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ひもろぎ逍遥

豊姫・豊玉姫・淀姫


豊姫・豊玉姫・淀姫


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昨日、質問があったので、もう一度整理してみることにしました。




豊姫、豊玉姫、淀姫は
福岡や佐賀を中心に祀られている女神たちですが、
トヨヒメ・トヨタマヒメ・ヨドヒメと発音が似ている上に、
神社でも一緒に祀られていたりして混同しそうですが、
基本的な姿は三柱とも別のものだと思っています。

豊姫
豊姫は神功皇后の妹で、竹内宿禰の妻と言われています。
久留米市の赤司八幡神社はもともと止誉比咩神社という社号でした。

それは神功皇后が妹の豊姫を神形代(かみかたしろ)として立てたことから
ついた社号ではないかと考えています。
神形代とは「形代」だけで神が依り憑くという意味があるのですが、
さらに神の字を付け加えたものでしょう。

豊姫は神と人をつなぐ神懸りをしていた人です・

神功皇后には虚空津姫という妹がいたといいます。
虚空津姫(そらつひめ)も神懸りをする女性でした。
多分同一人物なのではと思っています。

志式神社の神楽や高良玉垂宮の縁起絵巻の中では、
干珠満珠を海神もしくは磯良から授かって、竹内宿禰に渡すようすが描かれています。

その豊比咩は佐賀県武雄市朝日町の淀姫神社で
二十二歳の若さで亡くなったと伝えています。
この神社では豊姫のまたの名を淀姫とも言っています。
混同して伝わっているのではと考えています。

淀姫
 有明海が針摺瀬戸まで湾入していたころ、七十年に一度の津波が起こっていました。
七十を「よと」と言い、夜渡とも書いたそうです。

いったん津波が湾内に入ると何度も反復し、収束するのに時間がかかる事を
私たちは知っていますが、これが実際に起こっていたので、
その津波が押し寄せた所に夜渡姫の祠を祀りました。

七十年に一度なので、孫世代に伝えるために夜渡祭として伝えたのでしょう。
佐賀には淀姫神社が多くて驚きましたが、その地形を見ると
二つの川が合流するような所に鎮座しています。
淀姫は洪水を治めてくれる女神でもあったのでしょう。

豊玉姫
豊玉姫は安曇族の姫です。
海神豊玉彦の娘で、玉依姫の姉に当たります。
豊玉姫は山幸彦と結ばれてウガヤフキアエズを生みます。

その当時、夜空には北極星がなくて、ポラリスとツバーンが傍らに並んでいました。
海人の長は二つの星を祀って青玉と白玉を捧げ、船人の無事を祈りました。
この二つの玉が干珠満珠です。
この二つの玉(星)を人々は豊玉姫と玉依姫になぞらえて祈りました。
豊玉姫は満珠、玉依姫は干珠。
ですから、豊玉姫は津波の寄せ波の象徴でもありました。
そうすると、トヨタマ姫もヨド姫も津波の象徴になるので、
佐賀辺りでは同じ女神として祀られたと考えています。

豊玉姫と豊姫は実在の人物で、淀姫は自然現象の象徴です。

神話とされている話の中に真実の歴史が暗喩で伝えられているので、
そこらへんを明らかにしたいなと思っています。





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Commented by ay at 2015-01-12 23:29 x
うわぁ〜!ルナさん、ていねいにまとめてくださってありがとうございます。
昨日、質問させれいただいた者です。
年末、武雄温泉ついでに淀姫神社にお参りさせていただきました。それで、混乱してしまったものと思われます(笑。

昨日のお話も、自分のレベルでわかる範囲でなんとかついていくのに必死でしたが面白かったです。濃いお話をありがとうございます。
個人的には、赤司八幡神社のお話がツボでした。
そのときに、さらりと「ミヤジダケも三沼の三女神をまつっています」とおっしゃられたような??? 聞き間違いでしょうか?ミヤジダケとは、福津にある宮地嶽神社のことでしょうか???

また、個人的な話で恐縮ですが、先月初め、志賀海神社にお参りをしたとき、「ホスセリ、ホスセリ」と心に浮かんできました。誰のことかもわからずとりあえずメモしておいて、そのあと志式神社にもお参りしたのですが、あとでこちらでチェックしてびっくり。ホスセリが三良天神として志式神社にお祭りされているなんて…。
志式神社の続きの記事も、いつの日にかアップされるのを楽しみにしております。

友人が、志賀中学校で先生をしています。いつの日か、学校でルナさんのお話を生徒たちが聞く機会があったらいいなぁ…なんて、妄想しています。
Commented by lunabura at 2015-01-12 23:59
ayさん、いつも参加して下さってありがとうございます^^
ああやって質問してくださると、こちらもありがたいです。
(板書、これから綺麗にします 反省)
福津市の宮地嶽神社には三女神が祀ってありますが、
神功皇后が祀った時代ですから、まだ水沼三女神の方です。
ミヌマカタ→ムナカタと変化したと思っていますが、
考古学界では宗像市と誤解されていて、宗像徳善が独り歩きしているので、ガイドブックにも下巻には書いています。
赤司八幡神社は三女神の降臨地。
これも下巻に整理しているので楽しみにしていてください。
火酢芹はよく分からないのですが、下巻に少し書いています。
それ以上は今の所、情報がないのです (+_+)
地元の子供たちには是非伝えておきたいですね^^
Commented by hiko at 2015-01-13 12:24 x
豊玉姫の宮、糸島の志登神社に先日参拝しました。
今年の12月には社殿の再建がなる旨、書かれていました。
こんなに早く・・・関係者のご苦労はいかばかりかと頭が
下がります。
Commented by tatsu at 2015-01-13 12:45 x
淀姫が自然現象の象徴、七十年に一度の津波ということで連想したのですが、春分点は71.6年毎に1度、歳差運動により黄道に沿って動きます。茨城県常陸太田市に東金砂神社、西金砂神社という大己貴命・少彦名命を祭る一対の神社があり、72年毎に大祭礼が行われていて、これが歳差運動と関わっているという説があります。西金砂神社へ行ったことがありますが岩山の頂上に社があり、天体観測にはうってつけの場所でした。「夜渡」とは歳差運動のことだった可能性はないでしょうか。

