2014年 05月 20日
長安寺廃寺(2) 二つの「ちょうあんじ」
長安寺廃寺(2)
二つの「ちょうあんじ」
今回の朝倉の旅の目的は橘広庭宮の伝承調べだったのですが、
橘広庭宮石碑の麓に長安寺廃寺石碑があり、それにも足を突っ込み始めました。
朗報は寝て待て?
愛読者さんから、有力情報が。
どうやら「ちょうあんじ」が二種類ありそうで、こんがらがって来たので、
今回は整理することにしました。
『大宰管内志』朝倉(上座郡)にこんな記事があるそうです。
(番号は、るながつけました)
筑前国二十上座郡これは明確に書いてありますね。
○朝鞍寺 安楽寺御領目録に上座郡朝鞍寺領(略)とあり、昔々この朝倉神社の社僧の坊に朝倉山長安寺とて天台宗の寺院此郡の山田村にありしと云、いつの比に亡びたるにやすべえさだかなる事はしりがたし。(1)
○橘廣庭宮(略)宮野村と云もあり。又これより北方近処に朝闇寺とて須川の枝村あり昔は朝闇寺と云寺ありしといふその寺跡いまもいちしろし。(2)
(1)朝鞍寺は朝倉山長安寺として山田村にあり、亡びた時期は分からない。
朝倉山は麻氐良山(まてら)のことだと言われていましたね。
山田村は麻氐良山の麓にあり、木の丸殿もあります。
木の丸殿とは斉明天皇の服喪のために中大兄皇子が殯(もがり)をした所。
長安寺廃寺跡にはこんな説明板がありました。
「筑前国続風土記の恵蘇八幡宮の条に「社僧の寺を朝倉山長安寺という」と記されていることから、長安寺は恵蘇八幡宮と深い関係があったことが推測される。」
長安寺は恵蘇八幡宮の「社僧の寺」ですって。神宮寺みたいな感じでしょうか。
地図を見ると、山田村と恵蘇八幡宮は隣接していました。

ネットの地図では分かりづらいので道路地図をコピーしました。
右の円が山田で、長安寺(朝鞍寺)が麻氐良山の麓にあるのが確認できますね。
「長安寺」とは「朝鞍寺」ということになります。
では、「朝闇寺」はどうでしょうか。
(2)朝闇寺は須川の枝村にあって、寺跡がはっきりしている。
その南、宮野村に橘広庭宮がある。
上と同じ地図ですが、左の円が須川で、朝闇神社がある所です。
瓦など鳥居の北辺りから出土したようですが、まだ特定には至っていません。
以上、『大宰管内志』に書かれている二つの「ちょうあんじ」の在り処を確認しました。
(著者は伊藤常足さんですよ~。鞍手の古物神社の神主さん。物部)
太宰管内志だけで結論を出せる訳ではありませんが、これって、すっきりしますよね。
前回、説明板を読んで理解できなかった点も、二つの「ちょうあんじ」を想定すれば、
整合性が取れそうです。
橘広庭宮の場所も宮野村とありますよ。いよいよかな~。るな探偵登場は…。
いや、るな風水師じゃ。
(つづく)
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筑紫野から朝倉地域を通る国道368号、筑紫野~古賀の県道35号、大野城~糸島の県道49号は、古代の風を感じられる大好きなドライブコースです。これらの道沿いには実際にいろんな遺跡や伝承が残っていますね。
とくに麻底良山周辺の野辺は大好きです。
思いがけず最短ルートを走っているなとよく思います。
朝倉や糸島の野辺はホント、古代を思い起こさせてくれるステキな所です。