2015年 01月 08日
七支刀(3)230年説 坩堝の仕上がりを願う女人の髪飾りをデザイン化したという
七支刀(3) 230年説
坩堝の仕上がりを願う女人の髪飾りをデザイン化したという
七支刀の本物が1月15日以降に、九博で展示されるそうです。
今はレプリカが展示されているとか。
待ち遠しいな。
さて、石上神社の七支刀は369年制作が定説ですが、それを疑うのは、るなぐらいかな。
その理由は
①年号の一部が欠字なのに369年と決めるのは無理がある。
干支で考えても、
369年-60年=309
369年―120年=249年
など、複数の候補があり、369年に特化する理由が不明確のまま定説になっている。
②「神功皇后が貰った七支刀」=「石上神宮の七支刀」の根拠がない。
てな感じです。(´・ω・`)
それまでの七支刀問題に関しては次のリンクに書いています。
http://lunabura.exblog.jp/i210
愛読者さんにこの辺りの事情を教えていただいてようやく理解できました。
でもね、「泰■四年」=「太和四年」とする学問って、
いったい歴史の世界はどうなっているんだろうと、ずっと疑問でした。
この疑問を上手く表現できなかったけど、
小保方さん風に言えば、「研究不正」に該当しない?
「泰■四年」→「太和四年」って、元データの改竄だもん。
と、相変わらず ??? の、るなさんでした。
そこで、今日は真鍋の「七支刀」を見つけたので書き写そうと思います。
結論を先に書くと、
七支刀のデザインの元は「ひかげのかづら」という植物で、
アメノウズメが挿していた髪飾りと同じデザイン。
坩堝の仕上がりを願う女人の髪飾りだと言います。
「泰■四年」は「泰化四年」と判読して、
魏明帝太和四年(230)の写しという仮説を出しています。
結局、真鍋もこれに関しては、すっきりとしませんでした。
これはアメノウズメの髪飾りをこっそりと描いたもの。葉っぱが七枚です。
(ただし、かづらの現物を見たことはない)
ビーズの髪飾りは飯塚市で出土したものを描いています。
おでこから耳の前にかかるラインは現代でも通じる美的センスです♪
飯塚市の資料館にありますよ。
(手前の男神は猿田彦のつもり)
では『儺の国の星』p66から。
脊振の御祭は、今は5月11日~13日の間となっている。京都鴨の葵祭と同じ頃である。
ここに「あふひ」とは「ひかげのかづら」の事であって、古事記神代記、天の岩戸の条に「天の宇受売の命、天の香山(かぐやま)の日影を手次(たすき)にかけて、天の真拆(まさき)を鬘(かづら)として」云々が最古の記事であり、又、平家物語大原御幸(おおはらごこう)の条に「まさ木のかづら青つゞら、くる人まれなる所なり」にもその名が見える。
夫木和歌抄巻七 葵の条に
中原師光朝臣の作れる歌
そのかみの みかけの山の 諸葉草 けふはみあれの 志るしにぞとる
又同書 賀茂祭の条に前中納言定家卿(1162~1241)の作れる歌
雲のうへを 出るつかひの もろかつら 向ふ日かけに かさすけふ哉
「ひかけのかづら」は坩堝の仕上がりを願う女人の髪飾りであったと聞く。大和山辺丹波市石上神宮の七支刀(ななつさやのたち)はまさにこの「ひかげのかづら」の抽象的図柄であって、銘文には、泰化四年の年号が判読できる。これは魏明帝太和四(230)年の元号の写しかもしれない。
日本書紀巻九 神功紀五十二年(252)の条に曰く
七支刀一口・七子鏡一面・及び草々の重宝(たから)を献る。
京都の葵祭のルーツは脊振山の祭で、
天智天皇がそれを見て京都に再現したと真鍋は言います。
そこには賀茂氏がいて、盛んに鉄などを作っていました。
蹈鞴(たたら)の神を八丁様と呼んでいました。
そういえば、飯塚に向かう山に八丁峠がありますが、これもそれかな。
脊振のお祭りに髪に挿す植物が「ひかけのかづら」で、
これが京都の葵祭にも用いられたようです。
その実物を見ないと何とも言えないのですが、
「七枚葉のかづら」というデザインが百済からもたらされたのですから、
さらにそのデザインの発祥など、これから注目してみたいと思います。
年代の問題は真鍋は「泰■四年」=「泰化四年」→太和四年です。
ただ、時代が繰り上がって、魏の時代、230年説を出しています。
真鍋大覚は神功皇后の時代を西暦200年としています。
この年は太陰暦と太陽暦の元旦が同じという特殊な年だったらしく、
西暦の無い時代、年代の計算にこの年が基準となったもよう。
だから、200年の話は何度も出てきます。
太歳も三度もして、何度も確認した時代らしいです。
るな的には、現代人より、物部氏の口碑を信じたいな。
ただし、まだ200年の太陽暦と太陰暦は未調査です。
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昨年、志賀海神社や三六九神示のことなどで、いろんな情報を転載させていただいた、まーりんです。
その節は本当にありがとうございました。
七支刀のデザインの元がヒカゲノカズラとは・・・
いまちょうど自分のブログで書こうとしたのが、ヒカゲノカズラに関するものです。
ホメオパシーという療法で使われるレメディに、ライコポディウムという重要なレメディがあります。それはロシアやフィンランドの森で夏の終わりに「ヒカゲノカズラ」の穂状花序を乾燥させ、叩き落として採った胞子から調製されたということです。レメディのライコポディウムが効果があるとされる症状は多岐にわたりますが(有名なのは「自信のなさ、心配症、あがり症」に効くこと)、製鉄に関係しそうなものは、眼の炎症・痛み、ろうそくの灯に敏感ってところでしょうか。
またホメオパシーの創始者が書いたテキストには、火にくべると爆ぜる性質があること(火薬に混ぜたようです)、また古人が言い伝えるライコポディウムの効能を今の(1800年代)の人は信じないようだが、という部分があるので、北ヨーロッパでは伝統的な薬草の一種ようです。
Wikipediaをみるとヒカゲノカズラは古くから北半球に分布していたようですが、ヒカゲノカズラを大事にした種族は、どこから日本に来たのでしょうね。
ヒカゲノカズラの穂状花序・・・って、ネット上の画像を見ると、天に向かって数本突き出している様が本当に七支刀みたいですね。かんざしのようだともいえるかもしれません。
るなさんの歴史講座、明日にせまっていますね。安曇磯良のお話が、志賀島で・・・!
帰福できそうにない(涙)ので、参加できずに残念です。
今回も素敵な会になることでしょう。
遠くから応援させて頂きます。
遅ればせながら 今年もよろしくお願いいたします。
ヒカゲノカズラについて教えてくださってありがとうございます。
とても大事な話なので、引用して記事にさせていただきました。
こにシンクロ。
凄いですね。
ありがとうございます。^^
もう一記事、続きを書こうかと思っています^^