また、淀と隈という文字が、よどみ・奥まったすみという同じような意味を持つことから、隈が天体観測に関係する文字なら、淀もそうではないかと連想し、淀姫を祭る神社の分布はわかりませんが、星の位置や南中時刻の差から時間の測定を行った配置があるのではないかと思いました。豊玉姫も自然現象に関係しているようですので、この三女神は天文系の神々だったのではと思いました。先のブログの「隈本」からの思いつきです。
Commented by lunabura at 2015-01-13 21:57
hikoさん、こんばんは。
志登神社のこと、昨日考えているところでした。
本年中に再建されるとは。
ありがたいことです。
Commented by lunabura at 2015-01-13 22:06
tatsuさん、こんばんは。
淀星(よどのほし)とはシリウスのことです。
シリウスの星の出が溶け合うように見える時、津波が起こるそうで、それがおよそ七十年に一度ということだそうです。(伏見神社に書いています →サイドバー)

歳差運動としては七十年間に一度ずれることが、遷宮を促すものだと真鍋は言っています。
「太田」という地名は渡来人に関係あるようでした。今解読中です。
「北見」とは夏至の太陽で、「常陸」もこれに類する年始元旦であった、と真鍋は書いています。
東西の金砂神社は、おっしゃる通り歳差運動に関わっている可能性が高いですね。
Commented by tatsu at 2015-01-14 19:18 x
「伏見神社」読ませていただきました。なるほどそういうことですか。聖書の出エジプト記のような話もあるんですね。大昔の単位がわかりませんので、70という数の扱いは難しいですね。シリウスの見え方の変化も辿ってみたいです。

「隈本」については、文化財関係の仕事をしている知人にたずねたところでは、熊本城周辺は中世の城以前には遡れず、「星」に関係するような資料は遺物も文献もない状況で、強いて言えば、城の近くではないが装飾古墳の図柄などはどうなのかなということでした。

地名としては、地図には載っていませんが、加藤清正を祀る浄池廟の近くに「星生山」があり、また妙見信仰によると思われる「星原」という地名が熊本市周辺にあるということでした。天守閣のある場所の地名「茶臼山」も絵図面(江戸時代)にそう記載されているだけのことで由緒は不明だそうです。個人的には茶臼は古代オリエントで信仰された天神・地神の名称が変化した音に漢字を当てたものだろうと思ってます。

隈本観星台説について今のところ現地は八方塞状態です。でもそれが事実ならどこかに手がかりはあるはずですから、いろいろな年代・季節の夜空の再現などから始めてみようと思います。
Commented by lunabura at 2015-01-14 22:09
「星」という単語は古代語には数十種類もあり、かつ氏族ごとに祀る星も違っています。
驚くほど、普通の単語の中に星に関するものが含まれています。
それがまとまれば、探し方も変わってくると思います。
お互い、一歩ずつ歩んでいきましょう^^
Commented by ay at 2015-01-15 00:06 x
ルナさん、お返事ありがとうございます。
福津の、宮地嶽神社に三女神がまつられているのですね!
宮地嶽神社のサイトには、御祭神は息長足比売命、勝村大神、勝頼大神としか書かれていなくて…???でしたが、
神功皇后が宮地嶽で戦勝祈念に三女神をおまつりした…ということなのですね。三女神は剣から生まれたので、戦勝の神様である、と。
ひっかかるのは、宮地嶽神社は安曇。その地で水沼〜宗像の三女神をお祭りする事に問題はなかったのか…ということなのですが…?
部族間の関係が、気になります。
Commented by lunabura at 2015-01-15 19:51
ayさん、こんばんは。
福津の宮地嶽神社の三女神は摂社の方に祀られています。
摂社はたくさんあるので、一般的にHPなどには紹介されません。
ただ、いろんな神社誌を紐解くと、神功皇后がお祭りしたのが天神地祇だったり、三女神だったりしています。
皇后が宮地嶽に滞在した期間は長く、周辺の神社にもいくつか参拝しているので、あまり厳密に考える必要なないと思います。
神功皇后はいろんな神々を祀っているのですから。
皇后は神武天皇社でも三女神を祀っています。
そこは浜辺に泉があったといいます。
水の神であり、剣神であり、国家守護の神と皇后は考えたのでしょう。
三女神に関心があるなら、同じ福津市の神興(じんごう)神社や鞍手の六嶽(むつがたけ)神社も調べて見てください。
サイドバーから入れます^^
Commented by ay at 2015-01-16 00:54 x
重ね重ねのつたない質問に、ありがとうございます。
なるほど〜です。
ご紹介いただいた神社の記事も、読ませていただきますね。
これからも、楽しみにしています!
Commented by lunabura at 2015-01-16 22:53
三女神伝承の宮々 という名でサイドバーに出しています。
ここから入ると全体がいっぺんに読めます^^

奥が深いですね^^
by lunabura | 2015-01-12 19:44 | 豊玉姫と玉依姫 | Comments(12)

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