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志賀海神社・遥拝所から見える日の出 2015年版


志賀海神社

遥拝所から見える日の出 2015年版


わたつみさんが小学生の時、夏休みの宿題で志賀島の橋から
日の出を観察したと聞いて感激。
私はお寝坊さんだったから、そんな発想は決してありませんでした。

で、tatsuさんにお願いして、志賀島から見える日の出を
シミュレーションしてもらいました。

c0222861_211784.jpg


画像に書かれている文は以下です。
※立花山頂上近くに太陽が昇るのは、4/2,4/3,9/10,9/11の年4回あります。
いずれも僅かな差ですが、頂上に一番近いのは4月3日です。春、秋の季節は太陽の移動幅が大きくなります。

※表示の太陽の大きさは実寸(視直径約0・5度)の倍の直径約1度です。
表示の時刻は太陽が山の稜線上に昇り切った時刻で、画像の太陽と実際の見え方は少し違います。
福岡地方では太陽が昇る角度は約56・4度です。また地平線近くの太陽は肉眼では大きく見えます。

これは超豪華版。
しかも、2015年版です!

見ていると、うっとり。


夏至は帆柱山を過ぎてさらに左へ。
え?帆柱山。
あの、北九州の山ですよ!
神功皇后が国見をした時、もしかしたら志賀島も見えてた?

夏至が来ると太陽は南へとUターン。
夏休みには立花山にどんどん近付いてますね!

二神山の間から日が昇る時、きっと何か祭典があっただろうと思っています。

地元の新宮町には
二神山はイザナギとイザナミの住まう宮だという言い伝えがあります。
イザナミが亡くなって黄泉の国に行き、イザナミ会いたさに
黄泉の国まで行ったイザナギが約束を破って亡骸を見て逃げ出したのですが、
そのあと禊をしたのが志賀島の元宮なのです。

筑紫には埋もれてしまった神々の物語がまだまだ発見されるのを
待っていることでしょう。

さて、太陽はさらに南へと。冬至には宝満山の横のピークに達します。
これが、チェリーさんの言われる元宝満ですか?

これを見ていて思い出したのですが、
正面の山々は古代には葛城と呼んでいた山塊に当たります。

公開講座で紹介したのはこの文。
大和の笠置(かさぎ)の山々の名は、筑紫の葛城(かつらぎ)から神功皇后(201~269)の御宇に遷したものと伝えられる。
 葛城の峰は香椎宮から太宰府の東の空に連なる、昔は日面(かづら)見山(みやま)とよんでいたと聞く。西の伊覩(いと)(怡土)の百姓は、この葛城の山や谷から上がる太陽の方向を見定めて、太陰暦、即ち月暦に太陽暦、即ち日暦の二十四節季、時と所によっては、二十節季をふり添えていた。怡土がかつて日向(ひむかい)の国とよばれていた所以がここにあった。怡土から早良に出る大和に日向の字名が点在することは、古事記神代記、天孫降臨の条に
 朝(あした)の日の直(ただ)刺(さ)す国なり、夕(ゆうべ)の日の照国なり。
の一節を思いあわすことができる。『儺の国の星』p196

これは伊都国から見える東の山々を「日面見山」(かづらみ)山と言い、
葛城(かづらき)の語源になったという話です。

そして、その地名は神功皇后の時代に奈良に移ったといいます。
伊都国から見える日面見山は、志賀島から見ても角度は違え
同様に日面見山だったことに気づきました。


この山塊には葛城神社も残っていますが、まだ未参拝です。
そして、葛城襲津彦の末裔たちは小倉にいます。
また、天智天皇の諱が葛城。

弱冠15歳頃のるなが行きたくて行けなかったのが「葛城」。
(こりゃ、関係ないか…)

まだまだ、面白い展開が待っていそうな予感 ^^


それにしても、この地図があれば、スマホとかで現地で確認できますね。
良い時代になりました。
ちなみに私はガラケーです (^_^;)
Tatsuさん、本当にありがとうございました。

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by lunabura | 2014-12-02 20:23 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Comments(10)
Commented by チェリー at 2014-12-03 21:17 x
そうですよ、それが「仏頂山」通称「元宝満」です。
頂上に「心蓮(しんれん)上人」という方を祀る石の祠があります。
昔は「古宝満山」って言ったと思ったけど…
ブログつくりますから、もう少し待ってくださいね!
Commented by lunabura at 2014-12-03 22:44
チェリーさん、ありがとう♪
宝満山はもともと竈門山だったし、
天武天皇が粕屋の宝満の名を竈門山に冠したという話もあり、
名峰だけに、呼称や祭神の移り変わりがあるようですね。
ブログできたら、教えてください ^^
Commented by チェリー at 2014-12-04 01:45 x
できました!
でも、少しでも気に入っていただければいいんですけど…
「地図でつなぐ聖地の旅 筑前国一宮「筥崎宮」(1)九州王朝 その15」です。
もっと、こういうのが欲しいというのがあれば、また、言ってくださいね!!
Commented by lunabura at 2014-12-04 21:17
チェリーさん、はや!!
ありがとうございます。
凄く迫力ありますね。
大嶽神社や前方後円墳など、詳しく調べたくなってきました。

