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ひもろぎ逍遥

志登神社2・志登=海淵・北斗七星 志登星=ハレー彗星


志登神社2

志登=海淵・北斗七星 志登星=ハレー彗星


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志登神社に再び舞い戻って来ました。

志登神社は現在、田園風景の真っただ中、360度が見渡せ、しかも、今山(かつては二上山だった)を夏至ラインに見ているといいます。


豊玉姫が上陸できたのですから、もちろん湊があり、綿津見神が祭られているので安曇の息が掛かった所ですが、太陽祭祀ラインがあるということは、ただの湊ではなく、天文祭祀の観測地点の可能性も出てきました。




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これは神社の前の水路ですが、波がないのでまるで水鏡のようです。

これから思い出したのですが、「志登」(しと)という単語が真鍋の本に出ていたので読み返してみました。「志登」と「志登星」の二つが出てきます。

まずは「志登」から読んで見ましょう。

潮の空間(からま)即ち、海面が静止した時にシリウスが水平線から離れる瞬間に上下互いにとけ合ったように連なる時は必ず地震津浪が現れると語られておりました。仲哀九(200)の時も又然りと伝えられます。

昔の人は外界の波に動じない海淵を沼津、或は志登と呼び、星影のゆらめきを見て海の異変を察しておりました。やがてこれが倭語の鯰(なまず)即ち漢名の鮎魚(せんぎょ)と結び付き地震鯰の説が通りだしたのかもしれません。

山田伏見宮の絵馬には、松浦の鮎の故事を語るかの如く遠い昔の素朴な観天望気が事寄せてあるかと思われます。(儺の国の星p49)


「志登」や「沼津」は海淵のことだと言います。これは火口の跡で、海の中の場合、外で波が立っていても、そこだけ波が生じないという特殊な海面となります。


志登神社の位置は今では田園のど真ん中ですが、かつての糸島水道の中にあります。
大型の船が泊められるなら、そこは火口湖だった可能性もあります。これで「志登神社」と呼ぶようになったのかもしれません。

なお、糸島水道に関しては、かつて水道はなかったという論文が出ているそうですが、この広い地域で、水路が無かったことを証明するのは困難ではないかと思っています。

わずか3メートルほどの水路でも船の航行には十分です。
縄文海進期や弥生小海進期などで水深が確保できたら船は十分通ります。やはり伝承どおりに水道はあったと考えられます。また、いつ、ふさがったのか、その時期について真鍋家では具体的に伝えています。(何処かに書いたと思う)

引用文に出てくる山田伏見宮とは那珂川町の伏見神社のことですが、「伏見」は観星台の上で水平線から出てくる星を観測するために、伏して見ることから出来た言葉だそうです。(ガイドブック下巻64)

神功皇后が馬に乗っていてナマズが飛びついたり、松浦で鮎(あゆ)占いをしたのも、実は観天望気のようすを民話化したものだということです。


古人は時刻を計るに水平線を出入りする星影を見遣った。この種の星を伏見星と言った。これとは別に四季を教える頭上の星を天津星と区別した。

たしかにシリウスは冬の真夜中に天頂までのぼるのであったが、古人は早く臥し、つとに起きるを務めとしていたから、シリウスは宵星(せうのほし)であり、又暁星(けうのほし)であり、要するに伏見星の類であったことになる。(儺の国の星)p48


水平線に掛かる星で時間を計り、頭上を通過する星で季節が分かったといいます。シリウスは民間にとっては、時計代わりの星でした。

天津星という言葉も、神話ではなく、観測用語の一部ということになります。

以上のことから、現在地に「志登」という名の神社があるのは、観星台(伏見殿か隈本)があった可能性が高いと思います。

さて、別の本に「志登なる社」について書いてありました。
斗極をともに七等星(ななつならびのほし)と呼びました。和名類聚鈔には筑前志摩郡の条に登志(とし)の鄕名が見えます。舟人の守護神なる七星になぞらえて、昔は巨石を配列した遺跡がありました。

 図七(とし)或は七斗(しと)を万葉仮名で写した地名であり、怡土もその派形であります。志登(しと)なる社は妙見の祠が建つ天平以前の昔の信仰の存在を示しております。(儺の国の星p50)


志登神社の東の方に「登志」という地名が残っています。そこには巨石を配列した遺跡があったそうです!もう名残もないでしょうが、そこには登志神社があります。

空さんのブログ記事を見ると、登志神社の社殿の後ろに石が並べてありますね。もしかしたら、それらの石が巨石だったのかもしれません。



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こちら志登神社にも正面にこんな大石がありました。支石墓とは趣が違うので、これもストーンサークルだったのかもしれません。

「とし」も「しと」も北斗七星から来た言葉で、怡土(いと)もまたそれから派生したものだそうです。妙見信仰が入ってくる前から、糸島には北斗七星の信仰があったということです。

海人族ならみな北斗七星を崇敬していたことでしょう。


もう一つ。
 彗星を志登星という。十九歳を四度かさねるを言う。その大なる時、北斗を覆う故とも説かれる。北斗を四三星(しそのほし)というから、その一つの方言でもあった。(拾遺p51)


彗星を志登星と言いました。19年×4=76年。これはハレー彗星のことですね。それが最大になった時には北斗七星が隠れてしまうほどだったことから、北斗七星の名が重ねられたようです。

北斗七星は四+三で、「しそ」のほしと言い、それが訛って「しと」となったと言います。小郡に「四三」と言う地名がありますね!
まとめると、
志登=海淵(星を観測した)
志登=北斗七星の言葉の一部から生じた
志登星=ハレー彗星 北斗七星を覆うようすから。
こんな感じでしょうか。「しと」には北を示す星の印象が色濃いようです。

続きにこんな文がありました。
 筑紫の人々は二千年以上も昔から、よく近東の文化を心得ていたらしい。(拾遺p51)


糸島は近東からの渡来人の時代のち、朝鮮半島からの渡来人の時代を経ているので、ルーツを考える時、北の方だけでなく、もっと多面的な方向からの考察が必要ではないかと思っています。

真鍋はそれをかなり具体的に伝えているので、少しずつ紐解いていきたいのですが、もう少し古代史の知識が必要です (/・ω・)/ .


 






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by lunabura | 2015-07-09 21:36 | (サ行)神社 | Comments(0)

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