来する事が数度あったが、当社の神が大雷火となって異賊を降伏させられた。垂仁天皇はこの御神徳を畏んで社殿を建て、敵国降伏の神として崇敬された。 
神功皇后は三韓征伐の時、武内宿禰に命じて宝剣宝鏡を供えて祈願された。
『福岡県神社誌』

なんと、第六代孝安天皇の時代から異国の襲来が数度あったというのです。
異国が何処なのかは書いてありません。
でも、異国が襲来する場所としたら、やはり九州でしょう。

当社の神が大雷火となって異賊を降伏したというのです。
御祭神を見ると、
火雷神、彦火々出見尊、香椎大神、住吉大神、応神天皇ほか

香椎大神は神功皇后ですね。住吉大神と応神天皇を引くと、
第六代孝安天皇の頃に祀られていたのは火雷神、彦火々出見尊となります。

これをどう考える?
糸島の南に堂々とした山容を誇る雷山。
この山に祈る人たちはそう遠く離れた所の人ではないでしょう。
まずは地元を考えるのが筋道です。

さて、第6代から11代までの話なので、リストには欠史八代が一部入っているので、
それに追加して14代までを書いてみました。

          日本書紀                古事記
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみ) 神沼河耳命・建沼河耳命
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)
6.孝安天皇 – 大日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)大倭帯日子国押人命
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび) 

10崇神天皇
11垂仁天皇

12景行天皇
13成務天皇
14仲哀天皇

赤字が雷神社に書かれた時代です。
これを見ると、筑紫では欠史八代から仲哀天皇の時代まで歴史が連綿と続いていたと思われます。

で、このシリーズは「謎の欠史八代」ですから、6代目から9代目までを調べて行く事になります。

まずは第六代。

第六代 孝安天皇

大倭帯日子国押人(おおやまとたらしひこくにおしびと)命は葛城の室の秋津島宮で天下を治められました。この天皇は姪の忍鹿姫(おしかひめ)命を娶って、生まれた御子は大吉備諸進(おおきびのもろすす)命。次に大倭根子日子賦斗邇(おおやまとねこひこふとに)命の二柱です。この大倭根子日子賦斗邇命が後を継いで天下を治められました。天皇の御年は123歳。御陵は玉手の岡の上にあります。
(『古事記』)

うふ。ここは短かった! 訳が簡単( ´艸`)

孝安天皇は姪と結婚して、二人の皇子が生まれ、次男が後を継いでいます。

謎の欠史八代(4)雷神社 六代天皇の頃から異敵の襲来があった_c0222861_21333989.gif


『古事記』には書かれていないけど、雷神社の社伝により、
この御代から異敵の襲来が始まったということになります。

時代は弥生時代の中期頃でしょうか。
大倭帯日子国押人命の御陵は石棺墓や土壙墓、あるいは甕棺墓なのでしょうね。

ウィキペディアの非実在説を、ちょっくら覗きました。

非実在説
陵墓に関しても欠史八代の天皇には矛盾がある。第10代崇神天皇以降は、多くの場合その陵墓の所在地には考古学の年代観とさほど矛盾しない大規模な古墳がある。だが第9代開化天皇以前は、考古学的に見て後世に築造された古墳か自然丘陵のいずれかしかない。その上、当時(古墳時代前~中期頃)築造された可能性のある古墳もなければ、弥生時代の墳丘墓と見られるものもない。

非実在説の根拠なのですが、読んでいると、
天皇の陵墓は大規模な古墳と限定してあるようですね。
そうか、比定陵墓の話なのですね。

るなが理解できなかった原因はウィキぺディアの編者が
欠史八代は古墳時代と決め込んであるからみたい。
ま、妥協して弥生時代の墳丘墓もターゲットに入っていますが。

しかも、近畿だけに限定してる?
これは、落ち着いて考えると、「近畿非実在説」と読み換える事ができますね。

近畿の弥生時代って、よく分からないのですが、どうなっているのでしょうか。
筑紫には沢山あるので、こちらに歴史があったと考える方が自然かも。
ちなみに、孝安天皇の父、第五代考昭天皇の陵墓は掖上(わきがみ)の博多山にあるんですって。
博多山ってどこ?

さて、ここで同じような話題を高良下宮社でしたことを思い出しました!
そうそう、弥生時代を比較した良い年表がありましたね。

謎の欠史八代(4)雷神社 六代天皇の頃から異敵の襲来があった_c0222861_2133157.jpg


これは「邪馬台国展」の図録から。
北部九州と近畿の遺跡分布が一目瞭然です。
(ただし、唐古鍵遺跡がもれているという指摘がありました)
弥生時代の遺跡分布の全体のイメージ作りにはこれが役に立ちます。

(つづく)

雷神社





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Commented by のら at 2014-01-12 12:29 x
陵墓問題は矛盾を含んでるのは周知の事実になってますよね。
先年の斉明女帝や大田皇女とか。
維新前までの伝承無視した形で決められてますもんね。状態が悪いからとか。

面白いのは某雑誌の企画で霊視すると平城天皇陵は元は別人の墓だったものに埋葬したとか。
問題のあった天皇とはいえ打ち捨てる事はせず、しかし新たに陵墓を作ることもせず体裁だけ整えたと。

欠史8代とは関係ない話でゴネンナサイ(^o^;)
Commented by ハコガメ at 2014-01-12 19:54 x
「神功皇后伝承を歩く」の表紙。
凄くイイですね!
この表紙なら古代史、神社ファンは手を取りたくなりますよ!^_^

西日本新聞で取り上げてもらえたらいいですね。応援します!^_^
Commented by lunabura at 2014-01-13 00:10
のらさん、そうなんですか。
話、面白いです。
どんどん書いて下さい (^-^)
Commented by lunabura at 2014-01-13 00:12
ハコガメさん、ありがとうございます。
デザイナーさんのセンス、素敵なので、是非見て下さいね。
新聞とか、郷土のことなので、取り上げられたら、ありがたいです。
by lunabura | 2014-01-11 21:38 | 謎の欠史八代 | Comments(4)

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