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長安寺廃寺跡 猿沢の池があった


長安寺廃寺跡

 猿沢の池があった

 別所神社で教えてもらった万徳寺横の川に出ると、神名備山が!

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低いけどきれいな円錐形。
これでは遠方からは気付かなかったはず。
都を造るなら目当ての山があるのではと思ったのですが、ちょっといいかも。

目の前の橋を渡ってさらに川沿いに進み、一軒家の先を右に曲がりました。
古い街並みの姿を留める細い道を抜けると鳥居が見えました。


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手前に駐車場が完備されていて驚きました。
(別に驚くようなことではない…が)


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そこからの眺め。意外にも高度を上げています。
向こうは耳納連山ですね。



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鳥居手前、右手に石碑が。
あれ?
長安寺と彫ってある。
長安寺と言えば、佐用姫伝説の時に出てこなかった?

ここにあったんだ。

神在神社・大伴狭手彦が祀った宮だった
http://lunabura.exblog.jp/17562963/


詳しくは上に書いていますが、その一部を書き抜きます。

欽明天皇23年(562年)8月に、天皇は大将軍大伴の連狭手彦(さでひこ)を派遣して、兵数万を率いて高句麗を討たせました。狭手彦は百済の計略を用いて、高句麗を打ち破りました。その王は垣を越えて逃げました。

狭手彦はついに勝って、宮殿に入り、珍しい宝物の数々と・七織物のカーテンと鉄屋(くろがねのいえー内容不明)を手に入れて帰還しました。(鉄屋は高句麗の西の高殿の上にあったもので、織物のカーテンは王の奥の部屋のものという)七織物のカーテンは天皇に献上しました。

甲二領、金細工の太刀二振り、彫刻を施した銅の鐘三つ、五色の幡二棹、美女姫(おみなひめ)に侍女の吾田子(あたこ)を付けて、蘇我の稲目の宿禰の大臣に送りました。大臣はその二人を召し入れて妻にして、軽の曲殿(まがりどの)に住まわせました。(鉄屋は長安寺にあるが、どこの国にあるのかは分からない。
最後の一行に書かれた「長安寺」です。
思いがけず、その現場に来ました!
(日本書紀には何処の国か分からないと書いていますが、取り敢えずここにもあります)

説明板です。
長安寺廃寺跡
福岡県朝倉町大字須川字鐘突1271~1308

 奈良~平安時代の古代寺院跡で、古くは朝鞍寺、朝闇寺と呼ばれていた。1933年の発掘調査から多量の須恵器、土師器、瓦などが発見された。また「大寺」「知識」「寺家」などの墨書土器が発見され、更にその後の調査から、建物の礎石が発見されたことにより、古代寺院の存在が確認されている。

出土瓦は、老司式と鴻臚館式のものであり、8世紀前半のものと推測されている。
現地の地名は朝倉ですが、朝鞍、朝闇と表記されているんですね。
朝鞍、朝闇と書けば「あさくら」と読めますが、
音読みでは「ちょうあん」となるので、「長安」ともなるわけです。

礎石が出ていますが、前回の別所神社では、
柱の礎石はここから持って来たのではないかという話でしたね。


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(別所神社の蓮の花の礎石)
出土物は何処に展示されているのだろう。
現物を見て、別所神社と見比べてみたいものですね。

出土物の時代が8世紀前半なら斉明天皇(~661)崩御後、半世紀。
説明板の続きでは、観世音寺と関連付けて説明がされています。

また筑前国続風土記の恵蘇八幡宮の条に「社僧の寺を朝倉山長安寺という」と記されていることから、長安寺は恵蘇八幡宮と深い関係があったことが推測される。またこのことは続日本書紀に天智天皇が、斉明天皇の冥福を祈って観世音寺と筑紫尼寺を創建した、とあることから、長安寺とは朝倉橘広庭宮の跡に営まれた筑紫尼寺のことではないかといわれている。

うむ。
長安寺=橘広庭宮=筑紫尼寺か。
これはまだよく理解できない。
橘広庭宮→筑紫尼寺→長安寺 と変わったということかな。
そうすると、大伴狭手彦の時代の長安寺は何と呼ばれていたのだろう。
???
ま、いいか。



