ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

高良内(こうらうち)


高良内


高良内。こうらうち。
これは高良山と明星山の間の川が作りだす扇状地付近の地名です。

ずっと前に「ウチ考」シリーズを書いて、
古田武彦氏の「内野=飯塚市」を探しに行ったことがありました。
(タグ<ウチ考>を開くとシリーズで読めます)

その近くには黒田藩の狩場があって魅力的な説でしたが、
残念ながら「内野」という地名は江戸時代からのものという事が分かりました。

その「内野宿」の代官様はこの方。モコミチ。もとい、母里太兵衛でした。

c0222861_2171779.jpg


母里太兵衛は名前が変わりますが、福岡にやって来て内野宿の建設に関わりました。

急に身近になりましたなあ。
お墓も嘉麻市鱗翁寺と書かれています。



さて、実は内野を探しながら、るなの心にあった「内の大野」は「高良内」でした。
ついに、この課題に取り組む時が来ました。



ところで、何が課題だったのか、かなり忘れたので、自分で読み直しました。(+_+)
(磯良の海さん、このシリーズは土師や野見の宿禰話題が沢山出てますよ)

次が話題となった万葉集の長歌です。自分のブログから引用してきました。


        ※※

2か所ほど古田氏と違っていますが、私なりに万葉歌を楽しんで訳してみました。
左が古田氏の書き下しで、右が私の口語訳です。
天皇 宇智の野に 遊猟(みかり)したまふ時、  天皇が内の野で狩をされるとき、
中皇命の間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして 中皇命が間人連老に、献上するように
献(たてまつ)らしめたまふ歌          命じられて作った歌

やすみしし わが大王(おおきみ)の      八方を治める私の大王(天皇)がお仕えする
朝(みかど)には とり撫(な)でたまひ     朝廷―中皇命が 朝には撫でるように手入れされ、
夕(きさき)には い倚(よ)り立たしし      夕方には 寄りかかって立たれる
御執(みと)らしの 梓の弓の          手にされた 弩弓の
中弭(なかはず)の 音すなり          引き金の音がする
朝猟(あさかり)に 今立たすらし        朝狩に 今、立たれるらしい
暮猟(ゆふかり)に 今立たすらし       夕狩に 今、立たれるらしい
御執らしの 梓の弓の              手に取られた 弩弓の
中弭の 音すなり                 引き金の音が聞こえて来る

反歌                     反歌
たまきはる 内の大野に 馬並(な)めて    内の大野に 馬を並べて
朝踏ますらむ その草深野            朝 踏み分けて走る 草深い野よ

(第一巻 第3・第4番)

      
       ※※
c0222861_013536.jpg



この現場が飯塚市内野だという古田説を確認しに行ったのが、「ウチ考」です。

ところが、「たまきはる 内」という上の句を見て、るなにはある人物が思い浮かんでいました。

そう、竹内宿禰です。
古歌で「たまきはる内の大臣」と言えば竹内宿禰の事だからです。

「内野」という地名は日本各地にあるのですが、
竹内宿禰に関わる「内」なら「高良内」ではないかと推理していました。

それは「高良の神=竹内宿禰」だからです。

いつか現地調査をしたいと思っていましたが、なんと、『高良山雑記』に
るなと同じ説が書かれていました!
一部、考えが違うのですが、それはのちほど。
訳します。


地名の由来 
(略)矢野一貞はその著『筑後将士軍談』に、「高良内」は元来、高良山の一部で、「内」は武内宿禰の采邑であった大和国「宇智」鄕より起り、一ノ岳二ノ岳の内という意義であろうと説いている。(①)

其の所説は、
 昔、高良山と言ったのは今の社地より広く、高良内の諸山をかけた惣名であっただろう。その証明として、『肥前風土記』に「高羅山を梶山とす」と書かれた梶山は当山東北の方に当る山に其の名が遺っている。

この山は箕尾より山脈を発して高良内村に属している。今、鍛冶山と書くのは訓読が通じるので、そのまま訛って来たのだ。正しく梶山の遺名であることは論ずる間もない。(②)

