2014年 04月 25日
武内姓を名乗る物部氏の不思議(2)
武内姓を名乗る物部氏の不思議(2)
乳母は幸大明神か?
ようやく、高良山の麓に戻って来ました。
るな探偵、何を追っかけていたんでしたっけ? (+_+)
そうそう、物部氏がどうして武内姓を名乗れたのか?
という話でした。
前回まで、『高良山雑記』に書かれていた物部氏に関する記述を集めた結果、
鏡山大祝家が祀っていたのは
「物部胆咋」と「その夫人・幸大明神」と「武内宿禰」ということが分かりました。
鏡山大祝家は物部氏なのに、邸宅内で武内宿禰を祀り、武内姓を名乗った理由は
物部氏から武内宿禰の乳母を出して、乳母が宿禰の子を懐妊したからだと推測しました。
そうすれば、生まれた子は武内姓を名乗っても矛盾がないからです。
それでは、その乳母に関して、何か分からないか?
そう考えるうちに、幸大明神として祀られている胆咋の夫人こそ乳母ではないか?
という推理が生まれました。
胆咋は娘を景行天皇に嫁がせているので、第一夫人は年配になっているはずですが、
若い夫人を何人も持っていたでしょうから、
乳母になったのは数番目の夫人と考えられます。
時代的にどうなのだろう、と系図を書いてみることにしました。

緑色の丸が鏡山家が祀っている神々です。
幸大明神が乳母だとすると、鏡山家は三人の祖神を祀っていることになります。
(孝成?)と二か所に書いているのは、
武内家の系図の一番目の人物が「孝成」と書かれているからなのですが、
どっちに書いたらいいのか不明だからです。
孝成が竹内宿禰だとすると大発見なんですがね。(るなにとって)
竹内宿禰は成務天皇と同じ日に生まれていて、日本武尊より年少です。
仲哀天皇は日本武尊の子ですが、武尊がジュニアの時の子なので、
竹内宿禰とは十歳も離れていないかもしれませんね。
筑紫を駆け巡っていた頃はまだまだ若かったのです。
だから、こんな顔にしないでね。

(香椎宮不老水にてー仲哀天皇と神功皇后に頭を垂れているのが竹内宿禰)

(乳山八幡宮にて)
これもダメ。あんまりじゃわい。

これっくらいがちょうどいい。 ( ´艸`)
ドラマになってほしいと思ってるんですけどね (´・ω・`)
この人と。

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