2014年 07月 20日
若宮神社 祭神は豊玉姫と玉依姫
若宮神社
糟屋郡新宮町相島
祭神は豊玉姫と玉依姫
豊玉姫を祀る志登神社の炎上を聞いて、五日目です。
ようやく神社のお話しに戻る気分になりました。
ここは福岡県の玄海灘にある相島。
その波止場近くに若宮神社はあります。

「若宮」の社号なので、どなたが祭神かと思って調べてみると、思いがけず豊玉姫と玉依姫でした。
のちにウガヤフキアエズ尊が合祀されています。

参拝していると、氏子さんでしょうか、拝殿に上がっていいですよと声を掛けてくださいました。
そして、左手にある井戸を見せてくださいました。

島で水が出るところは、ここともう一か所。
朝鮮使節団を迎えるために11本の井戸を掘り、これだけが現存しているそうです。

電気が使えるようになって、ポンプで汲み上げるようになってから、
水質が落ちてしまったということでした。
「豊玉姫の井戸はここですか?」
「いえ、これではありません」
案内して下さったのは反対側、拝殿の右手です。

井戸の跡に本殿が建ち、のちに左手に建築され、その後に石が置かれています。

このうしろの木が「ゆづかづら」「由都嘉豆」の字が見えています。
繁りすぎたので、だいぶ切ったそうです。
「香椎宮の人が香椎浜から釣り針を探しに来て、ここに登っとった」
と聞き伝えているそうです。
前にも出しましたが、このシーンですね。

