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ひもろぎ逍遥

(10)武雄神社・武内宿禰を祀る宮


武雄神社

武内宿禰を祀る宮


武雄神社は武雄市図書館の脇から入っていきました。


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左が、あの武雄市図書館。右が駐車場。さらに右の端っこに鳥居があります。

そこから急な坂を曲がりながら登っていきました。


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白いお宮は珍しいですね!



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主祭神 武内宿禰

相殿神 武雄心命
      仲哀天皇
      神功皇后
      応神天皇


なんと、仲哀天皇と神功皇后の夫妻も。お子の応神天皇も。
そして、武雄心命も。

なんだか、当ブログの逍遥している時代そのものですね♪


御由緒です。
『武雄社本紀』によると、神功皇后が異国征伐の帰途、武雄に兵船を止め、それが御船山に化したとあります。これにより、同行していた住吉神と武内宿禰が御船山の南嶽(船の艫)(とも)に鎮座し、武雄社が創祀されました。

神功皇后の異国征伐の帰途となっていますね。
風浪宮帰着とどっちが先かな。
順番から考えると、武雄温泉で汚れを落とし、疲れを癒して風浪宮へという感じでしょうか。

船が御船山になった!
皇后の軍船が入港したのが、よほど印象強かったのでしょう。

武内宿禰が豊姫を預けたのも、この時の可能性はないかな…。
病の妻を母に預けて湯治させた。なんてね。



住吉神も同行していますね。

この有明海の北岸には住吉神を。
そして南岸(風浪宮)には安曇磯良を。
(というか、東西でしたね)

武雄神社 風浪宮



この配置は関門海峡を挟んだ「住吉神社と和布刈神社」と同じです。



神功皇后は筑紫の北と南の水門それぞれに住吉族と安曇族の両雄に守らせた。

これで筑紫の守りは盤石です。

神功皇后、ホンマに近畿に行ったんだろうか。
だんだん、怪しくなってきました。
だって、筑紫と肥前をバッチリ固めていますよ。


由緒書きのつづき。
しかして天平7年(735年)初代宮司 伴行頼に
『吾は武内大臣である。艫には住吉神がおられ、艫嶽に祀られていても畏れ多く落ち着かないので、幸い軸嶽に自分を祀るならば、末永くこの地に幸福が訪れるであろう。』との神託がありました。
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行頼は太宰府を通じて朝廷に奏請し、武内宿禰を主神に、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、武雄心命を合祀し北麓に遷宮したとされています。

なんと、一緒に祀られていた住吉神と武内宿禰、
天平の代に、立場が逆転したのでしょうか、武内神が遠慮して下に降りました。

そうすると、住吉族はあれからずっと活躍して勢力を伸ばしたのでしょうか。
住吉神は風浪宮にも入り込んでいます。

同じ時代の話だろうか…。
また、落ち着いて調べよう。



で、ですよ。
ここにマサカの神が。

下ノ宮の祭神は「平群木菟宿禰」。「へぐりのつくのすくね」なんです。
平群木菟と武内宿禰は親子の関係でしたね!

もちろん、平群木菟が子供です。
神功皇后の三韓攻撃のあと、何度も朝鮮半島に戦いに行ってます。

思い出すのは、福岡の糸島の宇美八幡宮もまた平群木菟の末裔が
宮司職を務めている点です。
ここもまた、末裔たちが祭祀し始めたのでしょうか。
やはり、武内宿禰にとって、重要な宮だったんですね。
現在の宮司家は伴→藤原姓となっているようです。



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武雄の大楠へはこの境内の左手から、こんな遊歩道を通っていきます♪





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by lunabura | 2014-10-01 23:45 | 真根子と竹内宿禰 | Comments(0)

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