2014年 09月 03日
愛宕という地名
愛宕という地名
愛宕(あたご)という地名を調べると、全国に314か所。
愛宕○丁目とか、愛宕○区というように、重なっているのもあるので、
差し引くと200か所ほどでしょうか。(全くアバウト)
北海道から鹿児島まで分布していました。
身近な地名ですが、真鍋はどう伝えているのでしょうか。p131
「玄海灘の海上気象」からの抜粋です。
胡瓜や南瓜(ばうぶら)の未熟な中実は「なかご」あるいは「ごお、ごう」である。飴状の赤い鉄、すなわち「温、熱、暖」を表す「あた」と具「ご」が結合して姪浜(めいのはま)の愛宕山の地名が生まれた。
「ほご」に似た「小戸(おど)」の地名も傍らにある。
「台無しにする」「駄目にする」というのを「御釈迦にする」という。印度は遺体を火葬にして骨をガンジス河に捨てるのが葬式である。
出来損じの作品を原型がわからぬように粉砕し、舎利にし、あるいは無念さの鬱憤(うっぷん)をはらす心理がこれである。
キュウリやカボチャの未熟な中味…ってどんなん?
キュウリって、昔は大きくなってから収穫していたらしいのですが、
現代は未熟な状態が好まれるということなので、スーパーにあるキュウリを思い出せばいいですね。
スプーンでこさぐと中味が取れます。(「こさぐ」って九州弁かな…)
その部分を「なかご、ごお、ごう」と呼ぶそうです。
それが製鉄の飴状の状態を連想させ、鉄の場合は「暖かいゴ」→「アタゴ」と呼んだそうです。
ということは、愛宕って製鉄をしていた所なのかな。
近くに小戸ヨットハーバーがあり、小戸神社があります。
その「おど」という発音も又、「反古(ほご)」にするという言葉とつながり、
失敗した作品を壊している状況を真鍋は連想するようです。
姪浜(めいのはま)といえば、神功皇后の下着を干した事から付いた地名と
言われていますが、意外や意外、156ページには思いがけない話が書かれていました、
今津湾一帯の砂鉄はチタン含有量がきわめて少ない良質で、本邦屈指の中に入り、川砂に対する鉄分の含有率平均15%、最高85~95パーセントにも達するという一大宝庫である。
今山、可也山、芥屋大門などの玄武岩が中生代から第三紀始めに形成され、これが表面から少しずつ風化剥離脱落して、遠浅の糸島水道に堆積して来たのがその生因である。
三重県名張郡に赤目(あかめ)瀧があり、その岩肌はベンガラ(赤鉄鉱)である。早良郡「姪ノ浜」は中世「衵(あこめ)ノ浜」と称した。貝原益軒は
〈むかし衵浜と言ったらしい。八幡記に、神功皇后三韓を退治されて御帰りの時、十二月四日、ここに着かれて、衵の御衣を干されたことから、衵の浜と付いたという。いつのころからか、姪浜と言うようになったらしい。〉
と述べている。「姪」の漢音は「鉄」と同じである。背後の山は愛宕(あたご)と言う。すなわち溶鉱炉であり、眼前の砂丘から原鉱の砂鉄を採取し、これを露頭の石炭で精煉していたらしい。下着まで汗ばむ熱気がこのような伝説を生んだのである。
なるほど。
姪浜は神功皇后の下着干しから付いたのではないんですね。
貴婦人の下着干しが何で目撃されて伝えられるのか…、
と納得できない地名譚でしたが、もともと溶鉱炉があったということなんですね。
だから、愛宕の近くに竹内宿禰の出城があったのも、
船運だけでなく、製鉄所を守る陣営でもあったんだ…。
地図を見ると、稲荷神社もありますね。

これは小戸の浜から糸島半島を撮ったもの。
砂鉄が黒い筋を見せています。
真鍋は砂鉄は山の崩壊に加え、海底火山からも出ていると言っています。
赤は愛宕。
地図の方に切り替えれば地名が分かります。
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