相島にこのような伝承があると知ったのはタウン誌の記事からでした。
ずっと来たかったのです。
その場所が変わらず残っていたのが嬉しかったです。
記事を今見ると、話し手は「神宮寺住職・中澤慶輝さん(68)」となっています。
せっかくの記事なので、長いけど、写して紹介したいと思います。
「まちかど風土記」 若宮神社(3) 新宮町相島
境内にはユズカズラという木があります。神殿右の囲いの中に、何本もの幹を出して立っています。この木の葉は、妊婦の御守りなんです。
これは若宮神社の祭神「豊玉姫命と玉依姫命」と関係があります。『筑前国続風土記附録』には、祭神について「産神(うぶかみ)なり」と書かれています。
その後に続く文を簡単に訳すと「神社の後ろにユズカズラという神木がある。その実を妊婦の御守りと島民はいう。木の隣に水がきれいで素晴らしい井戸がある」。
ここに島の伝説も関係してきます。
相島には高妻(たかつま)神社というお宮があります。このお宮の祭神は『古事記』では「日子穂々手見命」、『日本書紀』では「彦火火出見尊」。さらに別名があり、山幸彦と呼ばれています。
伝説を「神道事典(弘文堂発行)」にそって話しますね。
彼は兄の海幸彦にお互いの道具を交換しようとせがみ、交換しますが、海幸彦の釣り針を魚に取られてしまうんです。そこで自分の剣を砕いて、大量の釣り針で弁償しようとします。ですが、海幸彦に拒否され、海辺で途方にくれていると塩椎(しおつち)神が現れます。その神は山幸彦を籠(かご)に乗せて海神の宮に連れて行きます。ここに出てくる海神の宮というのが若宮神社のことなんです。
「まちかど風土記」 若宮神社(4) 新宮町相島
連れてこられた山幸彦が海神宮(若宮神社)門前の木に登っていると、海神の娘である豊玉姫が出てきてユズカズラの隣の井戸に映った山幸彦を見つけ、宮の中に招き入れます。やがて二人は結婚し、3年過ごした後に、山幸彦はタイが飲み込んでいた釣り針を持って帰って行きます。
残った豊玉姫は、山幸彦に妊娠を告げます。そのとき「ウの羽で葺(ふ)いた産屋を作って待っていてください」と頼むんです。島の伝説ではユズカズラの葉で葺いた産屋となっています。
その後、約束どおり豊玉姫は妹の玉依姫を連れてやってくるんです。ところが、産屋の屋根が葺き終わらないうちにお産が始まります。そのとき、生まれた子に葺不合尊(ふきあえずのみこと)と名付けるんです。
ですが、出産の姿を見られた豊玉姫は恥じて海の宮に帰ってしまいます。妹の玉依姫がその子を育てるんです。葺不合尊は後に玉依姫と結婚し、神話では初代の天皇といわれる神武天皇の両親となっています。
こういった伝説や神話からユズカズラのことを「産の柴」と呼び、妊婦はその木の葉を安産のお守りとして持っています。
このユズカズラは若宮神社だけではなく、神宮寺の境内や穴観音の入り口にも何本か生えていますよ。
この伝承ではウガヤフキアエズの「ウ」ではなく「ユズカズラの葉」で葺いたとあります。
なるほど、コチラの方がリアリティがありますね。
幹は骨組みに使えそうだし、葉を屋根に葺いたら、一本の木で材料は揃うようです。
実際どうだったのでしょうか。
豊玉姫のお産に使われた種類の木ということで、安産のお守りになったそうですが、氏子さんお話では、最近は「産の柴」を御守りにする人もあまりないということでした。
でも、現在の大人の皆さんはこの神木に守られて成長されたんですね。
伝承からは思いがけない話もいくつか出てきました。
豊玉姫の住んでいた宮殿はここにあったそうです。
山幸彦は香椎宮を拠点としていた?
古賀市の愛鷹(あしだか)神社に山幸彦の名が出てくるのが不思議だったのですが、
糸島の高祖山から香椎まで、山幸彦の伝承は思いがけず広大になってきました。
事実がどうなのかは確かめようもないですが、
豊玉姫の物語を持っているのは安曇族ですから、安曇族が早くからこの島に入植して、姉妹の姫神を祀っていたのは明らかです。
もし、本当にここに海神宮があったとしたら面白いことになりますね。
一方、夫の山幸彦は島内では「高妻神社」の方に祀られています。
この日は行かなかったのですが、道は草が生い茂っていたそうです。
社伝の後ろに磐座があったという話も聞きました。
「新宮町誌」を見ると、高妻権現社が正式名で、祭神は彦火火出見尊。
島の人たちは高神(位の高い神)と信仰しているそうです。
なになに?
「元来祭神の彦火火出見尊は気性の荒い神様で、気に入らないとひどい神罰があるということで、いくつかの禁忌がある。その第一は女人禁制である。云々」
と書いてありましたよ。
女人禁制だったんだ。
よかったあ。行かなくて (・_・)
さて、このユズカズラの木を見て、
「海人族のいかだダア」と驚いて声を上げる人がいました。
そうか、そうだね。
この幹はまっすぐ棒状になっているので、切れば枝打ちせずにイカダが組めるんですね!
そうか、海人族たちは湊みなとで、船の材料を植えて行ったんだ。
丸太が揃えばロープがいる。
古代のロープは「かづら」。
それは、五月に見た熊本のアイラトビカヅラから繋がっていた物語でした。
次回は、そのアイラトビカヅラの話をしましょう。
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昔、香椎宮の綾杉を愛でていたときに、太い枝に座って見下ろす若い男の人に微笑まれた幻を見たことがあるんです。山幸彦だったのかも。
その人の姿は今でも鮮明に覚えてます。
香椎宮という名が出てきて、驚いたのですが、仲哀天皇の都として迎え入れたのが誰なのか、と考えると安曇族しかありえず、その土地はさらに古くから機能していたと考えると、相島での話もまた検討する価値が充分にあると思われます。
toyotamahimeさんも、相島で、若宮神社から朝鮮使節客館の方面に行かれたら、またあらたなビジョンが得られるかも知れませんね。
暑中見舞い申し上げます。 相島の記事 私も ドキドキしながら見させて頂きました 『磯良さんは行ってなかとね』 わたつみさんから言われそうなので 近日中には 必ず 私も相島の石積みに触れて 魂の修正をさせて頂きに行ってまいります。 9/21の「海辺の三社参り」楽しみにしています予定に入れましたよ(^o^)








