2015年 07月 02日
櫻井神社 岩戸開き
櫻井神社
岩戸開き
7月2日は毎年櫻井神社の岩戸開きがあります。御神事は早朝4時に行われ、午後七時まで拝観できるということで、参拝してきました。
その前に、自分のブログで復習^^。

まずは二見が浦で禊(みそぎ)の参拝をしてから、櫻井神社へ向かいました。


黒田長政の二代目黒田忠之の創建になる與止姫神社が明治二年に櫻井神社と改称しています。

今日は参拝と同時に、岩窟とは古墳ではないかという自分の予想を確認してまいりました。
実見しまして、古墳に間違いありませんでした。写真はもちろん遠慮しました。当てずっぽうで、目測しました。
入り口は高さが160センチほど。ひさしになる石は見事な石が選ばれていました。幅は二人が並んで肩が触れる程度です。
羨道は長さは120センチほど?
玄室は左右が二メートル弱?奥行きは布が下げられていて不明です。左右には巨大な一枚岩がそれぞれに設置されています。これほどのものは初めて見ました。
天井は持ち送りで、畳を縦に半分にしたような岩を少しずつずらしながらドーム状にせり上げています。とても高い所に天井石が長方形に見えました。
貝原益軒の記録、「高さ二間半(460センチ)」というのは、玄室の高さを示しているのが分かりました。桜井神社(1)で私が推測した「奥行きと高さとが入れ違っているのでは?」という点は私の間違いだと判明しました。
古墳の開口は慶長15年(1610)旧暦6月1日で、これによって黒田忠之公が社殿造営を発願しています。副葬品はどのようなものだったのか、漏れ聞くことも有りません。黒田家に奉納されたかもしれません。

これは墳丘のようすです。石段の下から右手を見ると、まだ封土があり、前方後円墳だったのではないかと思われました。ホタテ貝式程度の前方部だったのかもしれません。
石室はとても丁寧な造りでした。被葬者に関しての想像は全くつきませんが、専門家なら石室の形状から時代が推測できるでしょう。
信仰の対象はここから出現された霊験新たな神さまです。
神社のHPには櫻井神社は神直日、大直日、八十枉津日(やそまがつひ)とあります。
『福岡県神社誌』によると、岩窟の方の祭神は大綿津見神となっています。龍宮への神扉として信仰されていたと思われます。
龍宮、龍の都と言えば、志賀島。安曇の聖地です。
一度書きましたが、忠之公はこの櫻井神社も含め、領地の各地で神社を創建したり、再建したり、鳥居を奉納したりしています。福岡の繁栄のための結界を張られたのではないかという思いが今日もしました。
古墳の被葬者は、当地の豪族の長です。死してもなお、この地を守ると誓われたのでしょう。黒田公が筑紫に来るのを待って再来されたのかもしれません。
私たちはその恩恵を今でも受けているのだと思いました。
櫻井神社 糸島
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ニュースで、石室内の映像を見ただけです。
この古墳の正式名称は”相(あい)古墳”ですが、由来は分かりません。
墳頂にある覆屋に、石棺らしきものがあるということなのですが、まだ確認できていません。
来年は土曜日ですので、何としても・・・
ニュースで石室内の映像があったんですね!
古墳は名前もあったんですね。
石棺が見られれば、かなりのことが分かるでしょうね。
お正月の三が日も公開されるように書いてありました。
確認してお出かけください。









