2015年 03月 06日
「高良玉垂命・安曇磯良 -消された王―」を久留米で話します
「高良玉垂命・安曇磯良」
-消された王―
久留米地名研究会で話します

古代の謎を秘めた高良玉垂命と高良の神。
この二神について、志式神社の磯良舞と高良玉垂宮縁起絵巻を比較して、別の神だという説明を拙著でしました。(「神功皇后伝承を歩く上巻」高良玉垂宮参照)
「高良玉垂命」とは安曇磯良で、「高良の神」とは武内宿禰です。
武内宿禰の業績は歴史で大きく扱われているのに対して、安曇磯良はその名さえ正史に書かれていません。現地の伝承と日本書紀を比較すると、意図的にその名が消されているのが分かります。
これに加えて正史は、豊浦宮(忌宮神社)で起こった新羅軍の上陸と皇居襲撃も書いていません。防衛網は破られ、天皇は危うく一命を落とす所でした。
この不名誉な戦いを正史が書かなかったために、神功皇后の新羅討伐の目的が曖昧になりました。
また、この時に戦死したのは、宮地嶽神社の古(いにしえ)の祭神・阿倍高麿・助麿兄弟です。この名も書かないことで、阿部氏の活躍が忘れ去られました。宮地嶽神社は安曇族の宮です。
一方、中国正史『新唐書』には「倭奴(わぬ)国王の名は阿毎氏で、初代は天御中主と言う。」と日本からの使者が言ったと書かれています。
「阿毎」の「毎」は中国では「mei」と発音するので、「天」(あめ)と書くことも出来ます。阿部氏も阿倍とも書くケースがありますが、「阿倍」の「倍」は「bei」と発音するため、音が似通っています。
これらは何を意味しているのでしょうか。
日本からの使者の言う、「倭奴国の初代、天御中主」は志賀海神社の沖津宮の祭神です。そこは安曇族の最たる聖地です。これは素直に、倭奴国の初代王は安曇族だと解くべきでしょう。
この志賀島からは金印も出土し、「委奴国=倭奴国」がそこにあったことを示しています。
いにしえ、安曇族の姫・玉依姫は神武天皇を生みました。母系制であれば、神武天皇は安曇の跡取りとなる身分でした。
ですから安曇氏は天皇家の祖でもあります。その末裔の安曇磯良の名が何故消されたのか。
『日本書紀』は、倭奴国王たる安曇族の系譜と歴史を消し去り、分家(傍流)だった日本国王の系譜を正統にしたかったのではないでしょうか。
しかし、安曇磯良の名は消されても高良玉垂命と名を変えて祀り続けられました。神功皇后に干珠満珠の秘法を授けた「神人」として今なお各地で祀られ、神楽や傀儡舞で伝えられています。
今回は、安曇磯良が神功皇后の招きに最初は応じなかった状況、皇后の誠意に触れて舵取りとなって参戦、凱旋後は有明海に入港し、高良玉垂命となり、大善寺で没するまでを、神社伝承をつないで説明します。
内容は志賀公民館の歴史講座「安曇磯良と神功皇后」の二回分を一回で話すものになります。
なお、「高良の神・竹内宿禰」については、別の機会にお話しできればと思っています。
日時 2015年3月7日(土) 13:30~16:30
場所:えーる・ピア久留米(久留米市生涯学習センター)
久留米市諏訪野町1830-6 0942-30-7900(ナビ用)
参加費 オープン参加 500円 (会場にて) 先着60名
主催 久留米地名研究会
会場地図
現地に有料駐車場があります。
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せっかくの機会で、興味深いテーマなのですが・・・
今後のお話会を楽しみにします。
その時と思ったのですが、今からメールします

今日はいつにもまして、素晴らしい御講演をして頂き、ありがとうございました。わたしたちの郷土に伝わる、古代の伝承の持つ力強い魅力に、皆さん心躍る想いをなされたことと思います。ガイドブック下巻の発売も、真近と聞きます。
今後のルナさまのご活躍を祈念致します。

御一報、ありがとうございます。少しずつ拝見しますね。
是非、一緒にアチコチに♪