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ひもろぎ逍遥

受取り手がいなかった秀吉の位牌


受取り手がいなかった秀吉の位牌



只今、NHK大河ドラマ『軍師 官兵衛』では播磨での戦いが描かれていますが、
九州では島津が九州統一を図っていた頃でしょうか。
(詳しくは知らないのですが)

神社巡りをしていると、神社を焼き払った人物の名に、
キリシタン大名大友宗麟島津の名が出てきます。
そして、秀吉もまた複数の神社を焼き払っています。

この時、多くの書物が焼かれ、由緒が失われ、民力は減退して行ったように思われます。

『高良山雑記』には「秀吉」に関する記録もいくつか書かれていました。

① 旗崎 旗崎は景行天皇の御旗の影の映した所と言い、又一説には武内宿禰が三韓より帰朝の時、旗を建てられた所、又関白秀吉が旗を建てた所とも言う(柏葉抄)。

旗崎は神功皇后の旗を立てたという伝承も残っています。
「旗崎」とは地名で、味水御井神社の近く、山寄りの所にある丘(小山)です。

①を見ると、景行天皇、竹内宿禰、そして関白秀吉もまた陣営としたようです。
太宰府方面が見渡せる重要拠点だったのでしょうね。

② 関白秀吉着陣 (略) 十一日、関白秀吉、高良山に御着陣(太宰管内志)。

③ 吉見岳城址 太閤様、薩摩へ御下向されるとき、御一宿の御城跡の由、申し伝えてございます。(略)

秀吉軍が20万で九州征討に来た時の話のようです。
この時の宿陣が吉見岳城と伝わっています。旗崎より東南700mほどでしょうか。
山の中です。
行った事ないです。

④ 太閤在陣 太閤秀吉九州征伐の時の吉見岳在陣は、往路が天正十五年四月十一日、還りは同年六月六日である。

四月十一日太閤在陣の時、大祝保真、座主良寛、大宮司孝直が秀吉に謁見した。秀吉は3人がひそかに内甲を着けているのを見て所領を没収した(高良記)。

秀吉が最初に吉見岳に着陣したとき、出迎えた高良山を代表する大祝、座主、大宮司が
内甲を身につけていたのを知って、所領を没収しています。

高良山の三家は完全服従ではなかったわけですね。
いつ謀叛を起こすか、図りながら臨んだのでしょう。

没収ぐらいで済んだんだなあ。
秀吉は高良山とは戦いたくなかったんでしょうね。

そして、秀吉は2カ月後に再び吉見岳に戻ってきています。

⑤ 社領 高良社は北条高時没落後、天下大乱のため非常に衰微した。
太閤秀吉九州征伐の際、大祝保真、大宮司孝道、座主良寛、同心秋月種実に通じて秀吉に背きし故、社領没収された。
慶長元年小早川氏千石寄進あり。田中氏同様、有馬氏亦寄付あり。

これはもう一つの文です。
これには「背いた」とはっきり書かれていますね。
秋月種実と通じていたということなので、やはり機会あれば秀吉に対抗しようとしたのでしょう。

「秋月種実」をウィキペディアで調べてみました。

九州征伐
天正14年(1587年)の豊臣秀吉の九州征伐では、時代の流れを悟って秀吉に従うように諫言した忠臣・恵利暢堯を追放して切腹に追い込んだ上、島津方に与して秀吉率いる豊臣勢と戦ったが敗北した。そして籠城中に秀吉得意の一夜城作戦(益富城)により戦意を喪失し、降伏することとなったことにより秋月氏は存続を許された。

秋月種実は古処山、即ち秋月を居城としていて、秀吉と戦って負けています。
秋月か…羽白熊鷲を思い出しちゃいました。 
 
この頃、官兵衛の名も出てくるので、大河ドラマ、どう描くか楽しみですね。


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さて、秀吉はそののち亡くなりますが、思いがけない話が書かれていました。

⑥ 宗崎大宮司 (略) 田中筑後守吉政の時、京都より太閤秀吉の位牌を送り来たところ、皆々徳川家を畏れて受取りに行く者がいなかった。
宗崎大宮司、自ら進んで受取りに参り、これを良山の宝庫に収めた、(略)

いったいこれは?
秀吉の位牌が何故高良山に?

名乗り出たのは宗崎大宮司。
大宮司は初めて出てきますが、
高良山の武内家は大祝家・神代家・坐主家・大宮司家の四家に分かれます。

所領を没収されたのは1588年。
秀吉が亡くなったのは1598年。
わずか10年後です。
どうして、秀吉の位牌が高良山に送られたのだろう。

位牌が届けられたのは秀吉だけではありませんでした。

⑦ 家康の位牌 家康の位牌を神殿の中間の一隅に収めてあったが、後、宝蔵に移したと。

何と、家康の位牌も届けられていたのです。
高良山での供養を頼んだのでしょうか。高良山は仏教も盛んでした。
でも、「神殿」と書いてありますよね。
家康は神として祀られたということになります。

高良山はどれほど格式が高かったのでしょうか。
高良山の位置づけを考える資料がこれ。

⑧ 日本四座主 比叡山座主、高良山座主、石山座主、彦山座主を日本の四座主という。

⑨ 日本三大祝 高良山大祝、諏訪大祝、熱田大祝を日本の三大祝という。

⑩ 日本五大宮司 伊勢大宮司、高良山大宮司、熱田大宮司、宇佐大宮司、阿蘇大宮司を日本の五大宮司という。


高良山の三家はそれぞれに日本屈指の家でした。
とくに「日本五大宮司」では伊勢に並んでいます。

もしかしたら、亡くなった大名たちは位牌を高良山に届ける?
そんな、現代人が知らない習わしがあったのでしょうか。

全く分からないので、知っている方、教えてくださいな。







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by lunabura | 2014-05-01 16:59 | 高良下宮社と周囲・久留米市 | Comments(0)

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