2014年 07月 15日
太陽祭祀線(2)楯崎―相島―柱島 冬至祭祀ライン
太陽祭祀線(2)
楯崎―相島―柱島 冬至祭祀ライン
今思い出すと、楯崎神社の右手の断崖の所にはわずかな平地があって、
80センチぐらいの高さの小さな磐座がいくつも置かれていました。
それぞれの石の質が違うので、どこからか持って来たものです。
そこからなら太陽観測も容易だったでしょうね。
話はそれるけど、宗像大社の古高宮は現在、うっそうとした森の中にありますが、
ほんの数十年前までは木が無くて、海がよく見渡せたそうです。
宮地岳も、かつては見晴らしが効いて、東も西も良く見えました。
楯崎神社の周囲も木が無い時代があったことでしょう。
さて、話を戻しましょう。
私は、前回の図1をつらつらと眺めていて、楯崎から相島を通過するラインが
玄界島のそばを通っているのが気になり出しました。
玄界島は先年、地震があった震源地です。
その北部に人が上陸できそうにもない、小さな岩島があるのです。
かつて、古代祭祀線研究家の堀田氏がそこから岬や山頂に祭祀線が放射状に出ているのを
発表されていて、印象に残っている岩島でした。
柱島(はしらじま)と言います。
タツさんに、それについて質問しました。
ところで、PDFを見ていて気付いたのですが、冬至ラインが玄界島の北の海を通っていますね。
そこには柱島という小嶋があります。
柱状節理だけで出来たような、船が付けられないような島ですが、そこから福岡の各山に向けて祭祀線があるのを、堀田聡八郎氏がプロットしています。
柱島は志賀海神社の元宮の仲津宮からの写真に出しています。
お互いに目視はできないかもしれませんが、かなり気になるラインです。
そうすると、タツさんが調べてくれました。

おたずねがあった柱島との位置関係を調べてみました。楯崎神社01からの直線距離は23.7km。方位は242.6度で冬至の日入り方位とほぼ同じです。目視レベルで見れば、じゅうぶんに冬至ラインに乗っているといえます。感動!
地図上では楯崎神社01から柱島は見通せます。途中、相島東側の欠けた部分と、西側の斜面にある神社付近を通るのが面白いです。このライン上では、冬至の太陽は柱島の真後ろで沈んでしまいますので、真っ赤な夕日を背景にした柱島は見られないです。
冬至の日は夕陽が柱島に向かって沈んでいくのが見えるというのです。
太陽が柱島に沈んだ翌日から、夕陽の沈む場所は折り返していきます。
まさしくこの日、暗くて寒い冬が終わりを告げ、春に向かって季節は動き出します。
そして、地図上の相島を見ると、あの「竜頭岩」辺りを通っているではありませんか(@_@
るな
今回の地図を拝見すると、相島の「竜頭岩」と勝手に名付けた岩の辺りを通過しているようです。冬至と竜蛇となると、また新たな展開が望めますね。
何か神話ごぞんじですか?
タツさん
冬至と竜蛇にまつわる神話、もともと神話には疎いのですが知らないです。冬至といえば死と復活。脱皮をする蛇は復活再生の象徴でもありますが。蛇も脱皮を重ねて竜になりますでしょうか?そうでしたね!
そういえば、いわゆるペトログラフにも太陽と蛇を重ねたデザインがありましたね。西原村、黒川温泉、天草白嶽、鬼の碁盤石などなど。懐かし。
楯崎周辺はミステリーエリアですね。相島の「竜頭岩」をブログで拝見しましたが十分に怪しい佇まいです。
意識を向ければきっと石は応えてくれるはず…
蛇は復活再生の象徴ですね!
やっぱり、相島のくねった積石と磐座は龍蛇!?
壮大なスケールの冬の日の物語。
いったいいつの時代の物語でしょうか。
冬至の日、竜蛇の眠りが覚めると、魂は共に常世の国に旅立つ。
なんて、妄想ストーリーも生まれてきました。
さてさて、タツさんが指摘された相島の南西部の景色。
ちゃんと、撮ってましたよ!!
(玄界島の字が間違ってる…)

浜から撮ったものです。崖の上の神社から撮ったら、面白かったでしょうけど、
行かなかった(´・ω・`)
でも、そこに行った人たちが「蛇がいた~」と言ってました。
…洒落にはなりませんな。

ついでに、湊から楯崎も撮ってましたよ~♪
岬の左の谷から見える三角形の山は対馬見山です。その手前の山塊が楯崎です。
冬至ラインを意識して撮れば、また発見がありそうですね!
タツさんのお蔭で思いがけない古代の祭祀線が楽しめました。
ありがとうございました♪
相島
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