2015年 06月 12日
佐賀(22)日吉神社(吉野ヶ里町)北に眠る絹を着た女性と前漢鏡
日吉神社(吉野ヶ里町)
北に眠る絹を着た女性と前漢鏡
※閲覧注意 甕棺の骨の画像があります。
吉野ヶ里遺跡の墳丘墓の西に日吉神社はあります。

ここに行くには搬入路をグルグルと辿るか、集落の間の細道を通っていきます。
訪れた日は入り口が分からず、グルグルとまわり、ついに止まっていた工事の車の方に尋ねると、車で案内してくれました。(ありがとうございました)

周囲には人家が全くありませんが、こうしてしっかりと祀られています。

石段をいくつか上った所、森の中で光を浴びて鎮まっていました。

御祭神は「大山咋命」と書かれた絵馬がありました。
神社誌に社名が見当たらず、これ以上のことは全く分かりません。
大山咋についてはウィキペディアから。
名前の「くい(くひ)」は杭のことで、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味し、山の地主神であり、また、農耕(治水)を司る神とされる。
「漢人系氏族(三津首(みつのおびと)氏、秦氏)に祀られる。」とも書いてあります。
この神社に関する課題として、吉野ヶ里のクニと関係があるのかどうかという点が気になっていました。
宮は北墳丘墓という歴代王の墓のそばにあるので、吉野ヶ里の一部と考えられるのですが、少し前の地図では枠外に書かれていたのです。
神社はその氏族が祀るものですから、大山咋命を祀っているなら、その一族が住み続けていると考えるのですが、吉野ヶ里の場合は弥生で終焉しているので、誰も住まなくなった可能性があるんですね。(これは調査報告書にはどうなったのか書かれているかも)
吉野ヶ里が滅びたのち、現代まで完全に忘れ去られていたのなら、日吉神社を祀るのは移り住んで来た別の集団だという事になります。
それで何か手掛かりがないかなあと、カタログを見ていると、日吉神社の周囲から前漢鏡と銅剣鋳型が出土していることが分かりました。
「前漢鏡!!」
これはすごいことです。そして、説明のページを見つけました。
前漢鏡が出土したのは甕棺からだったのです!
日吉神社の鎮座する丘の頂上に格別な墓があったのです。
※閲覧注意

被葬者は女性。40~50歳。両腕に南海産貝殻性腕輪36点。絹の布片、朱などが発見されています。貝殻は沖縄・奄美地方で採取されるイモガイです。
銅鏡は中国前漢時代につくられた連弧文鏡(内行花紋)で、「長く会わなくても、お互い忘れないようにしましょう」という銘文が鋳出されているそうです。
甕棺は弥生中期後半(立岩式)で、板状の石が蓋にされていたそうです。
何世紀か書かれていません (+_+)
日本の考古学会さん、外部にも分かるようにしてくださいませ。弥生時代が凄く細かく分類されているのに、世紀が書かれない不思議な世界。
それで表を見ると、すぐ隣の北墳丘墓が築造されたのが弥生中期で、紀元前1世紀の所に書かれていたことから、推測すると、弥生中期後半というのは紀元前50年~10年位になるのかなあ。
キリストより前の時代です。
これらで分かったのは、北墳丘墓に歴代の王が埋葬され始めてから、少し遅れて西の丘陵に巫女らしき女性が埋葬されたということ。
そして、特筆すべきことは、吉野ヶ里がだんだん大きくなって、壕が広くなっていくのに、3世紀、何故か日吉神社のある墳丘は外環壕の中には組み込まれなかったということです。
吉野ヶ里の中では、この巫女の存在は3世紀には忘れ去られたと解釈できます。これは卑弥呼の時代のことです。
最初に掲げた課題、吉野ヶ里のクニと関係があるのかどうかという点については、
紀元前には墓の山だったのが忘れ去られ、ずっと後の時代に別の集団によって日吉神社が祀られたのではないかと思いました。つまり、関係はないというのが感想です。
それにしても、吉野ヶ里って、オモシロイ!
コメントをいくつか戴いているので、もう少し調べたいと思います。
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案外、北内郭から何らかの星をみていたかも知れません。
竹内文書やホツマツタエといった古文書を偽書扱いにし弥生時代を明確化せずに記紀をもって真実の日本の姿を表に出したくない、隠したいのではとおもいます。そのための編纂だったのかも知れませんね。
日吉宮は行った方なら別世界な空間を感じられるとおもいます。特に四本柱の真ん中に立ちカタカムナを唱えてみたところしばらくドキドキが止まらず腰からもげる物凄い波動を受けました。神社参拝して回って不思議な体験を数々経験していますが
この日吉宮1番でした
魏志倭人伝からも地政学的に海から渡り入ってくる
ルートは唐津から多久を通って吉野ケ里へが1番しっくりきています。都があったのかもですね
楽しいブログをありがとう御座います。
墓は卑弥呼より前のものになろうかと思いますが、巫女や女王の身分だったことは間違いないでしょう。
この被葬者に多大なる関心を寄せる者です。
この記事にある「カタログ」とは何でしょうか。ご教示いただけますと幸いです。
よろしくお願いします。
ネット上では、以下のものがヒットしますが、2006年初刷り、2014年増刷と、微妙に時期が違っています。
https://www.book61.co.jp/book.php/N66800
リンク先に表紙の写真がありますが、これで間違いないでしょうか。
お時間がある時に、ご確認いただき、ご回答いただけるとうれしいです。
よろしくお願いします。
助かりました。
ネット古本屋でゲットしました。
るなさんのブログにはいつもインスパイアされています。
(ご著書ももちろん持ってますよ(笑))
現在、当方も、某出版社の編集者とやりとりしながら、どう書籍化するか検討しているところですが、企画会議を通ったら、るなさんにもぜひ原稿に目を通していただきたいと考えています。
この被葬者についても、なぜその丘に日吉神社があるのかも、すでに説明がついています。
るなさんに聞きたいことも山ほどあります。
近いうちに連絡できるよう、執筆がんばります。
その時には、よろしくお願いします。
執筆頑張ってください。