『鈔』に「鍛治は鍛冶の誤りである」というが、カヂの仮字ではないか。カナウチを切りつめてカヌチと言ったのを又、略してカチとも言ったのだろう。

当時の名称は神領が他領となって別れた頃よりのことだろう。しかし、なお旧名を村名に呼んで高良内と言ったのだろう。

「内」とは如何なる意味だろうか。思いつかない。しいて言えば、これも武内宿禰の「内」に由緒があったと思われる。

それは大臣を武ノ内と言い、弟を味内(うましうち)と言うことから考えられる。「内」は大和国宇智鄕より起こった。この鄕は大臣の采邑であったことは、先哲も論じていた。(③)

又、一ノ岳二ノ岳の内という意味で言われたのであろう。(略)
一ノ岳と言うのが即ちこの岳(明星山)で、二ノ岳と云うのが今の高良山に違いない。云々。(④)
これが矢野一貞の高良内村名の考証論である。(高良内管見)



①「内」は武内宿禰の采邑であった大和国「宇智」鄕より起り

とありますが、竹内宿禰の根拠地は筑紫から肥前に掛けてですから、
大和国「宇智」鄕は移動した後の邑と考えられます。

しかし、江戸時代にはすでに発祥は近畿と考えられていたのでしょうね。
これがるな説が矢野一貞とは違っている所です。



②この山は箕尾より山脈を発して高良内村に属している

「箕尾」は「みのお」と読めるので、耳納山(みのうさん)のことだと思われます。
耳納山脈の西の果てに高良山があり、高良内に続きます。



③それは大臣を武ノ内と言い、弟を味内(うましうち)と言うことから考えられる。

これはるなの発想と全く同じですね。

二人は異母兄弟で、のちに争う事になりますが、「ウチ家」という有力豪族があって、
天皇家を支えていたと考えています。

玉垂宮を調べていて、この兄弟を祀っている神社が八女にありました。
争った二人一緒なので、ちょっと不思議な感じがしました。
でも、父母も一緒なのです。

もし、ウチ家の根拠地がここらへんにあるのなら、不思議ではなくなります。
「玉垂神社」。鎮座地は「八女郡水田村井田字宮ノ??」という所です。
地名が変化して分かりませんでした。
地元の方、是非教えてください。
そこには玉垂命の神社がいくつもありました。



④一ノ岳と言うのが即ちこの岳(明星山)で、二ノ岳と云うのが今の高良山に違いない。

これは重要情報ですね。
明星山を一ノ岳と呼ぶのは、八女の方からの発想です。
つまり、中心は八女にあったということになります。

筑後川の氾濫と潟の広がりを考えると、久留米市あたりは古代は住みづらく、
八女の丘陵地帯の方が安定して生活できたのでしょう。

その八女から見て北部に開けた扇状地で、
ウチ家の軍勢が軍事訓練をしていたのではないでしょうか。

もちろん磐井の時代にも。

そして、現在、高良内には陸上自衛隊があるのです。
軍事的に重要な所はいつの時代も同じですね。

多分、その地下には多くの遺跡が眠っているのではないかと想像しています。
神社があれば、少しは状況が分かるかも知れないなあ。


地図 久留米市高良内





お、「地図」を見たら「内野」もありますね。








いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2014-04-28 21:16 | 高良下宮社と周囲・久留米市 | Trackback | Comments(6)
トラックバックURL : https://lunabura.exblog.jp/tb/22059577
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by 大石かえる at 2014-04-29 07:54 x
高良内の話ドキドキしながら読んでます。ところで、私の曾祖母は母里家(毛利家)から嫁いで来たそうです。
Commented at 2014-04-29 18:44 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2014-04-29 21:40
大石さん、こんばんは。
母里家の末裔なんですね。
是非、菩提寺行かれたら教えてくださいね。

NHKのドラマのお蔭で、歴史が立体的に見えてきました。
Commented by lunabura at 2014-04-29 21:44
非公開さん、こんばんは。
ルーツ調べ進んでますね!
「桂」が私も最近、気になっています。
「勝浦」の信号が「桂」となっています。
「勝」が神功皇后や安曇と重なっているようです。
綿津見宮の井戸にも「桂」があって、相島に伝わっているのです。
Commented at 2014-04-30 17:34 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2014-05-01 00:07
非公開さん、こんばんは。
ついに「内=武雄」説登場ですね!
地名に内がいくつもあるんですか。
これは有力候補ですよね。
お話、どんどん展開してください。
楽しみにしています。
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー