2014年 01月 19日
謎の欠史八代(7)孝元天皇の末裔たち
謎の欠史八代(7)
孝元天皇の末裔たち
系図を書いてみました。
神功皇后伝承に名を残す人たちの名前がチラホラ見えます。
あの人は、こんな事をした。
この人はこんな事をした。
そう思いながら思い出を辿っているような気分がしました。
系譜は、それほど出鱈目ではないのではないのかも知れません。

孝元天皇
孝元天皇はウチ家に妻問しています。
ふつうは姉妹と結婚するけど、ここでは叔母と姪。
珍しいです。
以前、系図を書くのに工夫が要ったからよく覚えています。
あっ。そういえば「ウチ考」が途中でストップしてるのを思い出しました。
歴史はまっすぐには辿れません。
ラセン階段を下っていくように、同じ所に何度も戻りながら深まって行くものなのですね。
このブログも同じ話が繰り返し出てくるけど、そのたびに理解は深まっています。
誰も辿っていない道だから、皆さんと知識を共有しながら歩みたいと、
系図も時間をかけてイラスト化しています。
内家。これは歴史の深い地層に眠っているようです。
時がくれば自然とその姿を現してくれるのでしょう。
さて、「大倭根子日子国玖琉命」という孝元天皇の名前。
「ネコ」とは南北線。「子(ね)」の方向は北。
「ヒコ」とは東西線。「日」は日の出、日の入りの方向。
真鍋がそんな事を書いたのですが、その続きがどこにあるのか、
分からなくなったので、またいつか。
味師内宿禰 (うましうちのすくね)
竹内宿禰の異母兄弟です。
が、竹内宿禰を殺そうとしたのは味師内宿禰でしたね。
竹内宿禰が筑紫で謀叛をたくらんでいると応神天皇に讒言をした人。
応神天皇はそれをまんまと信じて竹内宿禰追討の勅命をだしてしまう。
ところが、竹内宿禰とそっくりな壱岐真根子が代わりにと自害する。
でも、今では自害でなく、殺されたんだろうな、と思うようになりました。
竹内宿禰の9人の子。
妻の名前が書かれていません。
当然何人もいたのでしょうが、その一人が「豊姫」だという話を聞きます。
豊姫は神功皇后の妹という話があるけれど、妹の名は虚空津姫(そらつひめ)。
豊姫と虚空津姫は同一人物なのかどうか、今でも課題です。
昨年の久留米大学の講座で質問がありました。
神功皇后の出産の地はどこかという内容だったと思いますが。
神功皇后の出産の地は数か所、伝えられています。
赤司八幡宮(久留米)でも神功皇后のために産屋まで準備していたというのですが、
神功皇后はここで出産したのか?
神功皇后が宇美八幡宮(宇美)で出産したなら当宮では誰が出産したのか?
そんな話題だったと思います。
「豊姫」
即座にそんな答えが出て来て自分でも驚きました。
赤司八幡宮はもともと「豊比咩神社」というのですね。
だから、ここで出産したのは豊姫だと思ったのです。
あの時、皆さんに、妙に納得した空気が流れたのが印象的でした。
豊姫も神功皇后も共に懐妊していたのだと思います。
古代の天皇たちの旅というのは、夫婦は一緒。
そうしないと、妻を残して旅をしたら、妻はあっという間に奪われてしまいます。
ヤマトタケルは妻と一緒に征討の旅に出ました。
古代は出産も子育ても旅の中で行われたケースは沢山あると思います。
想像もつかないけど、何日か山の中を歩くとそれがよく分かります。
侍女たちも、もちろん妊娠したり出産したりしながら旅をしたでしょう。
神功皇后の出産の地が対馬から筑紫、豊と各地にあるのは、
多分、侍女たちの出産が神功皇后当人として伝えられているのではないかと
考えるようになりました。
オオビコの子・建沼河命
阿部家の祖と書かれています。
糟屋郡久山町(トリアスの隣)の黒殿神社は阿部家の祀る神社。
建沼河命が久山町にいる間に阿部家の娘に子を生ませたんですね。
現地伝承と『古事記』がぴったり符合しました。
その阿部というのは安曇族だという話を宮地嶽神社で伺いました。
膳臣(かしわで)と共に旧糟屋郡の豪族なのが系譜でよく分かりました。
黒殿神社はガイドブックでも紹介していますよ。
竹内宿禰の子・波田八代宿禰
竹内宿禰を祀るのが織幡神社(宗像市)。壱岐真根子の子孫が祀り続けています。
オリハタ。ハツ。
秦氏のキーワードです。
福津市の縫殿神社も布を作っています。
るなは「奴山古墳群」の所で、「宗像族の奥つ城(き)」と、
受け売りで記事を書いたのを反省してラインで消しています。
まだ当時、宗像族はそこでは活躍していません。
中世時代に宗像族が攻めて来ました。
今思う。
福津市の奴山から宗像市の鐘崎までは秦氏だろうと。
竹内宿禰の長男が波田八代宿禰。ハタですね。
宗像族が支配するのはもうちょっと後の話だと思います。
(奴山古墳群のマップを貰って来たので、講演の時、配りま~す)
さて、何で欠史八代を調べ始めたのかなって、思い出すと、
雷神社で異敵の襲来があった時代を調べていたのですね。
日本書紀 古事記
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみ) 神沼河耳命・建沼河耳命
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)
6.孝安天皇 – 大日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)大倭根子日子賦斗邇命
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)大倭根子日子国玖琉命
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび)
10崇神天皇
11垂仁天皇
12景行天皇
13成務天皇
14仲哀天皇
赤字の部分がその時代。『古事記』からは戦いの歴史は見えて来ませんでした。
結局、異敵と戦わずに済んだのは景行天皇と成務天皇の時代だけですね。
景行天皇は外国と戦わずに済んだから、九州の土蜘蛛たちを討伐できた?
成務天皇は即位後すぐに病死です。
そして、仲哀天皇の時代に再び外敵が攻めて来ます。
この時、初めて記紀に異敵との戦いが記録されたのだと分かりました。
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久山(立花)、大隈、宇美、辺りでグチャグチャになってわからなくなりまして、、、
不思議だなあ、なんて思いながら思わず書き込ませてもらいます!
本 楽しみにしています:-)
阿部氏は黒殿神社にその系譜が書かれていました。
そして、驚くべきことに、宮地嶽神社の失われた祭神、阿倍助麿高麿兄弟が忌宮神社で戦死していたことが、今回判明しました。
ですから、宮地嶽神社は安曇族なのです。
古墳も安曇族であって、宗像族ではないのです。
ここを押さえると、少し整理が出来るかも知れませんね。
忌宮神社は福岡県ではないのですが、重要なので、ガイドブックのトップに書いています。 (^-^)
そうなのですか。
その神社は最近鳥居辺りがすっかり変わっていて、撮り直しに行ってよかったなと思った所です。
この一年間で、変貌した神社がいくつもあります。
そういう点でも、平成の一時期を切り取ったものとして、本に残せて良かったなと思っています。









