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ひもろぎ逍遥

筑紫西朝と大和東朝(1)卑弥呼と神功皇后の時代


筑紫西朝と大和東朝(1)

卑弥呼と神功皇后の時代


「玄海灘の海上気象」には真鍋大覚独自の古代鉄の話が満載で、
神話の暗号や地名の起こりなど、想像もつかない内容が次々に出てきます。

約五年間、ブログや本を書いていて、基礎知識が出来始めたのですが、
そうすると、また新たな謎が出てきます。

「アマテラスVSスサノオ」というタイトルで前回と前々回に紹介した
スサノオの乱暴が、実は「鉄の民」の生業を暗示していて、
「稲の民」から見て迷惑に写ったのを神話化したものだと理解しました。

今日はp113を読んでみたいと思います。
「筑紫西朝と大和東朝」という概念が出てきます。

日本の古代史を調べる時、『日本書紀』や『古事記』即ち日本の歴史書を見ながら、
時々、中国大陸の本を参考にしますが、内容が合致しない部分が多いですよね。

神功皇后の時代に関しては卑弥呼の時代と微妙に重なっていて、
日本書紀は同一人物として書いていますが、事実は違うだろう、と思っています。

まずは家族構成が違うし、かたや既婚者、かたや独身。
人前への露出度が正反対。
神功皇后は武人たちと動き回っていますが、卑弥呼は宮殿の奥に籠っています。
キャラクターが正反対です。

ネットに出ている年表で、
卑弥呼は書かれていても神功皇后は全く抹殺されているものもあります。

戦前は神功皇后が教科書に載っていたらしく、
年配の方で「神功皇后伝承を歩く」を読んで得心される方も多いようです。

中には上巻を読んで、「すぐに下巻を買ってきてくれ」と頼まれて
お金を預かって来たんですが、という方もあります。

福岡県の人は特に、皇后の伝承の多さに、
いったいどうなっているのだろうかと思う人は多く、
知的な好奇心を満足させてくれる本が、平成になってようやく複数出て来ました。

神功皇后の本を書いているのは私だけではなく、私は多分、三人目です。

さて、問題になるのが神功皇后が活躍する時代です。
これに関しては、まずは200年説のままで考えてみようというスタンスです。
卑弥呼は248年に死ぬので活躍したのは240年頃でしょうか。

『日本書紀』は神功皇后の年齢を百歳にして同一人物だと暗示しています。

この年代特定の手段として鏡が考えられますが、
卑弥呼の鏡でさえ特定できていないので、手掛かりになりません。

が、銅剣ははっきりしています。
銅剣は現実的な20センチぐらいだったのが、
祭祀のために巨大化しているので、編年が分かりやすいのです。

卑弥呼の時代の銅剣は100センチ近くになっていて、重くなり、
るなのように「か弱い」手では両手で持ち抱えるのがやっとです。( ´艸`)

神功皇后がよく奉納している銅剣の現物があればサイズが分かり、年代特定につながります。
もちろん、そんなの存在しないのですが、一つだけ参考資料があります。

飯塚市の綱分(つなわき)神社で、神功皇后は剣を作らせて、埋納しています。
そこから奈良時代に掘り出された銅戈は40センチほどでした。
これなら、私でも片手で持てます(*^^)v

筑紫西朝と大和東朝(1)卑弥呼と神功皇后の時代_c0222861_20291977.jpg

画像出典 東京国立博物館 http://www.tnm.jp/
中広形銅戈
(この銅戈は山の反対側に同じように埋納されたもの。綱分神社の参考)

綱分神社 http://lunabura.exblog.jp/19868269/


この三本の銅戈が神功皇后が作らせたものと証明することはできませんが、
とりあえず、200年説に矛盾のないサイズです。


また、神功皇后を支えた人たちは、いろんな国の人たちだったのが分かりましたが、
卑弥呼や神功皇后の時代は数十の国があったことになります。

ですから、中国には「卑弥呼の国」の話が載っていて、
日本の記紀には「神功皇后の国」の話が載っているのかも、
と考えたりもしていました。

つまり、「卑弥呼の国」は中国とお付き合いしていたけど、
「神功皇后の国」は朝鮮半島の三韓と関わっていたので、中国史には登場しないわけです。

すなわち、「倭国」の話と、のちの「日本」の話が別々に書かれているのではないか、
というイメージが生まれてきました。

多分、この二国以外でも、歴史書を持つ国は沢山あったはず。
だって、『日本書紀』が参考にした「一書」が十以上あるのですから、
それなりの国がその数以上、あったということになります。
文字を持つ国ってかなりの文化度ですよね。

文字や数学がないと銅鐸とか銅鏡とか作れないと思いますねん。

話が逸れてきました。
もともと「倭国」があって、のちに「日本」が出来て、
二国の併存時代が存在したのですが、『日本書紀』などは初めから一国のように書いています。

二国の歴史をあたかも一つの国の歴史に書き換える。
これは大変な計算をしないと上手く結合できません。

そして、この辺りがよく分からん( 一一)のです。
これからの課題かな~と思っています。

で、真鍋の本を読んでいると、「筑紫西朝と大和東朝」という二大勢力について書いてあり、
るなの考えの理解の助けになりそうなので、書き写すことにしました。

(つづく)







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by lunabura | 2014-08-17 00:01 | 古代の筑紫あれこれ | Comments(0)

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