2015年 04月 30日
(15)高柳大塚古墳・ こりゃあ、美麗なり。
高柳大塚古墳
こりゃあ、美麗なり。
綾部八幡神社(みやき町)をおいとまして更に西に向かいました。ほどなく車は右折。

田園風景の中を走り出すやいなや、右手にポコポコとしたマウンドが!車はそれを目指していました♪ (^o^)/

絵に書いたような前方後円墳です!しかも、可愛いサイズ。
環境も素晴らしい。後円部の直径が20.4mです。

開口してますよ!しっかりしてます。

奥まで見通せました。入り口から奥壁までが10.20m。羨道部の先に前室があり、玄室へと続いています。

奥壁が美しいです!
床は現代の加工。古墳の雰囲気を損なわないセンスの良い敷石です。
この古墳は立ったまま入れます。県史跡で、佐賀県内でも最大規模だそうです。宮地嶽古墳の石室が23 mほどあったので、ほぼ半分のサイズになります。

天井を見るとしっかりと蓋がされていて、全体的に直線的なデザインです。手慣れた匠による築造という印象さえすます。

仕切りの石も明瞭です。
時代は6世紀後半だそうです。田代太田装飾古墳と同時代ではないですか!
6世紀後半って肥前には誰がいましたっけ?
来目皇子が来たのは628年なので、それよりずっと前の人になります。
筑紫君磐井が亡くなったのが528年。磐井の君は筑紫と火の国を治めていました。磐井の君の次の筑紫君は葛子。彼は火の国を治めることは出来たのかな。誰か他の人が治めたのかな。
場所は前回の綾部八幡神社からはわずか1キロ。歩いても15分!綾部の岬を聖地とした文化圏が想定できますね。
周囲を見回すと田んぼだけですが、古代には集落があったのでしょうか。いや、集落の真ん中に古墳を造ることはないだろうから、もう少し南に営みの痕跡があるかも知れませんね。
で、石室は真北に向かっているように案内板の図には書いてあるんですが、地図を出して見ると、封土の軸の方が南北になっていませんか?
古墳の入り口は後円部と前方の接する所、右手に見えています。玄室は後円部の中央に位置します。熊本の和水の古墳とは左右対照的な位置だなあ。(名前忘れた)
この南北の軸とか、石室はどこを見ているんだろう。方角の調査、地図の得意な方にお任せしましょう。
ここは周囲の遺跡を調べると面白そうなエリアでした。
さて、次も古墳に案内してもらいましたよ。東山古墳と言います。吉野ヶ里です!
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高柳大塚古墳の主軸は、真北から2~3°くらい東に傾いているように見えます。この方向だと日拝塚か香椎宮か、そんな向きですねぇ…真北の方向だと、宗像大社中津宮というのはどうですか?0.10°の方向になります!ヒットするのはここくらいかなぁ…
田代太田古墳はよさそうですよ!唐津の南にある「久里双水古墳」というところから90.03°です。不思議なことに、「勝尾城筑紫氏館跡」という、今は神社になってるようですけど、その真上を通ります!
注目は田代太田古墳の真北が大宰府政庁になることです。これって、意味ありそうですね。
でも、もっと北に行くと「宗像大社辺津宮」なんですよ(359.90°)。二つの古墳と宗像大社に関係があるかもしれません!!
高柳大塚古墳の主軸は難しいですね。
前方後円墳って、今は左右対称に紹介されるようですが、本来少し変形しているものだそうです。古墳設計の都合上、左右対称にはならないという説を読んだことがあります。学界の方に言うと叱られそうですが^^
つれづれなるままに 斗など観るも いとをかし・・・と、高柳大塚古墳の北の空に注目してみました。香川県丸亀市の讃留霊王神社古墳)から見た北斗七星のことを、るなさんの「ひといき」の記事に投稿しましたが、高柳大塚古墳ではどう見えるのか試しました。
讃留霊王神社は飯野山の頂上を真北にではなく約7度西寄りに見る位置にありましたが、高柳大塚古墳も北の山並みからちょこんと突き出た鷹取山頂を真北ではなく約5.5度西寄りに仰ぎ見ます。結果は、確かに鷹取山にも北斗七星が美しく架かりますが、時期が紀元前400年頃のことでした。吉野ヶ里と関係あればこれもありですが、紀元500年頃とされる高柳大塚古墳とは年代が相当ずれてしまいました。残念!しかしこの他にも、北側の山頂が真北から西側に少しずれて見える古墳があれば要チェックです。
高柳大塚古墳は画像では少し東に傾いているようですが、「方」部分の形の影響で、中心軸は南北かもしれませんね。シミュレーションの風景が合っているかも確認が必要で、現地を見ないとよくわかりません。またつれづれに探ってみます。
でも、少しずつ何かが見えてきそうです。
東西軸の5度程度のずれが各地で見られるので、星を見ている可能性もありなんでしょうか。
それぞれ氏族ごとに祀る星が違うというのも、利用できるかもしれませんね。
ここら辺に入れ込んで良いのかなーと、ちょっとズレるのですが今年の夏くらいには又発表があるかもしれません。
紀元前8000年位のここら辺の生活の様子。
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO95482030U5A221C1000000?channel=DF280120166609
鮮やかな残り具合でしょう?
歴博でも感動したのを思い出します。
確か、ここのもテレビでありませんでしたか?
縄文時代の牡蠣が大きくて、一つだけれも食べきれないと思った(^^;
こんなことしか記憶にないなんて・・・
今度あったら、まじめに記憶します。








