2015年 04月 16日
(11)山田古墳群・神名備山の麓で
山田古墳群
神名備山の麓で
さて、鳥栖市をあとにして、車は西へと向かいました。次の目的地は三養基郡みやき町の山田古墳群です。山に向かう谷に古墳群があります。
県道31号線、綾部東の交差点を北上すると、すぐ左手に古社が見えました。ちょっと高台です。いいお宮!
案内板の文字に見える「風」の字に、「風の宮」だ!と思わず声を上げました。風を祀るなら製鉄かも!といつもの思考パターン。
すると、フウさんが、「あそこの門前町は饅頭が出来ると旗を揚げるので有名でね」と意外な話を。周りの人たちも御存知。その古社とは綾部八幡神社と言います。ここの幡は結構有名なんですね。
「あとで寄りましょうか」と筑後国造さん。
――やったね、神社だよ。古墳と神社はセットで見なくちゃね!
さて、車はどんどん北上します。川が流れる谷あいに出来た細い道です。川の名前は「寒水川」。「しょうずがわ」と読むそうです。
怪しい。製鉄関連地には「寒水」はつきものです。
そこに、この山!
ああ、古代人がマークする神奈備山だ。
「何て言うんですか」
「鷹取山です」
先達がいると、山の名前がすぐに分かるので有りがたいですね!
いかにも古代人が集落を営みそうな雰囲気の所に、山田古墳群がありました。
ぽっかり開口したもの。
中に入って外を撮りました。
これは封土がすっかり無くなってしまって石室が露出したもの。右から入る事ができます。
これが正面。しっかりとしています。
これは最奥。手前に石仏があります。
壁を見ると、天井との間に近所の石が詰め込まれている(?)感じです。
壁の作り方は個性があるので観察するポイントなんでしょうが、撮るのは難しいですね。
集落には古墳の高まりや穴は沢山あるんですが、竹やぶになっているので、何を撮っているのか、別の分からない画像ばかりになります。
それでも、大きな古墳は羨道を立って歩けるものもあり、谷あいの集落にこれほどのものを造れたということは、かなり富み栄えた部族と考えられます。農村ではありません。
「どうやって、こんな山の古墳群の存在を知るんですか?」
「郡誌や地元の本からです」
「ああ、私の神社調べと同じですね」
郷土史家の手作りの本や郡誌には考古や神社の資料が真摯に書かれていて、その本と出会うかどうかは、るなの古代史ワークの最大ポイントです。
これらの本は貴重なもので、多くは図書館の郷土史コーナーに保管されていますが、地元の図書館を一つ一つ回る事は不可能なので、こればかりは御縁次第ということになります。
ですから、九州全体の古代史を再現するには、地元の方が史料と現地の突き合わせをすることが肝要です。そして、古代史マップを作ろうとすることで、地元の歴史が明らかになってきます。
そんな土台となるマップが出来たら、関連ある地域へと探査を広げていくことで、2000年の歴史を描き出せるんだと思っています。
マップ交換会が夢なんです^^
そんなイベント、県や市が企画してくれるといいな。
九州は遺跡だらけなので、どこを掘っても遺跡が出てきますが、あいにく消滅するものが沢山あります。総てを残すことは出来ないのでしょうが、地元に関心を持ち、学ぼうとすることで、後世に伝えなければならない遺跡を見抜く力を養います。
意図的に消滅させられないためにも、フィールドワークは欠かせませんよね。
皆さん!連休はガイドブック持ってフィールドワークしましょう!(宣伝!)(笑)
さて、この山の中でこれほどの古墳を営むには、古代でも産業がなくてはなりません。
やっぱり、鉄しか思い浮かばないんだけどなあ。
戻りしな、フウさんが、ここは土砂崩れが起きそうな地形だなとつぶやきます。そう、山津波が起こったら、麓まで土砂が流れ出しそうな地形です。
そして、私たちの思い思いの感想は次に向かう神社で思いがけず証明されたのです。
地図 佐賀県三養基郡みやき町山田
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