2014年 04月 15日
磐井の拠点
磐井の拠点
先日から『高良山雑記』をピックアップして整理していました。
今回は磐井に関する三文を考察します。例のごとく口語訳します。
① 磐井城址 磐井川の東川端に在る。
② 磐井城址 大祝(おおほうり)屋敷の前。
①と②は数回前に書いた磐井城のことです。
磐井城 二つ城だった
http://lunabura.exblog.jp/21985183/
①の「磐井川」とは高良山の登り口にある放生池の元の姿です。
その東川端ですから、水明荘の跡を指しています。

(高樹神社より、磐井城全景)
②の「大祝屋敷」の位置はもう一つの磐井城の麓に当たります。
磐井城はツイン城だったのが分かったので、どちらも地形と一致しました。
①と②の関係については地形から①が本城ではないかと考えています。
②の地形はフラットな部分が多いので、軍団などが控えていたのではないかと考えました。
(あくまで想像です)
地図
さて、次の③は上掲書の附録「高良内管見」という部分から抜き出したもので、
「高良内」(こうらうち)について書かれたものです。
「高良内」は高良山から流れ出す丘陵と、明星山から流れ出す丘陵の間の扇状地です。
ですから「高良内」から見ると、左に高良山、右に明星山が見えます。
そこから見る明星山は円錐形をした美しい姿をしています。
地図 高良内 明星岳 八女
(写真をクリックすると、古代の地形のイメージがつかめますね)
③ 明星岳
明星岳、一名般若方谷山(大祝家記)は高良内の主人公とも見るべき山である、頗(すこぶ)る有名であり、天嶮であり、又歴史に富む。
山は大般若、寺尾、マイラズ谷、ツクモジ等に到る。城趾もあり、寺跡もある。(略)
頂上より望めば(略)左右に回顧すれば筑前・豊前・豊後の諸峯が見える。大概四方が望めて隈なしとも言える。当山の形勢は自然の城塁をなして嶮岨だ。云々。
矢野一貞は更に当山の史跡につき、次のように述べている。
上古、天津赤星が此の要害に拠る。
武内大臣久しく此山中にて西海を監護す。
筑紫君も代々当山に処る。
磐井に至り、ますます要害を堅くしようとして、当山の東北カマ石谷と云う所より磐石を切り取って、今の社地の所に岩構えをなして住んだことから、岩井の名称は起ったようだ。
このカマ石は構石(かまえいし)に取れることより此名を残したのだろう。今も数百の磐が山中にあって、石鑿(のみ)のあとが所々に残っている。
こうして、この肥・豊の四つの国を横領し、六国の主となり、終に叛逆を謀(はか)る討手が下るに及び、天嶮を捨て広野に進戦し一戦にして亡びた。これは磐井の失策ではなく、天誅から逃れられなかったのである。
正中年中に菊地氏西征表軍宮を奉し、小弐大伴を征した時も、文中年中の時も、高良山を本陣として当山にも拠点を構えたらしい。
菊地の族高瀬氏二代居城。
原田親種籠城。
文中年間の事を記したものに、高良山は峯平らかで麓嶮しく、後は深山なので道もなく、前には筑後川を界にして東南水縄(みのう)山、柳坂、高良が岳といって三所の塁を構え、と云っているが、「高良が岳」即「当山」であること疑いなし(略)
天正十四年に薩摩勢が高良山を攻め取ったのは高良内の方より攻め上ったと聞く。(高良内管見)
明星岳は傾斜の厳しい山で山頂からは四方の眺望が効き、
筑後平野のみならず、筑前、豊前、豊後の峰々が見えるといいます。
物部の天津赤星がこの天然の要害に拠点を持ち、
竹内宿禰もまたここから西海を観護したといいます。
そして、なんと代々の筑紫君も!!
(そうすると、筑紫君の拠点は筑後にある?)
そして、筑紫君・磐井もまたここに住んだといいます。
ただ、「今の社地の所に岩構えをなして住んだ」の「今の社地」が唐突に出てきました。
文脈からは頂上部の要害と思われますが、ネットで登山記録を調べると、
「明星山城」が存在しているようで、厳密には頂上部ではなさそうに思われます。
やはり現地調査しないと居城は決定できないのですが、
この明星山に磐井の城があったと考えてよいようです。
しかし、ここが本城だとすると、籠城には向くのでしょうが、戦いには不向きです。
敵が襲って来るのを待つより、麓で迎え撃つ方を良しとしたのでしょう。
磐井の君は山城から出て、高良山麓の磐井城に構え、さらに麓で対峙したと思われます。
地図を見て分かったのですが、
明星山は八女から見ると、北にある重要な山なんですね。
古代の人々の精神的な支えとなった山なのではないかと思われました。
その南の丘陵地帯に都を構え、多くの文物が船で運ばれて繁栄したのでしょう。
そして、有力者たちの古墳が次々に作られ、明星山には山城を築城。
古代の朝鮮半島では「山城と都邑」がセットで作られたケースが多く、
新羅や百済からの情報も入って来る八女では
同じように「都邑と山城」という単位で国造りがなされた可能性も考えられます。
その仮定を元に、明星山の麓に代々の筑紫君の居城「筑紫城」を
探してみたくなりました。
磐井の君はさらに北の守りとして、高良山麓にもツイン城を築城。
城と城をつなげば何処を守っているかが見えてくるはずです。
古代のありなれ川は陸地化しても、戦略的に重要な所とは決まってくるものです。
物部麁鹿火軍が押し寄せて来くるのを明星山で早くから目視し、
都を踏みにじらせないために、磐井軍は平地で迎え撃つ戦略をとった。
当方が有利で、敵が不利な地点を決戦の地として選び、両軍が対峙した。
そんな想像が生まれました。
八女(やめ)をこんな観点で見たことがなかったので、
現地調査すると、また感想が違うかも知れませんね。
今回は地図と文献から磐井の君の城と都を妄想してみました。
※『高良山雑記』とは
久留米藩士・稲次成令翁(1849~1932)の聞書から、浅野陽吉翁(是々、1868~1944)が
抄録編集したもの。それを古賀寿が出版。
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