駐車場を出るとすぐに池がありました。


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「猿沢の池」と書かれていました。
もう、びっくり。
狭い。
奈良の猿沢の池を見た時もその狭さにショックを受けたことを思い出しました。

説明板です。

この池は、昔から常に満々と水をたたえ今まで枯れたことがない。かんばつの時には、この池で雨乞いがなされ、池の水を汲むと大雨が降るといわれていた。
また、昔は池底がとても深く、つり鐘が埋められているという伝説があり、廃寺となった長安寺と関係があるのではないかと考えられる。
なお、近くには「朝倉橘広庭宮跡」をはじめ、斉明天皇が橘広庭宮におられたとき、
御遊されたという「花園山」「降葉山」「桂川」等の旧跡がある。
おお、この近くには斉明天皇の足跡が沢山残っているんですね。
地図、地図がほしい。

地図を見ながらあれこれと妄想するのが楽しいんですけどね。
これは現地の人が描かないと分からないっす。

(つづく)





斉明天皇七年(661) 
5月9日 朝倉に遷幸。
5月11日 斉明帝、中大兄皇子 福成神社にて戦勝祈願。
○月○日 斉明帝、藤原鎌足に命じて宮野神社を創建する。
○月○日 中大兄皇子 天皇の病気平癒のために別所神社を創建する。
7月24日 崩御。68歳。
8月1日 遺骸を橘広庭宮から木の丸殿に移す。中大兄皇子は12日間服喪。御陵山。恵蘇八幡宮





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by lunabura | 2014-05-17 22:43 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(8)
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Commented by のら at 2014-05-18 03:20 x
るなさん、こんばんは。お久しぶりです。
絶賛、私の好きな中大兄皇子が沢山出てきて嬉しい限りです。
関係ないですが、久々にマップで検索かけたら朝闇寺少し離れた辺りに高木神社の名前と共に月読神社も見つけて珍しい!と思いました。
こんな近くに月読の名前を見るとは!
来週から、ちと入院してきますので行けないのが残念(>_<)
るなさんの更新楽しみにしてます(//∇//)
Commented by lunabura at 2014-05-18 20:18
のらさん、こんばんは。
確か面白いアニメがあるということでしたよね。
ここを斉明天皇や中大兄皇子が歩いたとはまだ想像が出来ずにいます。
でも、伝承は多いですね。
月読神社もあるとは。
入院ですか?
それはお大事に。
スマホで見てくださいませ。
お見舞いに、更新を増やせたらいいな。
Commented by のら at 2014-05-19 05:10 x
ありがとうございます(//∇//)
更新楽しみにしてます!
中大兄皇子は筑豊にもチラホラ伝説があってビックリです。
月読神社のある高木神社は長慶天皇?縁のものでこの人と天智天皇が混ざった伝承もあるので不思議な縁を感じます(>_<)
Commented by lunabura at 2014-05-19 22:19
のらさん、こんばんは。
中大兄皇子、中間市の伝承を確認したいと以前から思っています。
「筑豊」というのは、この中間市以外の伝承もあるのですか?
他の皆さまも、よかったら、伝承地を教えてくださいね。
いつか、るな探偵、参上します。
Commented by のら at 2014-05-23 10:57 x
しくしく、諸事情により入院は中止になりました。
中大兄皇子の筑豊伝承は嘉穂町の千手?に天智天皇の墓と言われるものがあって、でも長慶天皇のものという話もあるんですよ。
あと、田川の山奥の滝で天女と出会ったとか。
メルヘンな伝承?
Commented by lunabura at 2014-05-23 21:39
のらさん、大丈夫ですか?
入院しなくてよくなったのかなあ。
中大兄の話、ありがとうございます。
かなり広範囲ですね。
Commented by のら at 2014-05-23 23:09 x
入院は来月頭に変わりました。
沢山の更新楽しんでますよ(//∇//)
中大兄皇子は遠く鹿児島まで愛する妃を追って行ったという伝承もありますよね♪
武内宿禰と同じ沓を残して忽然と消えるというのもありましたね~(。>д<)
Commented by lunabura at 2014-05-24 22:33
さすが、のらさん、詳しいですね!
早く元気になってください!
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