2014年 03月 15日
高良御子神社(2)花火動乱蜂
高良御子神社(2)
花火動乱蜂

ここは王子池。
高良御子神社の裏手から登った所にあります。
話によると、ここで動乱蜂(どうらんばち)という花火があげられるそうです。
動乱蜂。
名前だけは知っていたのですが、思いがけない場所で行われていました。
残念ながら、訪れた年は土砂崩れのために祭が出来なかったそうです。

湖の左端の白い砂地が土砂崩れの跡です。
その右手に階段が見えます。(ススキの穂の先の直線が石段です)
な、長い。長すぎる。
その上が古宝殿だそうです。
なるほど、麓に遷宮するのもうなずけます。
ネットで調べると、花火動乱蜂の動画がありました。
花火というより大砲!古い形が伝わっているんですね。
この動乱蜂を催行する神社名は「王子若宮八幡宮」となっていました。
何処にある神社だろうと動画を見ていると、この「高良御子神社」が写っていました。
「王子若宮八幡宮」という社号からは応神天皇や仁徳天皇を連想してしまいます。
とても、「高良御子神社」と同じ神社とは思えません。
そこで、再び高良御子神社の境内へ降りてみましょう。

境内の左手に「花火動乱蜂」の石碑があり、その横に一つの石と二つの石祠がありました。
王子若宮八幡宮
赤い垂幕の祠が「王子若宮八幡宮」でした!
祭神は仁徳天皇です。
小祠建立 天保十有五歳申辰春三月吉祥日
由来=三百数十年前本村区では、毎年九月十五日若宮八幡宮の例祭に素朴な花火行事を奉納していたが、天保の頃、有馬藩砲術指南役古川辰之進氏が花火動乱蜂の製法を創案完成し、代々住民にその秘伝製法をおしえ現在にいたっている。
「本村区」で奉納されていたとあるので、を地図で確認すると、当地の集落のことでした。
この社伝によると、天保の時、ここに小詞を建立して祭祀が始まったようですね。
それまでは、素朴な花火行事を奉納していたとありますが、
祭日が9月15日なので、旧の盆だったのでしょうか。
そこに古川辰之進が赴任(?)して来て、動乱蜂を造ったということです。
砲術指南役だったということなので、あの動乱蜂はやっぱり大砲だったんですね。
太神宮
上の写真の右手の石祠は太神宮と書かれています。
祭神 天照大神
小祠建立 天保十有五歳 申辰春三月吉祥日
これによって、左右の祠は同時に建立されたのが分かりました。
恵比須神

動乱蜂の石碑のすぐ後ろの神体石は「恵比須神」と書かれています。
祭神 少名彦神(古川家守護神)
注=もと古川屋敷神として祭祀あるのを道路拡張のため高良御子神社境内に移転
遷座 以上本村区にて運営・管理
平成十四年十月吉日 山川校区郷土研究会建之
古川家の守護神と書かれていますが、出雲系の神でした。
天満神社

これは天満神社。
天満神社
天満宮(長園より引移)以後 神社調帳による
祭神菅原神(本村区氏神)
小祠建立 明治二十九年十一月上旬建之
注=何時の頃 当地に遷座ありしか不明
道真公です。こちらが当区の氏神さまですね。
そして、冶金の神様でもある。
道真公を祀る集落に少彦名神を守護神とする古川家がやって来て大砲を開発して技法を伝えた。
その時、天照大神と仁徳天皇を祀るようになったようです。
新しい技法を受け入れる技術がここには、もともとあった事を意味します。
ここは古くから武器製造を受け持った集落だったのではないでしょうか。
その上、ここには高良玉垂神の九躰皇子が祀られている。
そこに、高良山の神輿はやって来るというストーリーになります。
境内には、もう少し手掛かりがありました。
(つづく)
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