2015年 07月 18日
干珠満珠の形は勾玉か・高良玉垂宮神秘書から
干珠満珠の形は勾玉か
高良玉垂宮神秘書から
この数日の読書は「高良玉垂宮神秘書」です。高良山の始まりは神功皇后の三韓征討が関わっていました。
この本はカタカナで書かれていて、ブログを書き始めたころは、読み解くのが必死でしたが、ガイドブックを書き終えた今では、内容が良く分かるようになっていました。
先日、「干珠満珠はどんな形をしていたんでしょうかね」という質問を受けました。その翌日、神秘書を読んでいたら、たまたま(いつもコレですが(^_^;))、その答えが書いてあったんです。
で、今日はその部分を訳して紹介します。また、ガイドブックが楽しめるように、( )に掲載神社の番号を付けて紹介しています。お持ちの方は活用してくださいね。
五〇九条
【訳】干珠満珠は龍宮にて賜ったのち、彼の玉を龍宮から高良へ持って行かれたが、神代(くましろ)に納められたとも申す。それ故に神代(くましろ)を神の代とは書くなり。また、神辺(くまべ)を神の辺(ほとり)と書くなり。彼の玉を神代に納められた。また、阿上に在るとも言う。干珠は白い玉、満珠は青い玉である。長さ五寸ほどである。頭は太く、尾は細いという。それ故に高良を玉垂宮と言う。
解説します^^
「干珠満珠は龍宮にて賜った」
三韓征討の前に、神功皇后や竹内宿禰は志式神社の奈多の浜で神楽を奏して安曇磯良から干珠満珠の秘法を授かったことを指す。干珠満珠を持っている海神の宮が龍宮。(ガイド72番志式神社参照)

「彼の玉を龍宮から高良へ持って行かれた」
凱旋後、神功皇后の軍船は安曇磯良が舵取り(船長)となって、有明海から入港した。大善寺玉垂宮で乗り捨て、小舟に乗り換えて高良山へと向かう。(ガイド77番風浪宮、78番大善寺玉垂宮参照)
「神代(くましろ)に納められた」
「神代」とは地名の事です。高良山の北麓にあります。筑後川には今も神代橋が掛かっています。その近く、干珠満珠を納めた場所が伝わっています。
「阿上に在る」は注によると「河上に在る」です。「河上」なら佐賀大和の與止日女神社かと思われます。そこにも干珠満珠の宝珠が伝わっています。
「干珠は白い玉、満珠は青い玉」
何度も出てきましたね。北の夜空に輝くポラリスとツバーンの象徴で、その星の色が白と青。海神は二つの玉を捧げて航海の安全を祈ったといいます。
「長さ五寸ほどである。」
出ました!一寸は約3.03センチメートル。3センチ×5=15センチ!大きいですね!!てのひらサイズです。
「頭は太く、尾は細い」
これは勾玉!見事に説明しています。
ということで、干珠満珠は15センチほどの長さの白と青色の勾玉でした。勾玉といえば緑色です。古代は色は四色ほどに分類されたというので、緑でも青に含まれます。

こんな感じかな。鞍手歴史民族資料館に行くと見られる。(ガイド19神埼神社)
以上、高良山に伝わっている話を紹介しました。実際は違うかも知れません。與止日女神社のものは宝珠の形をしています。
「干珠満珠を納めたことから、高良を玉垂宮という。」
「玉垂」はやはり干珠満珠から発生した言葉でしたね。
【要約】
龍宮から賜った干珠満珠を凱旋後、高良に持って来た時、神代に納めた。
河上(與止日女神社)に有るとも言う。
干珠は白玉、満珠は青玉、長さは十五センチほどで、勾玉の形をしている。
干珠満珠を納めたことから、高良を玉垂宮という。
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奈多の海にそんな伝承が!!昔波乗りしてて様々な海に行きましたが、なぜか奈多の海は石の色が様々なんです
赤い丸い石を奈多海岸で見つけて宇美八幡の子安石にしましたし
今なら奈多から高良山や大善寺とか車で1時間〜2時間ですが古代は大変だろうな〜☆
すみませんこんな感想でww
かつては巨大な赤い岩があって、昭和ごろからどんどん小さくなったようです。波止場の下にはまだ赤い石が残っていました。
この浜の石が宇美八幡へもたらされたのも不思議な御縁ですね。
ガイドブックは身近な神社から少しずつ広げて詠まれるのが一般だと思います。ちょこちょこ( )で御紹介します^^








