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高良御子神社(7)九躰皇子と竹内宿禰の子は同じだろうか


高良御子神社(7)
九躰皇子と竹内宿禰の子は同じだろうか

ようやく、高良御子神社に戻って来ました。
もう一つ、検討しておきたいことが残っていました。

それは九躰皇子竹内宿禰の子は同じだろうかという問題です。

「高良御子神社 高良系神社乃分布」という資料に
九躰皇子を祀る神社の分布が網羅されていたので、これで考えようと思います。

これは「福岡県神社帳」(昭和十九年発行)からリストアップしたもので、
「武内宿禰の御子神を祀った社は北は甘木市より、南は三池郡高田町に至る区域内に十六社ある。」
と書かれています。

その分布はざっと見て、筑後川流域の中流域から下流域に当たります。
高良山を中心としたら北部から南部にかけてです。

くじらさんのコメントによると「王子宮の豊福正美総代から伺ったところによると、
かつては、浮羽から八女までが阿志岐だったとのこと。」
ということなので、御子神の分布は阿志岐とかなり重なっています。

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(地図では筑後川を千歳川と書いています。高良山は巨勢の「巨」の字あたりです)

これは竹内宿禰が福岡全体に祀られているのに対して、
御子神は筑後地方に限定されているという特徴があります。

そして、その祀られ方は、
御子神が九人一緒に祀られている社もありますし、一柱だけ独自に祀られている社もありました。

ほかに目につくのは、菅原神と一緒に祀られているケースがいくつかあることです。
竹(竹内宿禰)と梅(菅原道真)を同一氏族が祀っているのでしょうか。

時代的には西暦200年頃、900年頃と、700年の隔たりがあります。
それを繋ぐのは安曇族なのでしょうか。


そこまで漠然と考えていたのですが、くじらさんから、
「阿志岐は高良社 小祝 安曇氏の管轄下にあり、最高祀官 大祝 鏡山氏(物部氏)は、
草野町に在住なされています。」とコメントがあり、納得したしだいです。

つまり、小祝 安曇氏が阿志岐を管轄していたということは、
安曇磯良が高良山に関わってからずっと安曇族が祭祀に関わっていたということになります。

そして、「志賀島から安曇族が九州王朝(八女)まで物資を運んでいた」という
志賀島の人の話と相互に裏付ける内容となります。

阿志岐のエリアが安曇の管轄下にあり、
重なるようにして高良玉垂命の御子神たちが祀られているとなると、
九躰皇子は安曇の末裔という可能性も十分に残っていることになります。

九躰皇子が竹内宿禰の子とはこの段階では言えません。


地図 高良御子神社





坂本命神は男神か女神か?


さらに、九躰皇子と竹内宿禰の九人の子は同じかどうかという問題の
アプローチの手段として、七番目の御子に注目しました。(赤色)

<九躰皇子>                <建内宿禰の九人の子(古事記)>
1 斯礼賀志ノ命神(シレガシ)       1 波多の八代の宿禰
2 朝日豊盛ノ命神(アサヒトヨサカリ)   2 許勢の小柄(おから)の宿禰 
3 暮日豊盛ノ命神(クレヒトヨサカリ)   3 蘇賀の石河の宿禰
4 渕志ノ命神(フチシ)          4 平群の都久の宿禰
5 谿上ノ命神(タニガミ)、         5 木の角(つぬ)の宿禰
6 那男美ノ命神(ナオミ)         6 久米のマイト姫
7 坂本ノ命神(サカモト)         7 ノノイロ姫
8 安志奇ノ命神(アシキ)         8 葛城の長江のソツビコ
9 安楽応宝秘ノ命神(アラオホビ)     9 若子(わくご)の宿禰

坂本神=ノノイロ姫なのでしょうか。

これを考えるのに、筑後地方では実際にどんな名で祭祀されているのか検討することにしました。

●すると、広川町の高良坂本社では
「古賀村に新しく社を建て始めて坂本命を祭る。是れ玉垂宮の七男なり。」とあって、
坂本命=男神となっていました。
ところが、祭神は9若子宿禰となっているので、
当社では7坂本命=9若子宿禰となっているのかもしれません。

●大刀洗町の高良坂本神社は祭神が7奴能伊呂姫命(ぬのいろひめ)で女神でした。

●また、筑後市の玉垂命神社の祭神は
玉垂御子社 
    1 波多の八代の宿禰 
    3 蘇賀の石河の宿禰
    5 木の角(つぬ)の宿禰 
    2 許勢の小柄(おから)の宿禰 

玉垂御子社
    4 平群の都久の宿禰
    8 葛城の長江のソツビコ
    9 若子(わくご)の宿禰
    6 久米のマイト姫
とあり、肝心の7ノノイロ姫の名がありませんでした。

