2014年 10月 12日
(12)伏尸神社 壱岐真根子は当地に埋葬・その死地は
(12)伏尸神社
壱岐真根子は当地に埋葬された
その死地が書かれていた
伏尸神社は川古のクスとは国道495号線を隔てた所にありました。

道路沿いに鳥居があります。

伏尸は「ふしし」と読みますが、古い書物には「ふし」「ふくす」という読み仮名がありました。
「尸」は「屍」の略字でしょう。
「しかばね」の意味ですが、社号として「死」の字がふさわしくないと、
書かれなくなったのではないでしょうか。
「尸」の字は横たわった人の象形です。
ちなみに「戸」と書けば、「一」は魂。
魂が肉体から抜け出た状態の象形が「戸」の原義です。

で、どなたの「屍」かと言えば、壱岐真根子です。
壱岐真根子の遺体を入れた皮籠が重すぎて当地に埋葬されたと伝わっています。
ということは、壱岐真根子の死地も近いということになります。
どうしてこのような事態になったのか。
『日本書紀』にも書かれていますが、その状況が不自然なため、
地元でも諸説がありました。
四つの説の概要を書きます。
① 若木町川(かわ)古(ご)に伏尸神社がある。昔から格式の高い村一番の神であった。伝説によれば神功皇后の三韓征伐にも従い筑紫に下向した武内宿禰は、応神天皇の九年四月筑紫観察のために滞在し、横(よこ)辺(べ)田(た)(今の大町福母)にいた。しかるに弟の甘味宿禰は兄の出世を喜ばず、天皇のご信任の厚いことをうらやみ、「兄は三韓と通じて不敬を計はかる企(くわだ)てあり」と讒言(ざんげん)した。朝廷はその真意を確かめ、その事実があれば討てと命じて使臣を発向させた。その頃、壱岐に壱岐直・真根子あり、壱岐直の祖であったが百済に渡り観察し、もとよりその事実も無く全くの不実であることを知った。この人その顔形はなはだ、武内宿禰に似ているので宿禰が罪なく空しく死することを惜しみ、身代わりとなりて自ら剣に伏し死んだ。武内宿禰は大いに悲しみ尸(しかばね)に伏して慟哭してやまなかった。
この死体を壱岐に運ぶことになった。昔は藤津、彼杵(そのき)の辺りまで三韓にわたるには唐津より出航していて、川古はその交通の要所であった。横辺田から多久を通り川古まで来た時に死体は重くて運ぶことができなかったので、この地に来て葬ることになったと伝えられ、これを神と崇め奉ったのが伏尸神社である。(占部英幸「壱岐・真根子の足跡」)
これによると、壱岐真根子は「横辺田」で身代りになって死んだとあります。
この「横辺田」を調べて行くと、大町町にその場所が見つかりました。

それがこの写真の偽ピラミッドの付近です。
② 皮籠里 伏尸大明神 応神天皇の九年四月、武内宿禰は筑紫太宰府にいて、九州の農事(綾杉注「百姓」)を監督した。その弟甘美宿禰は異図があるのを讒言し、宿禰は壱岐に逃れた。逮捕使は壱岐に至る。直部の真根子は武内の忠義の人であるのに讒言されたのを憤り、容貌が似ているので身代りになろうと思って逮捕使に、武内だと偽って捕縛された。護送されて杵島郡福母の山惣に来た時、偽物だと自白して自殺した。逮捕使はその亡骸を皮籠に入れて壱岐に送るが、途中亡骸が重くて再び担ぐことが出来なかったので、この地に葬った。(佐賀県史蹟名勝天然紀念物調査報告書上巻)
武内宿禰が壱岐に逃げたので、壱岐真根子はそこで代わりに逮捕され、
都へ護送中に「副母の山惣」で自殺。
この山惣もまた、上の写真の所です。
③ 山惣(やまそう) 杵島郡大町町(居館) 武内宿禰が居所を定めたところ。宿禰は度々ここに来て石崎大明神を祭ったといわれている。また、甘美(あまし)内(うちの)真手(すく)命(ね)にそしられて、追捕使に追われた時、壱岐の直(あだい)(真根子)が身代りになって自害した所。壱岐真根子は武内宿禰の「山惣」の居館で身代りになって自害した。
山惣は上と同じ。
④ 直(あだい)楠(くす) 大町町石崎 応神天皇が追捕使を九州に送ると、武内宿禰は壱岐の国に逃げた。直は宿禰にうり二つで尊敬していたので代わって罪を受けようと、自ら名乗り出て追手につかまった。追捕使たちは直を壱岐国から都へ連れてくる途中、石崎の楠の下で休息した。直は偽物だと判る事を畏れて自害した。(以上、大町町史からのあらすじ)武内宿禰は壱岐に逃げ、壱岐真根子が代わりに逮捕された。
都へいく途中、「石崎」で自害した。
石崎は上の写真の右手に見えているところです。
こうして、並べると、①②③は「横辺田」の「山惣」。
④は「山惣」から少し離れた「石崎」となります。
「石崎」には何があるのかというと、
景行天皇や神功皇后の行宮があった所です。
壱岐真根子と竹内宿禰の旅(4)古八幡(石崎八幡) 土蜘蛛 八十女
http://lunabura.exblog.jp/22574454/
壱岐真根子と竹内宿禰の旅(5)古八幡(石崎八幡・下の宮) 熊襲 大鷹小鷹
http://lunabura.exblog.jp/22579034/
以上、地元の話は武内宿禰の居館かその近くという点で一致していました。
そして、ここは壱岐から都へ向かう道だったということになります。
それでは、次回は現場に戻りましょう。
伏尸神社
佐賀県武雄市若木町川古
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by lunabura
| 2014-10-12 16:10
| 真根子と竹内宿禰
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