2015年 06月 11日
佐賀(19)吉野ヶ里遺跡2奇蹟!弥生時代がまるごと残っている
吉野ヶ里歴史公園(2)
奇蹟!弥生時代がまるごと残っている
吉野ヶ里はとても広くて駐車場が二か所あります。
自分が止めたのは東か西か覚えてないと迷子になりそうです。
しかも間違いと気付いて引き返すと延々と歩く事になります。
そんな弥生時代の国邑が丸ごと残っている奇跡のクニを歩きましょう。
東口駐車場から歴史公園センターで園内マップを貰いました。

大きな橋を渡るといよいよゲートです。
ウワっ。本格的!

鳥居だ!蘇塗だ!ソッティだ!
忌宮(いみのみや)神社で話が盛り上がったソティが三つも止まってますよ!

これは展示場にあった「韓国の蘇塗」の写真。似てますね。
そして入場して見回すと、

逆茂木(さかもぎ)だ!
延々と付き立てられた尖った丸木は出土状況を再現したものです。
これだけの防御が必要なのは、この時代が戦闘続きだったという事です。
実際に首のない遺体や矢が打ち込まれた遺体などが出土しています。
別れ道で右の道をたどると、「南内郭」に出ます。
王や支配者が住んでいたエリアです。

物見櫓(ものみやぐら)です。なんとこれが四棟も立っていた!
かなり必死で守ってます。

物見櫓からの眺めです。ずっと向こうの山々が見えるようになりました。
広場の右奥にも物見櫓が見えます。その左下に王の家があります。
写真の左半分は二重になった環濠と逆茂木。そこから更に左を見ると、

倉と市があるエリアです。
その先はまるでゴルフ場に見えますが、
「グランドゴルフコース」とマップに書いてありました。(・.・)
やっぱりそうなんだ…。(草が生えなくてよさそう…。)

このような竪穴住居も再現されています。
当然、覗きたくなるのですが、

(お、お邪魔しました。)
王と妃でした。

もう一つ覗くと、「!!」
(あ、いえ、別に用事はないんです。失礼しました。)
と言いたくなるような人形たち。
そして他には弁当持ち込んで食べてもいい竪穴住居もありました。
楽しいですね。今度は弁当持って行こうっと。
さて、お次はメイン会場の主祭殿のエリア「北内郭」です。

吉野ヶ里のシンボルです。上りましょう。最大の建物です。
柱の穴が16ありました。
唐古遺跡や中国などの建物を参考にしてデザインされました。

二階のようす。
かなり広いのですが、こんな風に人形が並ぶと圧巻です。
男女が混じって座っているのは、このクニが男女平等だった事、
着物の色は豊かな文化があった事を示しています。
考古学的な発見を活かしたようすがよく伝わって来ます。

三階に行くと、祭祀の様子が再現されています。
正面に三種の神器が榊に掛けてあります。
巫女の姿はアメノウズメの服装のようですね。
アメノウズメの命は天の香具山の天の日影(ひかげ)をタスキにかけて、
天のツルマサキをかずらとして、
天の香具山の笹の葉を手に持てるように束ねて、
天の岩屋戸の前に、桶(おけ)を伏せて乗り、踏み轟かして神懸かりしました。
(古事記)
左では男の人が琴を弾いています。当時の琴は男の人が弾くものでした。
右の男の人は審神者(さにわ)です。(神さまが本物がとうか見分ける人)
これは日本書紀の香椎宮のシーンがモデルだと思われます。
そうすると、琴が仲哀天皇、巫女が神功皇后、審神者が竹内宿禰です。
何だか急に身近に感じて来ます。
この吉野ヶ里の当時の人口は環濠に守られたエリアに約300人。
吉野ヶ里のクニ全体では約5400人だったそうです。
この主祭殿を出たら既に2時間を超過。
墳丘墓などは次回のお楽しみとして帰ることにしました。
何せ、一つのクニを廻るのですからね。バスも走ってるほど広い。
園内マップではお勧め見学ルートがあるので、それを見て歩くのがよさそうです。
吉野ヶ里遺跡についてはまた折々に紹介したいと思います。
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今日はガイドブックの原稿を渡して来ました。(*^_^*)
皆さんの応援コメントにとても力を頂きました。
ありがとうございました。
吉野ヶ里歴史公園
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