2014年 04月 11日
磐井城・二つ城だった
磐井城
二つ城だった
磐井の名を冠した城があるとは知りませんでした。
しかも、場所は高良山の麓。
くじらさんが地元の御井寺で地名研究会があった時に、聞かれたといいます。
その場所は今は水明荘といって、私有地になっています。
私有地だけど、ちょっと撮らせていただきました。
新緑が美しい。
周囲より高台になっていて、城を作るのに好適地と思われました。
そして、これが反対側に回って見たようす。
そう、久留米の皆さんならよく御存知の御手洗橋から撮りました。
高良山に登る時は、車でも歩いてでもこの側を通ります。
向こうの山が磐井城跡です。
その中には新清水観音堂(明治以降豊比咩神社)と芭蕉を祀る桃青霊神社があります。
そして、その麓にある玉垣は「高良の神がここで御手を洗って山に登られた」という井戸です。
ここから登って行くと、あの神籠石に出ます。
そして、くじらさん、町人発見して追っかけていましたが、戻ってくると朗報。
磐井城はここと反対の山の二か所にあったという聞き込み報告でした。
やあ、振り返れば橋の上からその山がドンピシャリ見えますぞ。
この石橋は享和三年(1803)のもので、放生池は安永年間(1772~80)に久留米藩が整備したということです。
もともと谷だった所です。
高良の神は川沿いに登ったことが分かります。
それから磐井城の時代はどうだったのでしょうか。
まだ谷川だった事でしょう。
そして、ここにはあの「筑紫君磐井」がいたのでしょうか。
そう考えていいのかな。
勇み足かな?
古墳を造った八女からも便利がよく、筑紫を治めるのに好適地だと思うけど。
磐井の君と物部麁鹿火(あらかひ)が激突した所は「筑紫の御井郡」(『日本書紀』)。
ここもまた旧御井郡です。
久留米市御井町
地図に書かれた「神籠石」は「八葉の石畳」の方で、本来の「神籠石」は青星の所。
「写真」をクリックすると、古代の「中つ海」に向いて建っているのが分かります。
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