2015年 02月 06日
宿題でた
出版社の不知火さんから連絡がありました。
準備中のガイドブックの下巻は上巻より少なくて49社ですが、
内容が濃かったので、16ページも増えるそうです。
そういえば、やけに大変だったなあ。
で、「一ページだけ空きが出るので、何か書いてください」と言われました(^_^;)
「何がいいですか?」
「何でもいいです。」
これが一番難しい。
で、話しながら「佐賀編」のイメージが湧きました。
山門県(やまとのあがた)(みやま市)で田油津姫を滅ぼした後、
『日本書紀』では、いきなり松浦郡の話になっているのですが、
みやま市から松浦郡までわずか9日で何処を通って出たのか。
るな的には佐賀を通って玄界灘に出たのだろうと予想し、
現地調査をしたら裏付ける伝承が見つかったのは過去ブログで紹介しました。
杵島郡から武雄市にかけては竹内宿禰の居城、父や母や妻や壱岐真根子の死地など、
一族の伝承地が集中して分布。
これを本で紹介する機会があるかどうか分からないので、
簡単でも出しておこうという気持ちもあります。
で、これを書こうとすると、また史料の読み直しや住所調べ。
あの暑い季節の苦労を思い出しちゃいましたが、頑張ります。
一方、北九州八幡東の神功皇后のお話会も、順調に準備しています。
志賀島で話す時には志賀島近辺に時間をかけ、
久留米で話す時には久留米周辺、
福津で話す時には福津~古賀周辺、と
詳しく話す部分を変えています。
忌宮神社がスタートなのはいつも同じです。
新羅の塵輪が直接皇居を襲撃したという大事件が『日本書紀』に書かれていないので、
新羅と戦う意味が分からなくなっているからです。
今回はゆったりと北九州周辺の奥行きの深さを紹介できるので、
沢山の画像を準備しています。
志賀島の磯良の話と組み合わせて聞いていただけたらいいな、とも思いました。
武雄市 武雄神社の大楠
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