●北島坂本神社(北野町)の祭神名は坂本命。

こんなに色とりどりです。男神か女神か、謎は解けません。
ただ、全体からの印象では、筑後地方には、九躰皇子=竹内宿禰の子、という
合意があるように思われます。


シレカシ命
九躰皇子の長男・1斯礼賀志命、一柱を祀るのは
久留米市藤光町の玉垂御子神社と野中町の玉垂御子神社、善道寺町の天満宮
です。

シレカシ命は長男ということで、のちには高良玉垂宮を負うべき人だったと
思われるのですが、どうなったのでしょうか。
高良山は、のちには物部氏になるんですよね。

筑後の祭神の分布を分析していくと、もっと実態がつかめそうな予感はします。
これは地元の方にお願いしたいな。

結論として、「九躰皇子と竹内宿禰の子は同じだろうか」の答えは「分からない」でした ( 一一)


高良の神
この資料には、さらに高良の神についての調査も記載されていました。

高良の神を祀ってある神社は、福岡県、大分県、に多く、佐賀県にもあり、全国に広がっている。皆様御存知の武内宿禰は、応神天皇に侍して御育てし、大臣として御助けした長寿神で、武内宿禰を祀る神社名は、高良・玉垂・賀来・武(竹)内・白髭・常盤(ときは)・黒雄(男)・大杉・善親(神)王(ぜぜのお)・古宮・翁(おう)・古一老、その他多種多様である。
注(高原三郎著大分の神々より)(略)

次に武内宿禰と関係のある有名神社を記す。
香椎宮・宇佐神宮・織幡神社・宇美八幡宮・高良大社・玉垂宮・風浪宮・気比神宮・宇倍神社がある。此の内気比神宮は福井県・宇倍神社は鳥取県で、その外の神社は北部九州に在社している。


武内宿禰を祀る神社名は多種多様ですが、このブログで関わった神社がいくつも出てきます。
賀来や善神王は安心院にありましたね。

また、武内宿禰と関係のある有名神社のリストは福岡県内の分は
『神功皇后伝承を歩く』で網羅していて、びっくり。
ガイドブックでは、もっと多くの神社を紹介しています。

しかし、竹内宿禰に関してはそのスケールの大きさから、まだ全貌が見えないのが実情です。

高良山の謎はなかなか奥が深いです。
また、別の方法でチャレンジできる日を期待しつつ、おいとましましょう。


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(石段から、一、二の鳥居を見る)








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by lunabura | 2014-04-03 20:06 | 高良御子神社 | Trackback | Comments(4)
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Commented by 愛読者 at 2014-04-04 10:21 x
 『高良社大祝旧記抜書』(元禄15年成立)では、長男斯礼賀志命は朝廷に臣として仕え、次男朝日豊盛命は高良山高牟礼で筑紫を守護し、その子孫が累代続いているとあります。
 高良文書では、初代玉垂命は仁徳78年(390)に没したとあるので、斯礼賀志命らは4世紀末から5世紀当初の人物となります。
 『梁書』には「晋安帝(在位 396~418)の時、倭王賛(倭の五王の「讃」のこと)有り」とありますから、斯礼賀志命の時代と一致します。
 しかも、『宋書』の「倭の五王」では「讃死して弟珍立つ」とあり、以下珍の子孫が倭王となったと記していますから、斯礼賀志命の弟・朝日豊盛命の子孫が筑紫を守護してきたとの高良文書と一致します。
 つまり斯礼賀志命こそ「倭の五王の讃」、弟・朝日豊盛命が「珍」で、その子が済、その子が興、興の弟が「武」となり、これは、4世紀末から5世紀末における玉垂命の系列の九州王朝の天子こそ「倭の五王」の正体だったことを示すものだと考えています。
Commented by lunabura at 2014-04-04 23:01
シレカシの記録があるんですね!
ありがとうございます。
ところで、シレカシが臣として朝廷につかえていたとすると、朝廷の天子には成れなかったのではないでしょうか。
天子の系譜は別に存在すると考えられるのですが、その点はいかがですか?
Commented by 愛読者 at 2014-04-04 23:22 x
『高良社大祝旧記抜書』は、『日本書紀』のはるか以後の成立ですから、当然『書紀』や近畿天皇家万世一系思想にあうように改変されており、「斯礼賀志命は「大和朝廷の臣下」として筑紫を治めていた」とされているものです。
筑紫の君岩井が継体の臣下で「化に逆らった」とされていたのと同じですね。
Commented by lunabura at 2014-04-05 22:46
なるほどですね。
分かりやすいです。
ありがとうございます。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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