コメント欄がないので、こちらに書きますね。

30度、60度、90度、45度の測量に関しては三橋一夫の調査資料があります。
三天法と名付けてありますが、三角形の各頂点に神社を置いているということを発見して、それを聖三角形と名付けています。
中央アートから出た本が現在手に入ると思います。

90度+45度は135度ですから、当然出てくるはずです。

志免の宝満山は王子八幡宮のラインのあたりにあったのですが、
炭鉱開発で地盤沈下した土地の為に崩されました。
行けば少し丘陵地が残って、公園になっています。

各地で展望の写真を撮っているので、見直してみたいと思います^^
これからもよろしくお願いします (^。^)
Commented by 愛読者 at 2014-12-05 17:42 x
「葛城」の解明にとても期待しています。「葛」は「フジ」で「藤大臣」、「カツ」と読んで「勝村 (藤之高麿) 、勝頼 (藤之助麿) 」ですし、「葛城臣」は『書紀』でも超重要人物で、大和の豪族とされていますが、真実は九州の豪族と考えています。あまり研究されていないので、るなさんの調査・研究がとても楽しみです。
Commented by lunabura at 2014-12-05 23:16
ようやく古代豪族の研究に手を付け始めました。

藤大臣に関しては仮説は持っていますが、確信に至っていません。
しかし、葛の人たちが宮地嶽神社の北方に分布し、なおかつ相島の積石群を作ったのではないかという仮説は話しました。
その葛と磐井の君が通婚したのではないかと思い始めていますが、それは講演の時には話しませんでした。
ところで、「葛城臣」とは誰で、どういう点で超重要人物なのでしょうか。
よかったら教えてください、
Commented by チェリー at 2014-12-06 23:08 x
lunaさんへ
こちらこそよろしくお願いいたします。
ただ、これからブログが過激になっていきますので、常識的?なところを選んで御案内しますね。

「火焔塚」の位置はわかりますでしょうか?志賀海神社から潮見公園へ登る道路の途中に入口があるようです。私も行ったことがないです…そういえば、潮見公園は志賀島の頂上ではないようですね。地図で見ると、少し西のピークのようです。弥五郎山という山かもしれません。だとすると頂上に弥五郎塚古墳があるはずですが、よくわかりません。弥五郎伝説があるのかもしれません。

コトバンクに、光正寺古墳の石棺の石が能古島産の玄武岩らしいと書いてありますね。石棺に使うということに、何か重要な意味があるようですね。やっぱオノゴロ島ということになるんでしょうか?運ぶのは大変だろうなぁ〜

三橋一夫氏の本は、図書館で少し覗いた記憶があります。一度読んでみますね。

Commented by lunabura at 2014-12-07 19:57
チェリーさん、今チェリーさんの記事を詳細に読み返しているところです。
tatsuさんの発見とチェリーさんの発見を組み合わせると、筥崎宮がクローズアップされてきました。
縁起に書かれていない古代祭祀があるようです。
火焔塚、ネットで確認しました。
弥五郎どんといえば、武内宿禰ではありませんでしたか?
古墳があるとは知りませんでした。
ますます面白くなりそうですね。
Commented by チェリー at 2014-12-07 22:49 x
ありがとうございます。
これは、もう、光栄ですとしか言い様がないです。
基本的にトンデモ話のブログなんで、詳しく読むと間違いだらけという…本当に私は歴史オンチで、勉強中なんですよ。
でも、歴史の勉強は楽しいですねぇ!
弥五郎どんは、武内宿禰説があるんですね。すごい人なんだなぁ…
もともと筥崎宮に注目したのは、道とか線路とか、みんなここに集まってるからです。ああ、ここが福岡の中心なのかなぁって、その時は思ったのです。「縁起に書かれていない古代祭祀」というのはすごいですね。歴史が遡るのですね。

冬至の日の出の方向ととらえる場合は、それほど細かく見る必要はないのかもしれませんが、ラインの真下にある神社がありました。志免町の「岩崎神社」です。御祭神はドンピシャのようですが、歴史がよくわかりませんでした。ただ、ここは大分八幡宮の北の山(仲哀天皇御陵?)の真西になります。山を越えるのですが…

それから、あんまり lunaさんを混乱させてはいかんのですが、大阪の「住吉大社」から葛城山はとても南東に見えます。三角点との誤差は0.01°しかありません。134.99°です。とてもわかりやすい例ではあります。トンデモ話のひとつと思ってくださればいいのですが…
Commented by lunabura at 2014-12-08 22:19
面白いですね。
知りたい話満載でありがたいです^^
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